多くの尊い命が失われた九州北部豪雨による土石流災害について、徳島県木頭村(きとうそん)の村長であった藤田恵さんより投稿していただきましたので、ご論考を紹介させていただきます。
 藤田さんは、徳島県、那賀川源流の木頭高野瀬狭生まれ。中央大学法学部卒業。2000年、木頭村の村長の時には、日本の行政史上初めて、当時の建設省の巨大ダム・細川内(ほそごうち)ダムを中止に追い込んだことで知られます。著書に「国を破りて山河あり 日本で初めて巨大ダムを止めた村長」(2010年 小学館)、「脱ダムから緑の国へ」(緑風出版、2004年)。水源開発問題全国連絡会顧問。

*土石流災害は「拡大造林」が元凶の人災*  藤田 恵

はじめに       
 今年も土石流災害などの大水害が頻発しています。被災された方々には衷心よりお見舞い申し上げます。
 いつも、識者やマスコミの報道等は「大雨」が災害を引き起こす主犯のように言いますが、はたして本当でしょうか。
 私は1日の雨量が1114㍉(徳島木頭で1976年9月・6日間の総雨量は2781㍉)という世界的な豪雨の記録がある、徳島県旧木頭村(現那賀町)の高い山々と川や沢に囲まれた山村で育ちました。子供の頃からの山林労働などの経験と、約30年前から何ヶ所かの土石流等による災害の現地を見た結果、大雨時の災害のほとんどは「拡大造林」が元凶の「人災」であることは一目瞭然でした。毎年春から秋にかけてヤマメ釣り、鮎釣りなどで頻繁にあちこちの山や沢を歩き回り、多くの崩壊地などを見た結果も、「拡大造林」が元凶の人災であるとの確信は深まるばかりです。

 大雨が降っても、通常は山崩れや土石流災害は滅多に起こるものではありません。災害には山林に何らかの共通する特殊事情があります。(大雨で必ず山崩れが起きるのなら、旧木頭村の2000m級の約20峰の山は全て崩れているはずです。)
 特殊事情とは、①「拡大造林」後の手入れ不足による山肌の過大浸食 ②急峻な地形へ、幅員が広過ぎる農林道の開設 ③川、沢の直線化 ④里山の喪失 ⑤砂防ダム、が主なものです。

 最近の大災害は勿論のこと、2014年の広島、2013年の伊豆大島、2004年の徳島県旧木沢村(現那賀町・1日の雨量が1317㍉)土石流災害、前記76年9月の旧木頭村の大規模山林崩壊等の全てが、前記①~⑤に当てはまります。
 「拡大造林」は、敗戦後の住宅建設などで杉や檜等の建築材が不足し、1950年代から、ブナ、ナラ、シデ等の天然林を含む広葉樹を皆伐し、補助金で主に杉を密植する政策で、当時の農林水産省が全国的に推進して来た広葉樹敵視の愚策です。その後、1964年の林産物の貿易自由化で、杉材等の価格の暴落が今も続き、林業家は間伐や下草刈りの費用も人材も無く、杉林は荒れ放題の状態です。
 以下、各項目ごとに説明します。

土石流の災害の原因
1、「拡大造林」後の手入れ不足による山肌の過大浸食

 杉林の間伐などの手入れ不足のため、林内の山肌を保護する下草(草や細い木など)が全く無いか少ないため、大雨で山肌がいっぺんに削られ大崩壊を引き起こしたものです。つまり、「拡大造林」後の手入れ不足による、保水力の低下と山肌の過大浸食です。上記の旧木頭村の大規模山林崩壊は、直径2㍍以上もあるブナ林を皆伐した後に、杉林の山肌の過大浸食が原因で、中腹に深層崩壊が起こり、大きな山が大崩壊したものです。その後、砂防ダム工事が20年以上も続き、この砂防ダム付近で山の崩壊がさらに頻発している場所もあります。

2、急峻な地形へ、幅員が広すぎる農林道の開設
「拡大造林」と並行して、急峻な斜面に幅員が広過ぎる農林道を、崩壊しやすい地形、土質などを十分に考慮しないで開設しました。このため、大雨時に大量の雨水や伏流水により、農林道の擁壁からまず決壊が始まり、道路付近が崩壊して土石流が起こり、民家の流出などが発生した箇所が多く見られます。
(嘗て、自民党は建設業者から請負高の約5%の政治献金を取るために、業者が儲かるように幅4メートル以上の広い農林道路以外は補助金を付けない制度に固執していたと言われています。本当に林業家が望んでいるのは、幅員が2m前後の作業道や、森林に負荷の少ない狭い林道です。)
 その典型例として、2013年の伊豆大島の土石流などの大災害があります。当時、新聞に掲載された山崩れ前と山崩れ後の2枚の航空写真を見ると、ちょうど絵に描いたように道路付近から一斉に崩壊が起きていました。これは、2004年8月1日、台風10号の際、徳島県旧木沢村(現那賀町)で起きた類似の大災害時に私が撮影した現地の写真と酷似しています。この大災害では数百箇所の山崩れが起きました。

3、川、沢の直線化
 上記のように、山肌の過大浸蝕により、恒常的に大量の土砂が河川等に流入すると、河床の上昇と共に、大きな淵が埋まります。河川や沢がほとんど直線化しているため、洪水時に流量の一時的な逓減が不可能となり、下流の流量も一挙に増大するため、杉などの流木が橋梁等にかかり、濁流を堰き上げるなどの水害がいっそう拡大します。

12か所の淵が1か所に
 私が子供の頃に過ごしたのは、那賀川の最上流の北川集落です。家の前を流れる川には僅か2㌔ほどの区間に、今思い出すだけでも大きな淵が12か所もありました。
 大きな淵には全て名前が付いていました。その一つはカンキチ淵といい、大昔にカンキチと言う人が入水した淵だと言い伝えられていました。川の淵に全て名前がついていたと言うことは、「拡大造林」後に大災害が頻発する1970年代以前は長年にわたり河床が安定していたことを物語っています。
 私の経験でも、大雨後に川の流れが激変することは殆どありませんでしたが、近年は一雨ごとに淵も埋まり、流れも激変しています。上記の12か所の淵も、今は僅かに淵の面影を残す所がたったの1か所のみです。川とは名ばかりで、単なる直線の水路と化しています。これは、ごく一部の川を除き、日本全国の川の現状です。

「ワンド」で洪水の逓減が無く、ダム災害に
 大きな淵には必ず「ワンド」と言う、水深が深くて大きく膨らみ、流れが渦巻いて上流へ逆流するような所がありました。小学生の友人が泳いでいて亡くなったのも、この「ワンド」でした。大水が出ると濁流となったこの「ワンド」は、河原や岸辺の方へどんどん広がったものです。大水を下流へ徐々に流す洪水の逓減と、鮎やアメゴ、鰻など多くの魚の避難所でもあったのです。
 上流部にあった昔からの竹藪などの水防林を伐り、1か所でもコンクリートの堤防を造ると、今までの流れが激変し、下流の何百年も昔から安定していた自然堤防が大雨ごとに崩れ始めて、淵も土砂で埋まってしまいます。
 そのうえ、この土砂の過大な流出は下流のダムへの堆砂の原因ともなっています。ダム災害を含む最近の大水害は、この「拡大造林」が元凶だと、何度言っても言い足りません。

4、里山の喪失
 里山とは、広辞苑によると「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」とありますが、私の体験からは少し違うようにも思いますので、もう少し詳しく説明します。
 1960年代まで農業の主な作物だった米や麦の栽培で、農家に絶対に必要なのは農耕用の牛でありました。この牛を飼うために、春から秋にかけて草を刈る場所が、里山の最大の役目でした。この場所は里山でも家から最も近くて、比較的肥沃な土質で、一面に萱が生えているのが最高とされていましたが、家の近くで良い場所は限られていますので、少し遠い里山で萱ばかり刈れるようにした「萱野」という里山も作っていました。その他、里山は田や畑に入れる草を刈る、薪を伐る、炭を焼く、椎茸を栽培する場所で、尾根や尾根近くに昔から生えている木は別にして、近くの里山へは大きな木は生やさないようにしていました。
 このように、里山は土質が肥沃な所が多く、元来地滑りなどで崩壊し易い地形の場所です。したがって、崩壊防止のために先人の経験則で比較的に根が張りやすい広葉樹などを主に生やし、根が浅くて張りにくい杉はなるべく植えてはならない場所だったのです。

5、砂防ダム
全国には100万基以上?
 砂防ダムは川の大小を問わず上流部から源流部へ沢、山崩れの跡地など山の頂上付近まで、ありとあらゆる場所へ造られています。高さが7㍍以上を砂防ダム、それ未満を堰堤と呼びます。
 砂防ダムは、県や市町村が造ったもの、国交省や農林省が建設したものなどが入り乱れており、私が知る限り全国に何基あるかなどの実態が把握可能な資料は何処にもありません。木頭村(現徳島県那賀町木頭)内にある砂防ダムの数も県や国に質問しても不明とのことで、2000年頃に私が沢を歩いて数えただけでも500基以上あり、総工費は数百億円以上と言われていました。このことから推測しても、全国的には最低でも100万基以上の砂防が造られているのが実態ではないでしょうか。

打出の小槌
 砂防ダムは、広辞苑には「山肌の浸食や河川の土砂の流出を防ぐため」とあります。私が子供の時から見て来た砂防ダムは違います。
 砂防ダムが造られる典型的な地形は、V字形の急な渓流です。両側も浸食され尽くして全体に岩肌が剥き出しとなっている場所です。つまり、岩肌が何万年もかけて浸食される以外には、これ以上の浸食の恐れは全く無い場所です。こんな所へ砂防ダムを造るとどうなるでしょうか。大雨ごとにすぐに土砂が満杯となります。同時に、濁流が堰の上部を越流します。柔らかい両側の杉林などがいっぺんに浸食され、当然に山崩れが起きます。「大雨災害の復旧工事」で、すぐ予算がつきます。また砂防ダムが必要だ、となります。
 このように、砂防ダムは建設業者の打出の小槌であり、必要性の有無に関係なく、際限なく造り続けられている場所も多くあります。 その典型例が、旧木頭村の久井谷(ひさいだに)と言う小さな沢で、エスカレーターのように約200基の砂防ダム群が建設されています。

急がれる災害防止対策
 第1は、尾根と沢付近、民家に近い手入れ不足の杉林は、公費の補償で皆伐する。1年もすると草木に覆われ過大浸食が防げます。
 第2は、特に崩壊しやすい地形、土質の箇所から優先的に農林道の山側へ十分な側溝を造り、上部から道路への雨水の越流を防ぐ。
 第3は、前記の優先箇所から順次、農林道の幅員を狭める改造工事をする。必然的に擁壁が低くなり崩壊がしにくくなります。
 第4は、農林道の擁壁へ十分な水抜きを造り、擁壁の内部への雨水や伏流水の滞留が少なくなるように擁壁を改造する。
 第5は、前記の優先箇所の農林道の上下に孟宗竹等を植えるなどの、里山の復元。先人の昔からの知恵を謙虚に学ぶべきです。
 第6は、危険地域の民家の移転
 土砂災害が予測される危険地域の民家などの移転を、公的な補助も含め早急に実施することです。災害で多くの人命が失われることを考えれば安いものです。
 第7は、誤った農林行政・「拡大造林」の非を国や自治体に認めさせること。そうしないと、本格的な法整備による土石流災害防止は不可能です。
     
ダム災害に集約
 巨大ダムの殆どは八ッ場ダムと同じ多目的ダムです。つまり、洪水調節と都市用水の供給などの利水が目的で、洪水調節には大雨に備えて貯水の為に可能な限りダムを空けておく必要があり、一方の利水には出来るだけ多くの貯水が必要です。こんな相反することを同じダムに機能させることは不可能であり、多目的ダムはダムを造るための単なるダム官僚の机上論です。
 大雨が降るとやがてダムは満水となります。それ以上貯水が増えるとダムのゲートの上を大量の水が越流してゲートが壊れるおそれがありますので、急遽ゲートを開けます。ダムの下流では、大雨で川の増水と内水で水害の恐れがある寸前に、さらに上流のダムから大量の水が押し寄せるのですからたまりません。下流の川の水嵩は一挙に上がり、家屋の流出などの大水害となるのです。

堆砂で上下流に水害
 ダム湖周辺や上流も恒常的に水害に見舞われています。堆砂が大きな原因です。堆砂で河床が高くなっていて、ダムの下流へ水が流れ難いため、大雨時に氾濫して水害を招くのです。こんな明らかな水害も、電力会社や県、国交省は毎回知らぬ顔の半兵衛を決め込みます。被害住民は裁判で争うしかありません。以下は徳島県那賀川の長安口(ながやすぐち)ダム訴訟の一例です。

高松高裁「ダムは危険な物である」ことは認めた
 1971年9月の大雨時に、長安口ダムは急にゲートを開けました。この水勢でダム近くの護岸が高さ24メートルにわたって崩壊。下流の鷲敷町(現那賀町)で床上浸水92戸、床下浸水36戸の被害が発生しました。
1審は、原告勝訴。とは言っても約20年後の88年に徳島地方裁判所は、やっとダムの操作ミスを認め、県と国に損害賠償を求めました。
 しかし、2審の高松高等裁判所は、94年1審判決取り消し敗訴。理由は「地域的な降雨量の正確な予測は困難」。ところが、「ダムは危険な物である」ことは認めたのが、せめてもの救いでありました。最高裁、住民の上告棄却。
 今でもダム水害は頻発していて、同様の水害と裁判は繰り返されていますが、自治体、警察、検察、裁判所、国、マスコミは癒着。最初から住民が負けることは決まっているようなものです。

ダムへの堆砂の抜本策は無い
 国交省は、ダムの堆砂対策として、排砂バイパス、貯砂ダム、上流の沢へ更にダムを造る、大雨時に一挙に下流へ流す、等々一部試行しています。しかし、抜本的な堆砂対策はありません。私は最近、以前に細川内ダム中止を要請した当時の建設省河川課長(前参議院議員)に、「膨大な堆砂は取る方法も、捨てる場所も無いがどうするのか」の旨を質問しましたが、当然何の返答もありませんでした。

ダム建設禁止法を
 今更私が言うまでもなくダムの堆砂は、原発の核廃棄物と同じように、抜本的な処理方法が全くないのです。日本の川という川は約3000基のダムで埋め尽くされています。全てのダムは砂が溜まり続ける一方です。この堆砂の問題だけでも、もうこれ以上のダムは造るべきではありません。ダム建設禁止法こそ制定すべき時代です。 (終わり)