八ッ場ダム予定地では、水没五地区の各代表からなる住民組織が大きな権限を持ってきました。
 この住民組織は補償交渉、代替地分譲交渉など、ダム事業の節目節目で住民の意見を代表する立場で行政と交渉してきましたが、実際にはダム事業を円滑に進めるための機能を果たしてきたとされます。住民組織の事務局長であった川原湯地区の高山欣也氏は、2006年から2014年まで長野原町長を務めています。

 以下の記事にある萩原昭朗さんは、長年住民組織の委員長を務めてきました。萩原さんは一部水没予定の横壁地区の有力者であるだけでなく、川原湯温泉街にも土地を持つ大地主で、民主党政権が発足すると、地元の利権の象徴的人物として週刊誌でも取り上げられました。
 地元がダムを受け入れるはるか以前からダム推進の姿勢で臨んできた萩原昭朗さんも、ダムの完成をみることなく亡くなりました。

◆2016年1月8日 毎日新聞群馬版
http://mainichi.jp/articles/20160108/ddl/k10/060/174000c
ー萩原昭朗さん死去 合同葬、16日に 八ッ場ダム推進 /群馬

毎日新聞2016年1月8日 地方版

群馬県
 八ッ場ダム建設推進派の住民代表として国との交渉にあたり、昨年12月に胃がんのため84歳で亡くなった萩原昭朗さんの遺族と長野原町による合同葬が16日午後1時から、長野原町総合運動場若人の館で開かれる。

 萩原さんは町議5期の後、1999年から2001年まで「八ッ場ダム水没関係5地区連合」補償交渉委員長として国との折衝に従事。01年には、水没する宅地や田畑の土地の価格を算定する補償基準について合意した。06年に対策委員長に。09年に民主党政権がダム建設中止を打ち出した際には、継続を強く要求した。

 合同葬の喪主は長男宗仁(むねひと)氏。葬儀委員長は萩原睦男町長。【高橋努】

◆2015年12月23日 上毛新聞
http://www.raijin.com/ns/3914508316853207/news.html
ー八ツ場水没5地区連合対策委員長 萩原昭朗氏が死去ー

 八ツ場ダム建設事業に伴う補償交渉で中心的な役割を担い、水没関係5地区連合対策委員長を務める萩原昭朗(はぎわら・あきお)氏が19日午前1時31分、病気のため前橋市内の病院で死去した。84歳だった。自宅は長野原町横壁。21日に近親者らで密葬を行った。

 萩原家、長野原町合同葬が1月16日午後1時から同町与喜屋の町総合運動場若人の館で開かれる。喪主は長男の宗仁(むねひと)氏。葬儀委員長は長野原町長の萩原睦男氏。

◆2016年1月17日 上毛新聞 (ネット記事は紙面記事の冒頭部分です。)
http://www.jomo-news.co.jp/ns/3414529944357551/news.html
ー八ツ場ダム問題で生活再建の礎築く 八ッ場5地区連合対策委員長 萩原氏の合同葬 ー

 八ツ場ダム水没関係5地区連合対策委員長を務め、昨年12月19日に84歳で亡くなった萩原昭朗(あきお)氏をしのぶ長野原町・萩原家合同葬が16日、群馬県長野原町与喜屋の町総合運動場若人の館で営まれた。  
 町内外から関係者約800人が参列し、萩原氏との別れを惜しんだ。

 葬儀委員長の萩原睦男町長は「ダム問題に誠心誠意取り組み、生活再建事業の礎を築いた功績に感謝したい」とあいさつ。大沢正明知事は「萩原さんの遺志を引き継ぎ、町や国、下流と県と力を合わせ、ダム建設を確実に推進したい」と弔辞を述べた。
 喪主で長男の宗仁氏は「晩年はダムの完成と湖畔の桜に思いをはせていた。できることならもう5年生きてくれたらと、そればかりが心残り」と謝辞で心境を語った。

 萩原氏は町議5期の後、1992年に横壁八ッ場ダム対策委員長に就任した。ダム建設事業に伴う補償交渉で中心的な役割を担い、2006年から5地区連合対策委員長を務めた。

—転載終わり—

2011年12月23日付け上毛新聞紙面より
 ダム建設決定を報告するために22日に地元を訪れた前田国交大臣(当時)を拍手で迎える人々の写真。
 最前列の右手より、大沢群馬県知事、萩原委員長、高山長野原町長
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