通行止め手前の標識shuku 国の名勝・吾妻渓谷が11月30日で閉鎖されました。
 来年1月に八ッ場ダムの本体工事が着工される予定であることから、ダム予定地の国道は11月18日より、工事車両が排他的に利用することを理由に廃道となりました。廃道区間は、吾妻渓谷の本体工事予定地から水没予定地の林地区・久森までの3.6キロ区間です。(写真右=吾妻渓谷の下流側入り口には、ここより先で国道が通行止めとなっていることを知らせる看板が立っている。東吾妻町・松谷地区)

 吾妻渓谷封鎖箇所(ダム本体工事直下)shuku これに伴い、廃道とはなっていない吾妻渓谷の下流側の入り口から本体工事予定地までの車道も、11月18日より通行止めとなりました。その後も、渓谷下流側の入り口から本体工事予定地までは、徒歩での通行が可能でしたが、12月1日には歩道も閉鎖されました。
(右写真=柵から先が廃道区間。吾妻渓谷の下流側の入り口から柵までの区間も12月1日から閉鎖された。吾妻渓谷、川原畑地区八ッ場)

渓谷遊歩道冬期間閉鎖の看板shuku 例年、吾妻渓谷では、山中の遊歩道(ハイキングコース)が12月1日より4月半ばまで冬期閉鎖となります。険しい渓谷の中の山道は急勾配で、凍結時は確かに危険です。しかし舗装された国道は安全ですから、車両も歩行者も冬でも通行可能でした。雪化粧した吾妻渓谷は幻想的な美しさで、通りすがりの旅行客が思わず車を停めて景観に見入る姿が、厳寒の時期でも見られたものです。
 右写真の看板にも書かれているように、渓谷のハイキングコースは4月には例年通り開放される予定ですが、国道の開放時期は明らかにされていません。 

閉鎖日の国道shuku 吾妻渓谷の国道をダムの工事用地だけでなく、下流まで含めて全区間閉鎖する理由について、国道を管理する群馬県は、「本体工事予定地上流の国道が廃線となり、下流側の国道も廃線区間が始まる所で行き止まりとなるため、車がUターンできるように道路工事を行う」と説明しています。しかし、そうであるなら工事は限られた範囲で、下流側の長い歩道すべてを閉鎖する必要はないはずです。(写真=12月1日より閉鎖された吾妻渓谷下流部の国道)
 吾妻渓谷の国道沿いの歩道は、渓谷の自然に身近に触れることのできる貴重な場所です。国交省や群馬県が八ッ場ダムによる渓谷観光へのダメージを最小限にしようと努めるなら、工事予定地以外までも観光客を締め出すことはしないはずです。今回の国道封鎖においても、ダム事業がすべてに優先する行政の姿勢があらわです。

仮排水路から噴き出る水はに緑色に濁っていたshuku 吾妻渓谷の本体予定地では、吾妻川の水はダム事業でつくられた長さ389メートルの仮排水トンネルの中を流れています。落葉のせいで、トンネル吐き口から水が勢いよく噴き出ている様子がよく見えました。
 11月30日の吾妻川は、その前からの雨のせいで濁っていましたが、トンネルから出てくる水は緑色に濁っているように見えました。上流で流れを遮られ、カーブを描くトンネルを流下する過程で、水質が変化しているのではないかと気になりました。

鹿飛shuku 吾妻川はダム予定地直下で川幅を急激に狭め、「八丁暗がり」という狭窄部に流れ込みます。最狭窄部は「鹿飛(しかとび)」と呼ばれ、川幅は3メートル以下になります。ダム予定地から吾妻渓谷の川下りを楽しんできたカヤッカーによれば、この地点でカヤックを横にすると、両岸の岩壁に引っ掛かってしまうそうです。

トンネルと国道shuku 鹿飛の付近は、吾妻川に並行して走る国道も、かつては道幅が狭い難所でした。ダム予定地の人々が八ッ場ダムに反対している間はここにはトンネルがありませんでした。地域の人々の生活道路であるだけでなく、上流の草津温泉の観光客や嬬恋村の高原野菜を運ぶトラックなども含めて一日一万台以上の車が通行する国道は、この場所でしばしば渋滞しました。周辺地域では、道路整備の要望が繰り返し国や県に出され、一車線の「酷道」は地元にダムを受け入れさせるための飴とムチとなりました。

松谷トンネルの文字盤トリミングshuku 地元がダムを受け入れたことでようやく造られた松谷トンネルは、11月18日の車両通行止め以来使われていない筈ですが、オレンジ色の照明がトンネルの端から端まで灯っていました。
 トンネルの壁にかかっている文字盤には、八ッ場ダムの歴史の中でよく知られる高島照治県議の名前がありました。
 嬬恋村の酪農家だった高島県議は、長靴をはいて選挙区民の要望を聞いて回り、ダム予定地の住民にとっても身近な存在だったといわれます。ダム計画が持ち上がった1960年代、中曽根派の県議らは、八ッ場ダム推進の福田派に対抗し、ダム建設を党内から阻止するためと、住民に自民党への集団入党を勧めました。 1969年、川原湯温泉を核とした八ッ場ダム反対期成同盟は、102名が自民党に集団入党。1974年に反対期成同盟から押し上げられて地元、長野原町の町長になった樋田富治郎委員長もその一人でした。
 かつて地元の慰霊祭で、国道がスムーズに流れないせいで、上流地域の発展が阻害されていると演説した高島県議は、中曽根政権下の1983年、県会議長に就任。1985年、中曽根派に梯子を外された樋田町長は、ダムを受け入れざるをえない状況に追い込まれました。

フジの実 (2)shuku トンネル脇の国道から手の届くところに、フジの実が鈴なりにぶらさがっていました。硬いさやを割ると、丸く平たい実が出てきました。昔の子供たちは、この実をおはじきにして遊んだそうです。

木の杖shuku 「鹿飛」の下流に「鹿飛橋」があります。国道から階段が整備されている鹿飛橋は、観光客に親しまれてきたスポットですが、春になっても国道が開放されなければ、ハイキングコースをかなり歩かないと辿りつけなくなります。
 階段の入り口の近くに、ハイキングをした人たちが残していった木の杖が行儀よく並んでいました。

 鹿飛び橋下流側shuku鹿飛橋付近の吾妻川。
 このあたりはダムによる水没はまぬがれますが、ダムができると環境が大きく変化するため、その影響が懸念されています。

 渓谷の遊歩道を辿ると、吾妻渓谷十勝の一つ、小蓬莱の頂上に着きます。ここは見晴らし台と呼ばれ、かつては上流側のすばらしい景観が望めました。
 しかし、正面が八ッ場ダム本体工事予定地であることから、今では工事による環境破壊のすさまじさを間近に見下ろす場所になってしまいました。ダム堤は、この見晴らし台より30メートル高くまで聳える計画だそうです。
 本来は左右の山に挟まれて一番低い谷底を吾妻川が流れているはずですが、本体準備工事によって川の流れがトンネルに迂回させられ、干上がった河床が灰色の帯のように延びています。河床と国道(現在は廃道)を繋ぐ工事用の道路が右側の岩壁に縫うように造られています。
 ダムサイト予定地 (3)shuku

 右側の山の麓をよく見ると、9月まで吾妻線の列車が走っていた線路のあったところに黄色いシャベルカーがとまっていました。線路も枕木も、本体工事予定地の部分だけ外され、枕木はシャベルカーが運んだのか、廃道になった国道脇に並べられています。
ダムサイト予定地 (2)トリミング縮-2

 線路の右手の山のてっぺんは平らに削られており、本体工事の作業ヤードができる予定です。吾妻川の本体工事予定地と作業ヤードを結ぶために、これからさらに山は切り崩されていくはずです。
 来春、吾妻渓谷の遊歩道が開放されれば、またこの見晴らし台に登れますが、その時、眼下に開ける景色は、どうなっているのでしょうか。

ツチグリshuku すでに11月18日に渓谷沿いの車道が全区間封鎖されたせいか、ハイキングコースがシーズン最後となった11月30日も吾妻渓谷は静かでしたが、小蓬莱にはネイチャーガイドさんなど、渓谷に何度も足を運んでいる方たちが登り収めに訪れていました。
 自然の目利きの話を聞くと、森の中の植物や動物の生態がより身近に感じられます。
 小蓬莱の階段の下に、ツチグリが生えていました。キノコの一種で、ほおずきのような形をした丸い袋のをつつくと、胞子が飛び出してきます。

テンのフンshuku こちらは、テンの糞。糞の中にある黒い粒は、エゾエノキの実だそうです。

エゾエノキの木shuku エゾエノキは吾妻渓谷に多い木です。国蝶オオムラサキは、エゾエノキの葉に卵を産みつけ、幼虫はエゾエノキの葉を食べて育ち、落ち葉の下で越冬します。

 風が吹くたびに、落ち葉が空を舞います。雲から光がさし、束の間、小春日和のような陽気でした。

落葉トリミングshuku