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「長崎・石木ダム」広がる反対の輪(東京新聞特報部)

 昨日の東京新聞特報部が長崎県の石木ダムの問題を大きく取り上げました。

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東京新聞特報部2017年4月16日 石木ダム問題

◆2017年4月16日 東京新聞こちら特報部
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017041602000145.html
ー 「長崎・石木ダム」広がる反対の輪 ー

1キャプチャ 計画から半世紀「必要か」 大切な故郷を沈めるなんて

 著名人ら賛同住民13世帯情報発信手応え
 長崎県の「石木ダム」建設計画に反対する声が全国に広がりつつある。計画の浮上から約半世紀。同県川棚町の水没予定地に暮らす十三世帯約六十人の住民らが地道に反対を訴え続けてきたが、環境問題に取り組むアウトドア用品メーカーの「パタゴニア」や、音楽家の小林武史さんら著名人も「計画を見直すべきではないか」と疑問を投げかけている。住民たちも外部への情報発信に力を入れ始めた。 (木村留美)

 将来の水不足疑問/河川改修で治水対策
 昨年十月三十日、川棚町川原地区のダム水没予定地、稲刈りが終わったばかりの田んぼにワラを敷き詰めた会場で一日限りの野外ライブが催された。町内外から駆けつけた約七百人は、小林さんや歌手Salyuさんらのライブやトークイベントを楽しんだ。
 野外ライブのタイトルは”失われるかもしれない美しい場所で」。川原地区は、川棚町のシンボル・虚空蔵山のふもと、田園風景が美しい扇状地だが、ダムが完成すれば大部分が水没する。「音楽を通じてダム問題を知り、考えるきっかけにしてほしい」というのが野外ライブの狙いだ。

 水没予定地の反対住民も、出店で販売する料理の支度や、ポスター作製などに総出で加わった。その一人である炭谷猛さん(六六)は「福岡や宮崎のナンバーの車も目立ち、九州一円から関心を持ってたくさんの人が集まってくれた。運動を知ってもらうためにも、すごい効果があるのだと驚いた」と振り返る。

 石木ダムは、長崎県と佐世保市が川棚川支流の石木川に計画する多目的ダムだ。同県は一九七二年に予備調査に着手したが、水没予定地の反対で停滞。規模を縮小し、二〇一三年に国が事業認定した。これまでに用地の約八割を取得したものの、十三世帯が応じず、本体工事はいまだ手つかずである。

 反対住民の岩永信子さん(六一)は「五十年かけてもできなかったダムが本当に必要なのか。計画を見直すべきだ」と唱える。
 ダム建設の目的は、川棚川の治水と、約二十五万人が住む佐世保市の利水である。しかし、人口減少が予測される中、県や佐世保市が主張するような「水不足」が本当に起きるのか。治水についても住民は「技術はこの五十年で進歩している。ダムではなく河川改修で治水対策はできるはずだ」と主張する。住民らは一五年十一月に国の事業認定の取り消しを求めて提訴。ほかにも工事差し止めなどの訴訟を起こし、法廷闘争を繰り広げる。

 こうした反対住民らの活動に賛同するのはアーティストだけではない。パタゴニアは一五年に反対運動の支援に乗り出した。意見広告を新聞に出し、佐世保市でラッピングバスも走らせた。パタゴニア環境社会部ディレクターの佐藤潤一さんは「五十年前の計画を長崎県や佐世保市は議論しなおすこともなく建設しようとしていることは問題だ。佐世保市が本当に水不足にあるかなどもう一度議論すべきだ」と強調する。

2キャプチャ 思い出つまった土地、子や孫に継ぐ
 反対運動を当初から知る炭谷さんによると、もともと水没予定地には六十世帯余りが生活していた。「最初は絶対反対でまとまっていた」。川原地区にそびえる高さ三メートルほどの「見ざる、聞かざる、言わざる」の猿の絵を描いたやぐらは、反対運動が始まって数年後、同世代の住民と一緒に炭谷さんが建てたものだ。「行政側からの説得に応じない。そんな思いを仲間と表したものだった」

 八十年代に入ると県は反対住民の切り崩しを強化し、用地買収が進んだ。
「一緒に反対運動をやってきたつもりの仲間がどんどん切り崩されていく。知らない間に住んでいる人が出ていく。それも次々に。何とも言えないむなしさがこみあげた」。八二年の強制測量では反対住民を阻止しようと、県警機動隊も出動するほどだった。

 工事巡り 県と神経戦続く
 県との神経戦は今も続く。住民や支援者三十人ほどで当番を割り当て、平日の早朝から夜まで交代で予定地を見張る。隙あらば県の工事車両が予定地に入ってくる。
「県は工事を始める機会をうかがっている。日曜の午前六時半にトラックを入れようとしたときには、ここまでやるのかと驚いた」
 炭谷さんは、県が今年一月二十九日の日曜日、ダム事業の県道付け替え道路工事が再開された時のことを悔しがった。二冊目という引き継ぎノートを見せてもらうと、一月二十九日のページには「6:30 クレーン車3 トラック…」と記されていた。「工事の車両がいつ入ってくるのかまったく読めない。警戒のため、見張りを強化している」

 反対運動の支えは故郷への強い思いだ。炭谷さんにとって自宅前を流れる石木川で「先輩から水泳を習い、釣りを楽しんだ。いろいろな思い出がつまった大切な場所」。そして先祖から伝えられた土地でもある。炭谷さんが大切にしている寺の記録「過去帳」には一七五三年に亡くなった先祖から代々の家族の名がつづられる。現在、炭谷さんは妻と息子夫婦、三人の孫と川原地区にとどまっている。「土地は、親から自分、さらに子や孫に受け継いでいくもの。自分の代でダムに沈めてしまうなんて耐えられない」

 都会のために地方が犠牲 「福島と同じ構図では」
 企業や署名人らの賛同は反対住民らの背中を押した。「県などへの対応に追われ、防御で精いっぱいで、こちらから打って出ることはこれまでしてこなかったが、自分たちも何かできることがあるのではないかと思った」と炭谷さん。反対住民らは今年一月から月に一度のペースで、水没予定地以外の川棚町民向けに勉強会を開く。三月には約五十人が集まった。

 勉強会に参加した川棚町の宮崎健二さん(六八)は「町内でも予定地外の住民の間では石木ダムはあまり話題にもなってこなかった。行政側の言っていることしか耳に入ってこなかったが、住民の話を聞くうちに、計画から五十年も経過しているのに、今も本当に必要かどうか考え直さないことは怖いと感じた」と話す。

 共感の輪は計画阻止につながるのか。炭谷さんは「昔の計画のまま、高度成長期のやり方で進めていいのか」と力を込める。
 「佐世保という都会の水のために田舎は立ち退きなさい、犠牲になりなさいというのは、東京の電力のために犠牲になった福島と構図は同じ。自分たちの戦いを通じ、地方を犠牲にすることについて都会の人たちが少しでも考えるきっかけになればいい」

 デスクメモ 
 自民党が二〇一二年末の総選挙で掲げたスローガンは「日本を取り戻す」。なるほど政権は取り戻せるかもしれないが、豊かな自然は一度失ったら取り戻せない。辺野古しかり、八ッ場しかり、石木しかり。国家主義的なスローガンの下で、先祖代々の土地や歴史が奪われていく。(圭)