昨年9月の鬼怒川水害について、2月29日に常総市水害検証委員会が開かれました。
 出席した国交省に対して、堤防整備の遅れが水害につながったのではないかと、河川管理者としての責任を追及する質問が相次いだようですが、国交省の答弁は責任回避に終始したようです。

 質疑の模様を伝える報道によれば、国交省は三坂の堤防決壊地点と若宮戸の越水地点を含め「6キロ区間の用地調査に入っていたものの、建設が間に合わなかった」と述べたとのことですが、2014年10月に国交省が策定した鬼怒川直轄河川改修事業の計画では、堤防が決壊した三坂地区は20~30年内に改修する予定になっていました。新聞報道によれば、若宮戸地区について国交省は「03年ごろから自然保護団体と協議し、堤防建設への同意を得ていた」と答弁したとのことですが、2014年の事業計画では改修予定の対象にすらなっていませんでした。
 茨城新聞は国交省と常総市の主張の食い違いを伝えています。国交省は堤防決壊直後に鬼怒川の氾濫シミュレーションをメール送信したとしていますが、専門家を抱えていない自治体が水害の最中にメール添付のデータを送られたとしても、その意味するところを理解することはおよそ不可能と思われます。

 「鬼怒川水害と行政の責任」についての解説は、以下のページに掲載しています。
 http://yamba-net.org/?p=13376

◆2016年3月1日 毎日新聞茨城版
 http://mainichi.jp/articles/20160301/ddl/k08/040/213000c
ー「堤防建設間に合わず」 国交省が説明 常総市議会水害検証委 /茨城ー

 関東・東北豪雨への対応を調べる常総市議会水害検証特別委員会が29日開かれ、国土交通省の担当者が出席した。
 「鬼怒川堤防の整備の遅れが水害につながったのでは」との質問が続出。
 伊藤芳則・下館河川事務所長は、同市三坂(みさか)町の堤防決壊地点と同市若宮戸(わかみやど)の越水地点を含め「6キロ区間の用地調査に入っていたものの、建設が間に合わなかった」と説明した。

 鬼怒川の治水計画は100年に1回の洪水に耐えられるように1973年に変更。
 栃木県内の基準点で毎秒4000トンから6200トンに流量を増やした結果、茨城県内でこの基準を満たす堤防整備率は約40%から10%未満に低下し、現在も17・4%にとどまっている。

 下流側から危険度の高い場所を優先して整備し、同市三坂町から上流6キロ区間は2014年から用地調査に入っていた。
 堤防がない若宮戸は氾濫(はんらん)の可能性が最も高い場所と認識。03年ごろから自然保護団体と協議し、堤防建設への同意を得ていたという。

 また、三坂町で13年11月?14年5月に行われていた河川敷の土砂採取に関係し、中村博美市議が「堤防がダンプカーの通過により沈下し、越水から決壊に至る原因になった」と指摘。

 伊藤所長は「通過ルートより上流で最初に決壊し、それが通過地点に広がったので関係ない」と答えた。

 中村市議は「(ルート外の)決壊地点にもダンプカーが入っていた」と反論したが、伊藤所長は委員会後の取材に「それがなくても、想定以上の洪水のため越水は起きていた」と話した。【去石信一】

◆2016年3月1日 茨城新聞
 http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14567535140936
ー鬼怒川決壊 国交省所長、浸水想定図「送信した」 市側と食い違い 常総検証委ー

 鬼怒川決壊で常総市の初動対応を検証する市議会水害検証特別委員会が29日開かれ、国交省下館河川事務所の伊藤芳則所長が出席、「三坂町の越水後に氾濫シミュレーションを市にメール送信した」と証言した。これまで市側は「受け取ったとは認識していない」としており、食い違いを見せた。

 伊藤所長は、高杉徹市長の携帯電話に直接連絡する「ホットライン」が7回あった点など経過を示しながら、鬼怒川の氾濫シミュレーションについて「市にメール送信した」と述べた。送信時間は、決壊した10日午後0時50分の後となる同1時13分という。

 2月5日の検証委で市側は「(市街地の被害を予測した)浸水区域想定図を受け取った認識はない」と主張。災害対策本部のある市役所の水没は「予測できなかった」と高杉市長が答えていた。

 伊藤所長は、浸水区域想定図は2005年時点で同市に伝えたほか、13年から同事務所ホームページでも公表していると述べた。

 一方、ダンプカーの土砂搬出により、決壊地点の堤防が沈下し、もろくなっていたとする指摘に対し、「決壊地点は運搬路の上流であり、影響を与えたとは考えていない」と返答。決壊地点でダンプカーがUターンや待機したことで沈下した可能性も尋ねられたが、重ねて因果関係を否定した。 (松田拓朗)