2013年に中止が決まった宮城県の直轄ダム「田川ダム」の予定地の住民が国に補償を求める要望書を提出したと報道されています。
 民主党政権によるダム事業の見直し(ダム検証)は、八ッ場ダムで知られるように、多くが「事業継続」妥当と結論付けられましたが、この田川ダム事業のように、行政みずからが中止を望み、中止が発表されたダムもありました。
 ダム予定地の住民は、長年ダム計画に翻弄されて、多大な損害を受けてきているのですから、生活再建措置が取られて当然ですが、わが国ではそのための法整備がありません。

 民主党政権下では、当会などの働きかけにより、「八ッ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟」がダム中止後の生活再建支援法案をつくりました。それがベースになって、内容面では後退しましたが、2012年3月に「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法案」が国会に上程されました。しかし安倍政権の復活により、まったく審議されないまま廃案になってしまいました。

◆2017年9月6日 朝日新聞宮城版
http://digital.asahi.com/articles/ASK954J0FK95UNHB00M.html
ー宮城)ダムに翻弄された37年 加美町寒風沢ー

 国が着工することなく2013年に中止になった田川ダムの建設予定地、加美町寒風沢(さぶさわ)地区の住民らが6日、補償を求める要望書を国交省鳴瀬川総合開発工事事務所に提出する。未着工のダムに関する補償要求には、法的根拠がない。それでも、県の調査にさかのぼれば37年間、ダムに振り回され続けた。そのことで被った不利益を、住民らは「損害」ととらえている。

 寒風沢地区地域振興協議会の24人。ダムができていれば住宅が水没した4軒、田畑などを失うはずだった9軒が含まれる。すでに寒風沢を離れた人も名を連ねる。要望書は、ダムが建設されるかの見通しが立たないうちに人口流出が進んだことを指摘。計画がなければ、もっと快適な生活が送れるはずだったと記す。5日には加美町に対し、国が補償するようはたらきかけることを求めた。

 住民らは中止方針が発表された2013年から、当時の総合開発調査事務所に補償を求めたが、「制度がない」「前例がない」と退けられてきた。今回の要望書提出は、国による補償の可能性の有無を確認する意味を持つ。と言うのも、町が住民の生活再建と地域振興に使える交付金を準備したからだ。

 交付金は、住民の家屋改修や、グループでの研究会などに使うことができ、協議会を通じて申請して支給される。予算計上した8200万円は、町が国交省から得た9200万円の「行政需要費」から捻出した。

 需要費はダム事業のために町職員が働いた分への対価で、町が自由に使える。町は当初、中止決定後に住民が要求していた生活再建のほか、堰(せき)の改良と林道や集会所の整備などに使う予定だった。ダム到来を想定し、インフラ整備が不十分だった所だ。

 ところが、住民の多くはこの間に年老いていった。将来には消えゆくかもしれない集落の整備より、個々の生活に結びつく支援の方を重視するようになった。町は要求が多かった町道整備に1千万円を使い、残りを生活再建などに対象を絞った交付金に充てる。

 協議会は補償要求を優先し、その後に会長ら役員が町の助言を受けながら、交付金の分配基準を決める。だが、難しい作業になりそうだ。老朽化した家屋の手入れの全額を交付金に頼れば、たちまち底をつくので、出費に対する支給割合を決める必要がある。家屋の水没、土地だけの水没、いずれでもない住民、不在者が混在する。来なかったダムによる「損害」をどう調整し、申請額を算出するのか――。

 協議会の今野年行会長(65)は言う。「最初は向こうが、ダムを造らせてと頭を下げた。次は、こっちが補償をと頭を下げる。交付金調整は難しそうな仕事。不思議な話だ」

 ダムは幻と消えた。だがその残影は、今後も住民たちの現実を翻弄(ほんろう)し続ける。行政区長によると、中止が決まる前年、60人以上が暮らした寒風沢。住民は今、43人。(島田博)

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 〈田川ダム〉 洪水調節と灌漑(かんがい)用水補給、水道用水供給などが目的。1976年の県の予備調査に続く92年、当時の建設省が鳴瀬川支流の田川に二つのダムの建設を前提にした実施計画調査を始めた。後に、一つのダムに計画を変更。民主党政権による未着工ダム事業の見直しに伴い、13年8月に中止が決まった。その分の機能は同町内の別の支流に着工する筒砂子ダムの規模拡大などで補完する。