八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「ダム底に沈む思い出」(上毛新聞投書欄より)

 11月25日付の上毛新聞投書欄「ひろば」に、川原湯温泉と吾妻渓谷の思い出をつづった投書が掲載されました。
 投書には書かれていませんが、思い出の土地を沈めることになっているのは、現在、名勝・吾妻渓谷で建設中の八ッ場ダムです。川原湯温泉や吾妻渓谷に思い出のある方は、投書された方以外にも大勢いらっしゃることと思います。そこに住んでいた人ならずとも、忘れがたい、懐かしい土地が「公共事業」の名の下に無残に破壊されつつあります。

 ダム底に沈む思い出 桑原 親子(東吾妻町・72)

 子どもの頃、家族で出かける所といったら、列車でひと駅の場所にある川原湯温泉街の中ほどにある共同浴場であった。
 帰る時、兄たちが父に「家まで歩いて帰るから、帰りの汽車賃をください」と言った。父は笑いながら、一人30円ずつ渡すと、そのお金で駅前の店で、ピンポン玉くらいのゴム袋に入った「はちみつポンポン」を買って喜んで駆けて行った。

 川原湯温泉から岩島までの間には、吾妻渓谷があり、兄たちが歩いて帰るのは、さぞ楽しいことだろうと、一人のけ者にされた私は、うらやましくて仕方なかった。
 川原湯温泉と吾妻渓谷がダムの底に沈むという話は、私の子どもの頃からである。30年ほど前の秋も深まった頃、渓谷に沿った遊歩道を歩いたことがあった。枯れ葉が積もって、歩くと足元で乾いた音をたてた。朴の葉が落ちて裸木となった枝の先には、澄み切った青空が見えていた。

 見るばかり 岩ばかりなる冬山の 峡間に青み 渓たたえたり

 若山牧水は、この景色をこよなく愛していたという。ダムの底に沈んでしまうことを知ったら、沼津の千本松原を残すべく奔走したように、反対運動でも起こしただろうか。

—転載終わり—

 大正時代、まだ八ッ場ダム計画が始まる前に吾妻渓谷の自然保護を訴えた、若山牧水の随筆の一部をこちらのページに掲載しています。
 https://yamba-net.org/wp/problem/wazawai/hakai/

写真=名勝・吾妻渓谷の八ッ場ダム本体工事現場 2016年11月4日撮影
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