1. 発掘調査の最新情報のリスト 
 八ッ場ダム事業用地で発掘調査を行っている群馬県埋蔵文化財調査事業団のホームページでは、調査の最新情報を見ることができます。
 7月24日現在、最新情報として掲載されているレポートは以下のように、上から11番目まですべて八ッ場ダム事業による発掘調査に関する情報です。

キャプチャ

 八ッ場ダムの水没予定地には全域に遺跡があり、しかもこれらの多くは、縄文時代から江戸時代にかけての重層遺跡です。国交省のこれまでの説明によれば、八ッ場ダムの湛水試験は2019年10月に開始される予定です。発掘調査は残り2年余りと、期限が迫っています。

 遺跡のある場所は次の通りです。

 〇石畑Ⅰ岩陰遺跡 川原畑地区のダム本体工事現場
 〇東宮遺跡・・・川原畑地区東宮
 〇西宮遺跡 川原畑地区西宮
 〇石川原遺跡 川原湯地区上湯原
 〇中棚Ⅱ遺跡 林地区中棚(旧国道沿い) 
 〇下原遺跡 林地区下原(旧国道沿い) 
 〇尾坂遺跡 長野原地区尾坂(めがね橋北側)
 〇西ノ上遺跡 川原湯地区下湯原(民宿雷五郎跡)

 下の図は上記の遺跡のうち、川原湯地区と川原畑地区の遺跡の位置を群馬県公式サイトのマッピング群馬「遺跡・文化財」の地図に書き込んだものです。吾妻川は左から右に流れており、図の右端部分が八ッ場ダムのダムサイトです。白色部分が水没予定地、赤色部分が八ッ場ダム事業で発掘対象となっている遺跡のある場所です。

川原湯地区と川原畑地区

川原湯地区と川原畑地区

2. 本体工事現場の縄文遺跡
小蓬莱より 、ダムサイト左岸 ダムサイトのすぐ上流側にある石畑Ⅰ岩陰遺跡(写真中央の茶色いベルトコンベヤー付近)は、6月に調査が始まりました。
 縄文草創期からの重要な遺跡として専門家に注目されてきたこの遺跡は、「群馬県史」にも大きく取り上げられています。

参考ページ:
「群馬県議会における発掘調査と温泉配湯維持管理についての質疑」
「八ッ場ダム関連の発掘調査と本体工事」

 群馬県埋蔵文化財調査事業団の最新情報には、次のように書かれています。
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石畑Ⅰ岩陰遺跡=平成29年6月調査=)
 石畑Ⅰ岩陰はJR川原湯駅の北東約2㎞にあり、景勝吾妻渓谷に隣接する遺跡です。吾妻川の川幅が特に狭くなり、左岸の岩山がせり出した所にあります。遺跡は、この岩山の下のいわゆる岩陰の部分と旧吾妻線の軌道部分、八ッ場ダム建設工事用道路(旧国道145号線)や工事用車両の駐車場となっている部分からなっています。
現在調査を進めているのは工事用車両駐車場の部分で、標高はおおよそ505m。河床とは15mほどの高低差があります。
 6月の調査では、岩々に囲まれたわずかな緩斜面の土地に、天明三年(1873)の浅間山噴火で埋没した畑が発見されました。その下層の調査では、土師器や縄文土器、石鏃などの遺物も検出されています。
——–転載終わり——-

3. 東宮遺跡
東宮遺跡の発掘調査 事業団の「最新情報」の2番目にある川原畑地区の東宮遺跡(写真右)は、江戸・天明期の浅間山大噴火によって発生した泥流に覆われた災害遺跡の中でも、特に遺存状態がよいことで注目されてきました。現在は天明浅間災害遺跡の下層の調査が進められ、縄文時代の貴重な遺構や遺物が出土しているようです。

県埋文事業団の最新情報によれば、以下の通りです。
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東宮遺跡=平成29年6月調査=
調査は3面目の縄文時代後期の敷石住居と配石、土坑および、弧状列石の調査を行なっています。列石は段差を持ち、西側の高い場所から東側に傾斜する地形に、雛壇を形作るように、4列が確認されています。それぞれの列石の間隔は、最も上位の1列目から2列目の間が約8m、2列目と3列目の間が約18m、3列目と4列目の間が約8mで、2列目と3列目の間が最も広くなっています。出土土器や列石を覆っている土の状況などから、3列目、4列目の列石が先に作られた可能性があります。列石間の平らな部分には敷石住居や配石、土坑も検出されており、列石との関連が注目されます。
また、調査区の南側において、より古い縄文時代中期の住居も複数確認されています。現在調査を行っている3軒の住居は、一部重なった状況で見つかっています。ほぼ中央に石で囲った炉を設け、入口部と思われる位置に埋甕を伴っています。
———転載終わり———–

 石畑Ⅰ岩陰遺跡と東宮遺跡は、いずれも吾妻川左岸の川原畑地区にあります。両遺跡は距離が近く、縄文時代から車が日常使われるように近年まで、川原畑地区の住民は両地点を徒歩で往来していたと考えられます。古の人々は、川原畑という吾妻渓谷の最上流部に位置するこの土地で、どのような生活を営み、命を繋いできたのでしょうか。

4. 伏せられる遺跡の発掘調査
DSCF0762 これまで当会では、県埋蔵文化財調査事業団に解説をお願いして、数多くの遺跡を見学させてもらってきました。同事業団では、県会議員の視察にも対応してきました。
 しかし、今年3月、八ッ場ダム事業では川原湯地区と川原畑地区の水没住民がすべて立ち退かされて以降、国交省は両地区の水没予定地で行われている発掘調査について、工事現場にあって危険であるという理由で、議員も含めて見学を許可していません。
(写真右=川原畑地区の水没地への道。住民も立入禁止。)

 八ッ場ダムの本体工事現場では、八ッ場ダムファンクラブのイベントなど、一般参加者が工事現場を見学できる機会を進んで設けています。工事現場で危険であるという理由で、遺跡の見学を一切認めないという対応は、本体工事をPRする積極姿勢と対照的です。マスコミが八ッ場ダムの本体工事をしばしば取り上げる一方で、遺跡の発掘調査を一切取り上げないのは、国交省の意図通りと言えるでしょう。

DSCF0686 八ッ場ダム事業における発掘調査には、160億円以上の公金が投入されています。かけがえのない歴史文化の宝庫がダムに沈むからこそ、多額の費用をかけて発掘調査を行っているのでしょう。国民が共有できるよう、国や群馬県は見学会を開催し、発掘調査の成果を広く伝えるのが、本体の公共事業の在り方の筈です。
 発掘調査の成果は、調査終了後、整理事業として報告集にまとめられますが、実際に遺跡のある場所を昔の人々が眺めたのと同じ風景の環境で見られるのは、今しかありません。このまま発掘調査を急ピッチで進め、人知れずダムに沈めてしまうのは、あまりに惨いと言わざるをえません。
(写真右=群馬県埋蔵文化財調査事業団がこれまでに刊行した東宮遺跡の調査報告書。同遺跡の報告書はこれからも巻を重ねていくが、各報告書の発行数は予算の制限があるため最小限に絞られている。)

写真=6月に見学が許可された林地区の中棚Ⅱ遺跡。手前に1783年の天明泥流下の畑、奥に平安時代の遺跡。
群馬県埋蔵文化財調査事業団の「最新情報」より
「中棚Ⅱ遺跡は、吾妻川左岸の段丘面上にあり、国道を挟んで南北に所在しています。今月は、10区の調査を継続しながら調査範囲を広げ、調査区西部の12区の調査は終了しました。10区中央部では1面の調査で天明泥流下畑が良好な状態で検出されました。10区東部の調査では天明泥流下で畑が確認できない場所が多かったのですが、この場所でも本来は畑が広がっていたのでしょう。10区東部では3面目の調査で平安時代の住居1軒、ピット139基、土坑19基などが検出されています。」
中棚Ⅱ遺跡

写真=中棚Ⅱ遺跡の復旧溝。浅間山大噴火後、今のように重機もない中、畑を再び耕作し始めた当時の人々のたくましさが伝わってくる遺構です。
復旧溝とは➡「復旧溝は、泥流により埋没した畑の耕作土を採取する目的で掘られ、採取した後の穴に泥流を埋め込み、その上に採取した耕作土を被せる天地返しを行っています。」
復旧溝