昨日の西日本新聞が川辺川ダム問題を取り上げています。 
 川辺川ダムは八ッ場ダムとともに、2009年の民主党政権で中止が掲げられたダムです。事業が長引き、ムダなダム事業の代名詞とされた”東の八ッ場、西の川辺”は、いずれも本体工事が始まっていませんでしたが、2009年時点で八ッ場ダム事業はすでに3000億円以上、川辺川ダム事業も約2000億円を費消していました。

 国交省九州地方整備局による「川辺川ダム建設事業の経緯」
 http://www.qsr.mlit.go.jp/kawabe/dam/history.html

 その後、八ッ場ダム事業は2011年に事業継続が決定し、昨年2015年に本体工事に着手しましたが、川辺川ダムの本体工事は凍結されたままです。両ダムともに国交省が事業主体であり、ダム事業に生活設計を委ねている予定地住民は事業継続を要望していましたが、八ッ場ダム事業が利根川流域一都五県にまたがる広域事業で、下流自治体のいずれもダム推進で民主党政権に対抗したのに対して、川辺川ダム事業はダム予定地から下流まですべてが熊本県に含まれ、流域自治体が2009年の政権交代以前にダム反対を掲げたことが両ダムの方向が分かれた原因でした。

 しかし、国交省はいまだに川辺川ダム事業の廃止手続きを取ろうとせず、ダム中止後の生活再建支援法整備にも消極的です。

◆2016年8月27日 西日本新聞
 http://news.livedoor.com/article/detail/11939474/
 -代替治水策は不透明 川辺川ダム計画50年 五木村再建なお途上 [熊本県]ー

 国が相良村に建設を予定する川辺川ダム計画が、1966年の発表から今夏で50年を迎えた。建設の是非を巡り、球磨川流域は賛成、反対両派が対立。村中心部がダムの底に水没する五木村は約500世帯が移転し人口が急減、村は衰退した。計画は現在休止状態となっているが、ダムに代わる治水策はまとまっておらず、五木村の再建もなお途上にある。ダム問題の先行きは見通せていない。

 球磨川流域では63年から3年連続で水害が発生、延べ2万戸を超える家屋が被災する戦後最大の被害となった。国は66年7月3日、流域の洪水防止を目的に、最大支流の川辺川にダムを建設する計画を発表。後に利水や発電も加わり、多目的ダムとなった。五木村は当初、村を挙げて反対運動を展開。裁判闘争も繰り広げたが、国との補償交渉の末、81年に苦渋の決断で計画を受け入れた。

 90年代、ダムによる環境破壊を懸念する住民や漁民らが反対運動を起こし、2003年には利水事業の計画変更の正当性が争われた訴訟で、国が敗訴した。07年、農水省と電源開発がダム計画から撤退した。

 ダム反対の世論が強まる中、08年に相良村長、人吉市長、蒲島郁夫知事がダム反対を相次いで表明した。09年には、民主党政権の前原誠司国土交通相が計画中止を表明した。

 一方で、蒲島知事の反対表明後に始まった国、県、流域12市町村による「ダムによらない治水を検討する場」は、抜本的なダムの代替治水策を見いだせないまま15年に終了した。現在、検討する場は実務者レベルの会議に移行し、議論を継続している。

 川辺川ダム計画は、総貯水量約1億3300万立方メートル、総事業費約3300億円。実現すれば、九州最大級のダムになる。国交省によると、15年度末で既に事業費約2186億円が執行されている。計画は、特定多目的ダム法に基づく廃止の手続きはとられておらず、現在も生きている。