さる3月21日、八ッ場ダムをストップさせる東京の会による総会記念講演会
 「東京都の地下水問題の経過 ~半世紀の取り組みを振り返って」が東京・池袋で開催されました。

キャプチャ 講師の嶋津暉之さんは、都職員として1970年代から東京都公害行政の現場で行政指導を行うと共に、1980年代から八ッ場ダムをはじめとする全国の水源開発問題の技術的な解析に取り組んできました。2004年から2015年まで、八ッ場ダムの関係各都県を被告として一都五県の市民らが裁判闘争を行った八ッ場ダム住民訴訟では、原告代表も務めました。

 現在、東京都は八ッ場ダム事業への参画と連動して地下水切り捨て政策を進めていますが、このことはあまり知られていません。

キャプチャ 東京都の地下水については、これまで汚染問題、地盤沈下問題などが都民の生活を脅かすものとして大きく取り沙汰された経緯があります。また、地下水汚染や地盤沈下も、その経緯や現状は殆ど知られていないのが実状です。
 嶋津さんによる講演は、詳細なデータと現場での体験を踏まえた中身の濃いものでした。右の画像(スライド表紙)またはこの文字列をクリックすると、当日のスライド(全81ページ)をご覧いただけます。
 
 スライドの一部をご紹介しつつ、ポイントをお伝えします。

はじめに 都市の自己水源である地下水
 地下水は都市用水(水道用水と工業用水)の最も良質な水源です。キャプチャ

 しかし、東京都が八ッ場ダム事業に参画し、長年、国と利根川流域の他県とともに八ッ場ダム事業を推進してきた理由の一つは、この自己水源である地下水の使用を削減することでした。

 水道水源として利用されてきた深層地下水は、主に雨水によって涵養され、土壌の濾過作用や浄化作用によって汚濁物質が除去されるので、その水質はきわめて良好です。

 東京都23区では、現在は水道用水の殆どに利根川・多摩川の河川水が使われていますが、多摩地域では今も河川水とともに地下水が使用され、地下水の割合が多い自治体の水道水ほど安全で美味しいとされます。一方、河川水の水質は、下流に流れるほど低下し、浄水場で加える塩素との反応で発がん性物質のトリハロメタンを生成するような有機物も含まれます。

地下水位の低下による地盤沈下問題
キャプチャ 地下水を過剰に汲み上げると地下水位が低下し、地盤沈下という公害を発生させます。

 東京で地盤沈下が観測され始めたのは1910年代のことで、東部低地部の江東地区でした。工業用水を大量に使用する工場などの地下水の利用が進むにつれて、1920年代には城北地区低地部でも地盤沈下が進行しました。(ゼロメートル地帯の拡大)

 これらの地区で最も地盤沈下が進行したのは1955年から1970年にかけての15年間です。

 1960年代には台地部の練馬区、板橋区、さらにその後は多摩地域の北部にも地盤沈下が広がっていき、危機的な状況が続きました。

 グラフ左=出典:平成26年地盤沈下調査報告書(東京都土木技術支援・人材育成センター)

東京都の地下水規制
 東京都は地盤沈下問題を解決するために、1970年代から厳しい地下水規制を推進し、1971年には都内の地下水利用を将来は全面的に停止する計画が立てられました。多摩地域の水道水源として現在も使われている地下水を河川水に全面転換する計画が立てられたのもこの時です。

キャプチャ

◆東京の地下水規制の経過
Ⅰ ~1960年 未規制の時代

Ⅱ 第一次規制時代(1961~1970年) (「浦和水脈説」と「経済との調和」が背景)
① 規制地域が城北・江東および都心・城南地区に限られ、
② 規制対象井戸を160~250m以浅の井戸に限定するなど、地盤沈下を抑制する上で十分に有効なものではなかった。

当時の公害対策基本法の第一条
 「経済の健全な発展との調和が図られるようにするものとする」(1970年の公害国会での改正で削除)

Ⅲ 第二次規制時代(1971年~  ) 「関東地下水盆説」と「公害対策の優先」 が背景 
 将来は都内の地下水揚水量をゼロに近づけるとして、次の施策が進められた。(地下水転換計画)

①都内のほぼ全域における井戸の新設の禁止(山間部と島しょ部を除く)(小口径井戸を除く)
②区部東部(城北・江東8区)における工業用既設井戸の廃止(工業用地下水の工業用水道への転換)
③区部におけるビル用既設井戸の廃止(ビル用地下水の水道への転換)
④多摩地域や区部西部の工業用地下水等に対する水使用合理化徹底の指導
⑤多摩地域の水道用地下水約50万㎥/日は、代替水源を確保し将来は河川水に全面転換          
キャプチャ

◆嶋津が東京都で関わった地下水対策の主な仕事◆
1972~1977年度
キャプチャ 東京都公害局 特殊公害課 地盤沈下対策係
   〇 水使用合理化基準の設定、水使用合理化指導の手引きの作成
   〇 地下水大量使用工場、指定作業場への水使用合理化の指導
   〇 地下水収支調査

1978~1983年度
  東京都多摩環境保全事務所 水質保全課 地下水規制係
   〇 地下水大量使用工場、指定作業場への水使用合理化の指導
   〇 地下水収支調査
   〇 府中の地下水汚染問題

1984年度~
  東京都公害研究所(環境科学研究所)
   〇 雨水の地下浸透に関する研究

キャプチャ

キャプチャ
沈静化した地盤沈下
 東京都による地下水規制により、地下水の汲み上げ量は大幅に減少しました。1970年に日量150万立方メートル近くあった都内の地下水揚水量は1975年には100万立方メートル/日、1986年には68万立方メートル/日と減少の一途を辿り、2013年には44万立方メートル/日にまで減少しています。
 揚水量が大幅に減少した結果、地盤沈下の状況も著しく好転しました。年間20センチメートルを超えていた最大沈下量は1975年には23区部東部、多摩地域ともに早くも5センチメートル前後となり、1989年には最大沈下量は1センチメートル程度にまで減少。2014年のデータを見ても、都内の地盤沈下は沈静化していることがわかります。

キャプチャ2キャプチャ3

◆「地下水を守る会」の運動◆
 1986年2月
  多摩地域全体を視野においた「地下水を守る会」が発足。
  一般市民の他に自然保護団体、消費者団体、労働組合などの団体が結集。
  「調布の地下水を守る会」、「国立の地下水を守る会」、「武蔵野の水を考える会」、「府中井戸ばた会議」なども設立された。
キャプチャ

地下水シンポジウム
 地下水を守る会などが、行政側と市民が地下水問題で直接意見をぶつけあう公開シンポジウム開催
キャプチャ 
第1回 1989年11月 多摩地域水道の水源転換問題
第2回 1990年12月 地下水保全条例
第3回 1992年5月  地下水汚染問題

 第1回シンポジウムを契機として、都水道局の地下水の位置づけが変った。

「利根川系の水源開発が遅れている実情に鑑み、水道用地下水を当面は水源の不足を補うものとして利用し、さらに今後とも貴重な予備的水源として、平常時はもとより渇水や震災などの緊急時にも有効に利用できるようにしていく。」
「水源開発が遅れているので、当面は地下水を利用していくが、代替水源開発後も緊急時には地下水を使わなければならないので、水質や機能の維持のため、平素から井戸を運転し、地下水を活用していく。」

◆東京都の水政策と八ッ場ダム
 東京都で地下水転換計画が進められていた1974年4月、八ッ場ダム予定地では、ダム反対期成同盟の委員長であった樋田富治郎氏(川原湯温泉・山木館当主)が民意に押し上げられて町長に就任しました。しかし、東京都の美濃部都知事はこの年9月、群馬県庁に神田知事を訪ね、八ッ場ダム事業への協力を要請しています。
 1976年、地元では、八ッ場ダム計画を組み込んだ利根川・荒川水系水資源基本計画(第四次フルプラン)に対する反対運動が大きな盛り上がりを見せましたが、国は地元の要望を無視してフルプランを策定しました。

キャプチャ このフルプランには、八ッ場ダムによって日量50万立方メートルの水道用水を東京都に供給する計画が組み込まれ、これが現在も東京都が八ッ場ダムを推進する主な理由です。

 しかし、東京都では水道の漏水防止対策や
節水機器の普及などにより、1990年代以降は
人口増加が続いているにもかかわらず年々
水需要が減少し、水余りが顕著となっています。

右グラフ:東京都では1990年代以降、
一日最大給水量が減少の一途を辿っているが、水源開発事業への参画により保有水源は増え続けている。