川原湯郵便局 この川原湯郵便局は解体されてすでにありません。ダムに水没するため壊されました。
 ですからこの郵便局から便りは送れません。でもここから出したい便りはあります。
 消したくない故郷の記憶です。
(写真右=2014年12月18日撮影。水没予定地の郵便局は昨年12月22日に営業終了)

 10月28日(2015年)。文京区白山にあるJAZZ喫茶「映画館」で第2回目の「やんばカフェ」が開かれ、ドキュメンタリー映画「たくじさんの宿」が上映されました。
 たくじさんとは温泉旅館の館主です。たくじさんは水没予定地の川原湯温泉で宿を開いていましたが、郵便局と同じように、ダム湖に沈むため、国が用意した将来ダム湖畔となるであろう代替地に移って旅館を続けています。

 たくじさんのお父さんはダム反対運動の闘士、生涯をダム反対運動に捧げた方です。
 実は、そのお父さんが温泉宿を開く前、川原湯郵便局に勤務していました。
 当時(昭和30年代)川原湯温泉街は賑やかで活気に満ちていたため、将来を見込んで温泉宿を開きました。ちょうどダム計画が中断になった時期です。まさかダム計画が息を吹き返すとは思いもよらなかったそうです。

看板551kb 「川原湯温泉観光案内図」と書かれたこの看板は、2年前まで水没予定地の温泉街の入り口に立っていました。たくじさんの宿「やまた旅館」も温泉街の中心部に記されています。この2年のあいだに景色が一変しています。
(クリックすると写真が拡大します。)

 さて、映画「たくじさんの宿」を撮ったのは30代の川原理子さん。2012年、やまた旅館がまだ水没予定地の温泉街にあったときです。
 宿を切り盛りするたくじさんは寡黙でシャイな方で、犬のしつけ、横笛、郷土史の研究がご趣味。プロの陶芸家でもあるたくじさんは、自作の器に盛りつける料理を丹精込めてつくります。

 カメラはたくじさんの日常をある距離をおいて切り取っていきます。
 たんたんと流れる時間、静謐な空間、たくじさんがけっして語らない記憶。
 私たちは、その記憶をいやでもスクリーンの奥に想像してしまいます。いや、川原監督の映像力が、私たちの創造力をかきたてるのです。
 たくじさんが子供時代に見た反対闘争、渓谷、木々を渡る風、小鳥たち、温泉街のさんざめき・・・。
 川原湯の人々の暮らしは、八ッ場ダム事業に税金を払い、知らぬ間にダムの”受益者”とされてしまっている首都圏の私たちと決して無縁ではありません。

 上映後のトークタイム。反対闘争の初期から八ッ場ダム問題に向き合ってきた嶋津暉之さん、2001年、移転補償が決まり、大量の住民流出で水没予定地域が崩れ始めた頃、反対運動に参加した渡辺洋子さん。
 お2人の話がたくじさんの沈黙の記憶に肉づけを与えてくれました。川原湯温泉で暮らしてきた人々、これから暮らしていく代替地での日々。

会場532kb

 カフェの参加者は予定を大幅に超え、スタッフは会場の整理に嬉しい悲鳴をあげました。
喫茶看板419kb 40人近い参加者のみなさん(その多くが川原湯温泉のファン)が熱くトークに参加。フィルムの記録とわたしたちの記憶が交錯して、実り多い時間を共有できました。
 参加したみなさんに深謝!

 追記:この「やんばカフェ」報告を書いているさなか、朝日新聞の天声人語の一文に目が留まりました。今年ノーベル文学賞を受けたベラルーシの作家スヴェトラーナさんの言葉です。

「国家というのは権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。
 だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです」