八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「五木村と川辺川ダム 終わらない物語」(朝日新聞熊本版より)

 群馬県と八ッ場ダムと熊本県の川辺川ダムは、ともに国の直轄事業です。2009年の民主党政権発足時に両ダム事業は「中止」が掲げられましたが、その後、八ッ場ダムは事業継続が決まり、川辺川ダムは凍結のまま今日に至っています。

 八ッ場ダムと川辺川ダムへの政府の方針が異なった最大の理由は、受益者(八ッ場ダムでは利根川流域一都五県、川辺川ダムでは熊本県)が八ッ場ダムではダム推進、川辺川ダムでは白紙撤回を求めたからです。
 しかし、川辺川ダム計画は政府の方針としては中止ですが、法的にはまだ中止されておらず、国交省は川辺川ダム計画の復活を狙っていると言われます。川辺川ダム予定地では、ダム計画が宙に浮いたまま、八ッ場ダム予定地と同様、人口流出が進んでいます。
 以下の記事は、川辺川ダム予定地を抱える熊本県五木村の状況を伝えています。

◆2016年9月30日 朝日新聞熊本版
 http://digital.asahi.com/articles/ASJ9Y3SDXJ9YTLVB00H.html?rm=538
ー五木村と川辺川ダム 終わらない物語ー

 旧建設省(現国土交通省)が1966年7月に川辺川ダム建設計画を発表して、今年で50年になる。9月は蒲島郁夫知事の「白紙撤回」から8年、民主党政権の「計画中止」表明から7年。旧水没予定地を抱える五木村の「孤立」の構図は変わらず、ダムと村をめぐる物語は未完のままだ。今も機会を得て、ダムを巡る人々の思いが発露する。

 村が96年、九州最大規模のダム計画に最終的に同意したのは、周辺市町村からも強い要請を受け、孤立無援の状態になったことも大きい。「受益地の下流域住民のため」と、苦渋の選択をした。

 2009年3月、村は「川辺川ダムと五木村」を刊行。和田拓也村長は序文に「村はダム建設に全面的に協力した結果、人材や歴史文化遺産などかけがえのない多くのものを失った」と書いた。そして、知事の白紙撤回で「先行きは全く不透明な状況に」なった。

 今年7月26日。球磨川水系流域12市町村長でつくる川辺川ダム建設促進協議会の総会で、来賓の松田三郎県議(52)は「『ダムは造らんとに、まだ建設促進協議会というとですか』と聞かれるが、法的には造らないと決まっているわけではない」とあいさつ。一瞬ざわついたが、終了後、本人は「2、3年に1回は言っているんです、みんなが忘れないように」と話した。
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 計画発表時に約5千人だった村人口は現在、1200人を割り込む。全世帯のほぼ半数を占めていた水没対象世帯の7割超が村外に出たことが響いたが、その後、「清流が失われる」と下流域でダム反対の動きが広がり、知事や国の中止や撤回の判断につながった。しかし、その判断は宙に浮いたままだ。

 8月24日。村の生活再建を国、県が話し合う場で村議会の西村久徳議長(80)は「三者協議の場が設置されダムのことは言うなという風潮もある。しかし、村の苦難の歴史を知る人が少なくなり、私は村の苦難苦闘を後世に伝え続ける」。

 ダム以外の治水策を探る国と県、流域市町村の協議は合意の道筋さえ見えず、07年に策定されたダムが前提の球磨川水系河川整備基本方針は今も生き続ける。中止後の振興策を法的に支える特別措置法も未制定。旧水没予定地での生活再建の動きは、現行法の枠内でできる限りのことをするという国と県、村三者の合意に基づく暫定的な対応だ。
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 村出身の県立大2年生で異業種、異世代交流を企画して人吉球磨地域の活性化を探る自主研究会代表の出口貴啓(たかひろ)さん(19)は「自分たちの世代に負の遺産として降りてくる」と戸惑う。

 「ダムに賛成、反対ではなく、私ができることは五木村をどうしようかという冷静な議論。親の世代と違って、しがらみもない。私たちは私たちでやっていくよ、というのが今の思い」(知覧哲郎)

■旧水没予定地に「山村リゾート」

 五木村の観光を変えたい――。博物館デザイナーの砂田光紀(こうき)さん(52)=福岡市=は、そう奮い立つ。村が来年4月の開設を目指す「歴史文化交流施設」の総合プロデュースを担う。ダム計画の「中止」に伴う村の生活再建策の一つ。計画では旧水没予定地にも「砂田ワールド」が広がる。

 砂田さんは、2014年7月に鹿児島県いちき串木野市の羽島地区にオープンした「薩摩藩英国留学生記念館」の総合プロデュースも務めた。幕末期に英国に向かい、後の日本の近代化に貢献した若い藩士らの資料を展示。羽島の知名度の低さなどから集客難が懸念されたが、今月6日までの総入場者数は11万1196人で、当初目標の年間2万3千人を大きく上回った。

 洋風の建物の玄関を入ると地元食材を使った料理やアルコール類を提供するカフェやグッズショップが目に飛び込んでくる。砂田さんは「学術的な博物館造りとは別に羽島に来た方が何を、どういう時間を過ごすのかを考えた」と話す。

 一方、五木村で計画する施設は山村文化を継承する新しい観光拠点と位置づける。核は農具や民具を集める民俗展示室で、ダム計画に伴う村民の苦悩も後世に伝えようと、水没するはずだった旧中心部の集落を模型で復元する計画もある。

 下方の川辺川沿いの旧水没予定地一帯で村が計画する「山村リゾート構想」も砂田さんが提唱。ベッドやトイレ、ジェットバスを備えたコテージ型客室やレストランを整備し、手ぶらで快適なキャンプが楽しめるという。「民俗伝承と自然環境の良さの両方を上手にプレゼンテーションする村にしたい」と砂田さん。

 村は「山村リゾート」を18年4月にオープンさせ、隣接する中央部の整備にも砂田さんのアイデアを生かす意向。ただ、村議の一部からは「採算は合うのか」「商店街の振興に結びつくのか」との異論も出る。

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 〈川辺川ダム建設計画〉 球磨川流域の人吉市などで1963年から3年連続で起きた大水害をきっかけに、下流域の洪水防止を目的に支流の川辺川に総貯水量1億3300万トンの多目的ダム建設を掲げた。村は猛反対したが、国や県の強い要請を受け、国の補償に応じた住民の離村も相次ぎ、30年後の96年にダム本体工事に同意した。