八ッ場ダム水没予定地の最後の住民のお一人、高山彰さんが今月12日に土地と住居の買収に応じる契約を結んだことが群馬版の新聞で報じられました。
 高山さんは、昨年6月末に開かれた八ッ場ダム事業認定の公聴会に登壇し、八ッ場ダムへの疑問を強く訴えました。公聴会での高山さんの公述内容は、こちらのページに掲載しています。
 http://yamba-net.org/?p=11735

DSCF4662 (2) 事業認定は強制収用を可能とするための手続きです。八ッ場ダムの水没予定地にはまだ複数の住民が生活を営んでいますが、八ッ場ダムの起業者である国交省関東地方整備局は、予定通りにダム事業を進めるため、昨年から強制収用というカードで水没予定地住民に脅しをかけ、契約を迫ってきました。(写真右=八ッ場ダム水没予定地 
下流から見て、吾妻川に架かる橋の右手が高山さんの住む川原畑地区、左手が川原湯地区)

 どれほど八ッ場ダム事業が理不尽であろうと、国交省は土地収用法によって住民から土地や家屋を取り上げる権限を持っています。住民は抵抗しても無駄だと、あきらめざるをえません。
 1965年12月、八ッ場ダムの水没予定地の住民は、八ッ場ダム絶対反対を掲げ、反対期成同盟を結成しました。それから半世紀が経過。行政の締め付けに疲れ果てた地域は1985年に実質的にダム事業を受け入れることになりました。ダムの公共性、水没予定地住民の人権が真に問われないまま、八ッ場ダム事業は粛々と進められています。

◆2016年2月25日 朝日新聞群馬版
 http://digital.asahi.com/articles/ASJ2R5S9ZJ2RUHNB019.html?rm=355
ー八ツ場ダム 移転拒み続けた高山さん土地買収契約ー

 長野原町に建設中の八ツ場ダム予定地に暮らす元消防署員の高山彰さん(62)が、国土交通省のダム工事事務所と今月12日付で、土地と住居の買収に応じる契約を結んだ。水没予定地の中心に住んでおり、最後まで契約に応じなかった一人と見られている。ギリギリまで拒み続けたその思いを聞いた。

 吾妻川のすぐ横、旧JR吾妻線を挟む形で高山さんの住居と車庫がある。反対運動の前面に立ったことはないが「補償金一発で済ませたいとしか見えない国のやり方に疑問を抱いてきた」という。

 建設計画が浮上してから長い年月が経ち、「地域も人間関係もズタズタになった」。反対をあきらめたころに民主党政権が建設中止を唱えたことで「やっぱり必要ないのかと寝た子を起こされた」と振り返る。その後、自公政権になるとダム建設へと方針が再度ひっくり返った。

 「ダムができるからといって川の下流の住民が喜んでいるとも聞かない。(現場の住民が)故郷を奪われるだけの理不尽な計画と思ってしまう」

 高山さんがこだわっているのは、移転代替地の地滑りと鉄鋼スラグの問題だ。削って造った道路の法面(のりめん)に亀裂が生じた場所があり、「山が動いているのでは」と心配する。鉄鋼スラグの調査も望む場所まで細かく調べてはもらえなかったといい、不安が残っている。「地滑りもスラグも問題ないと文書で保証できないなら、専門家を招いた住民説明会を開いて欲しい」と訴える。

 国が土地収用法に基づく事業認定を申請して4月で1年になる。告示、裁決と進めば強制的に移転を強いられ、補償金も減額が予想される。未契約だった家が一軒、また一軒と契約に応じるのを見てきた。「仲間がいればまだしも、独りでは何もできない」と孤立感を深めながらも、「思い通りには運ばせたくない」との意地もあり、これまで粘ってきたという。

 国交省との契約に署名したあと、強制収容の直前まで頑張った形になればと、まだ空欄だった日付を告示前日にするよう求めたが、告示日は未定と断られたという。契約では「今年11月末までに代替地に移転する」とされ、やむを得ない事情がある場合は改めて協議することになっている。「とても準備を始める気にはなれない」。いまだに気持ちの整理はつかない。(井上実于)

川原畑諏訪神社の石段跡 神社の建物は移転したが、神様は今もここにいるという住民も。 2016年2月27日
川原畑諏訪神社の石段跡

川原畑地区の水没予定地にて 2016年2月27日
ふきのとう

川原畑地区の水没予定地 2015年4月12日
梅と水仙の里