以前、群馬の支局で精力的に八ッ場ダム予定地を取材した記者による記事が栃木版に掲載されていました。
 民主党政権発足により八ッ場ダムが注目された2009年、この記者が田中正造の「真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 人を殺さざるべし」という言葉を引用し、政府が八ッ場ダム問題に正面から取り組む必要性を訴えた記事は、新聞の全国版に掲載されました。
 民主党政権がダム問題に取り組むことを願った多くの国民の期待は裏切られ、二度の政権交代を経て、ダム行政は何も変わっていません。

◆2014年3月06日 朝日新聞栃木版
ー(とちの記)気になる水没後の未来図 八ツ場ダムの地元から手紙ー

 宇都宮総局へ先月、封書が届いた。群馬県の川原湯温泉の旅館主からだった。川原湯は、八ツ場(やんば)ダム建設に伴って水没する温泉街だ。5年前、民主党政権が一時、建設中止を表明し、注目を集めた。旅館主は当時、地元の事情を教えてくれた一人だ。
 封書には、「王湯での最後の湯かけ開催記念」と記された絵馬が入っていた。湯かけ祭りは400年続くと伝わる奇祭。大寒の1月20日の夜明け前、下帯姿の男たちが源泉を掛け合う。その祭りも、ダムに沈む温泉街から高台の新天地に舞台を移すことに。今年が温泉街の源泉・王湯での最後の祭りだった。
 電話で旅館主に礼を述べると、日光市の湯西川温泉について尋ねられた。「道の駅の様子はどう?」
 温泉街への途中にある道の駅は、湯西川ダム建設の見返りで建った地域振興施設だった。八ッ場の住民は湯西川を何度も訪ね、ダム建設後の暮らしを思い描いてきた。その現状は、八ッ場ダムの未来図に写るのだろう。
 八ッ場ダム建設継続を求める住民を「ごね得」などと言い募る声が5年前、地元に殺到した。住民はダムを求めたのではなく、地域の衰退を止める活路をダムマネーに求めるしかない仕組みになっていたのだが、民主党政権は代わる手立てを示せなかった。
 原発事故があった3年前、原発マネーで成り立つ立地自治体の構造が浮き彫りにされた。原発とダムの立地の構図は似ている。
 石川達三は戦前の小説、「日蔭の村」で発展する東京の犠牲になった山村を描いた。栃木でも群馬でも福島でも、似た話があちこちで70年以上たっても続く。絵馬を眺めながら、そうした問題が都知事選の争点になることを少し期待したのだがー。(菅野雄介)

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 記事中の「日蔭の村」は、東京都の小河内ダム(1957年完成)の水没住民を描いた作品です。