八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「止まらない八ッ場ダム、止まらないニッポン」(BLOGOS)

一昨日、ニュースサイト『BLOGOS』に掲載された記事を転載します。
「止まらない八ッ場、止まらないニッポン」
http://blogos.com/article/64312/

「止まらない八ッ場、止まらないニッポン」 (ビデオニュース・ドットコム) 2013年06月15日

民主党政権が高らかに「中止」を掲げながら結局は実現しなかった群馬県の八ッ場ダムの本体工事の入札が、5月17日、あまり大きく注目されることもなく公告された。7月には業者を選定し、年内にも本体工事に着工する予定だという。

八ッ場ダムは民主党政権下で無駄な公共事業の代表例に位置づけられ、民主党のスローガンだった「コンクリートから人へ」の象徴だった。前原誠司国交大臣は一度は八ッ場ダムの建設中止を宣言したが、地元からの強い反対に遭いほどなくそれを撤回。八ッ場ダムの建設工事の継続は民主党政権下の2011年に決定されていた。

しかし、とは言え、60年以上も前に計画されながら、地元の強い反対運動に遭い、国が反対派を切り崩しながらようやく事業決定に漕ぎ着けた頃にはもう、当初の目的だった利水や治水などの需要はほぼ消滅していた。今回の工事再開の決定は、ダムが必要だからではなく、ここまで話がこじれてしまった以上、無駄であろうが何だろうが、もはやダムを作る以外に選択肢がないという状態に追い込まれた結果だった。

しかしそれにしても日本という国は、国が一旦やると決めた事業は、何があってもやり遂げられるようになっている。それが今だに変わらない。山本リンダの歌ではないが、止めようにも、どうにも止まらないのだ。長良川河口堰もそうだったし、諫早の干拓事業もそうだった。ある意味で原発もそうだ。

本来必要のないところに堤高131メートル、幅336メートルのコンクリートの壁がそびえ立ち、自然や遺跡など文化遺産も豊かな吾妻渓谷がダム湖の底に沈む時、総額で5000億円超の税金が浪費され、とてつもない生態系の破壊が起きる。しかし、それがわかっていても、八ッ場ダムの工事は今また再開されようとしている。

ダム計画が地域社会をずたずたに切り裂いてきた様を子どもの頃から見てきた地元「やまきぼし旅館」の五代目主人樋田省三さんは、「計画に当たっちゃったら、もう、残念でしたと言うしかない。絶対撤回しないから。彼ら(国)は」と、あきらめ顔で語る。樋田さんの旅館もダムの水没予定地にあるが、ダムができるのかできないのか、移転させられるのかどうなのかが決まらないために、建物の改修さえ行えない状態が今も続いているという。

大規模公共事業が地域社会に与える影響を研究している中央大学教授の中澤秀雄氏は「国側の担当者は2,3年で代わるが住民は一生逃げられない。結局、国策に疲れて受け入れざるを得なくなった」と八ッ場ダム問題の背景を指摘する。

しかし、それにしてもなぜ日本の公共事業は、その正当性や妥当性を失った後も、止まらないのだろうか。国策だの国家意思だのと言われるが、それは一体誰が決めているものなのか。

ダムのような大規模公共事業の計画を立てるのは霞ヶ関の中央官僚だ。彼らは霞ヶ関の役所の中で鉛筆を舐めながら、日本全体の水需要などを計算して、彼らなりに良かれと思った事業を提案する。そして国が持つあらゆる手段を使って、それを実現しようとする。それを実現することが彼らの仕事であり、そしてまたそれが日本の国益に適っていると彼らは考える。そして、国は政治学者ホッブスが怪物リバイアサンに喩えるほど強大な権力を持つ。それが駆使されれば、どんなに地元の反対があろうが、どんなに馬鹿げた事業であろうが、最後は押し切られることは必至だ。そしてそれは誰にとっても不幸なことでもある。

中澤教授は「国」対「地元」の構図が続く限り、その勝負は見えている。国がリバイアサンとしての力をフルに発揮してその意思を貫徹しようとすることは避けられないが、公共事業の主体を国から地方に移管すれば、国が地元の意思を踏みにじってまで事業を無理矢理実現するようなことは起きにくくなるだろうと言う。問題は今その権限を持つ中央官僚と、公共事業推進の自民党政権で、そのような権限の移譲が起きるとは考えにくいことだ。

中澤氏は「地方には地方の知恵がある。まずは政策決定の課程に地域の意見をどう組み込んでいくか、その仕組み作りが重要だ」と話す。中澤氏が関わった新潟県の旧・巻町(現在は新潟市と合併)での原発建設をめぐる住民投票では、7人の地域住民がキーパーソンになって準備して住民投票を実現した結果、原発建設の阻止に繋がっていったという。

しかし、日本では巻町のような事例はまだ少ない。なぜ、国策は一旦走り出したら止まらないのか。われわれは、一体いつまで亡霊のような国家意思に振り回され続けるのか。八ッ場ダム問題と原発立地地域の矛盾を取り上げながら、ゲストの中澤秀雄氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

この記事を筆者のサイトで読む
http://www.videonews.com/on-demand/631640/002817.php

~~転載終わり~~

記事中では、八ッ場ダムの堤体規模として、堤高131m、幅336mという数字が示されていますが、これは2008年のダム計画変更前の数字で、現在の計画では堤高116m、幅291mとされています。 08年の八ッ場ダムの基本計画の変更は三度目の変更で、この時の主な変更点は、八ッ場ダムの完成を2010年度から2015年度に5年延長するというものでした。

工期を延長すれば、事業費もそれに伴って増えるのですが、国交省関東地方整備局はこの時は事業費を増額しませんでした。しかし、それまでに道路などのダム関連工事費がふくらんでいましたので、事業費を変更しない皺寄せが本体工事費の圧縮という形になりました。

ダムの基本計画の変更は重要な情報です。国交省関東地方整備局は同局のサイト上に2008年の計画変更の内容を公開しているものの、2007(平成19)年12月21日に関東地方整備局が開催した事業評価監視委員会の配布資料の一つとして掲載されており、よほどダム行政に詳しい人でなければ、該当ページに辿りつけません。タイトルにも「基本計画変更」の文字はなく、情報公開の消極さが際立つケースの一つです。

「八ッ場ダム建設事業」国交省関東地方整備局 事業評価監視委員会 平成19年12月21日配布資料

http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/kikaku/jigyohyoka/pdf/h19/03siryo/siryo1-2.pdf