1月20日、例年通り、川原湯温泉では湯かけ祭りが行われました。
 王湯前の神事祭りの開始は早朝5時。マイナス9度。今年は暖冬といわれ、八ッ場ダム予定地では12月に降った雪が間もなく消え、雪のない1月を迎えましたが、さすがに寒の入りを過ぎると天候は荒れ模様となり、20日早朝は地元のおじいさんも例年にないほど、というほどの大雪でした。
(写真右=祭りの最初に、神事がとりおこなわれる。)

 湯かけ祭りのクライマックス水没予定地の川原湯温泉の泉源、王湯で行われてきた湯かけ祭りは、地元の人々が自然の恵みに感謝する行事として始まり、戦後、観光客向けに次第に華やかに繰り広げられるようになっていきました。最近では、大寒の季節の年中行事として、毎年マスコミが八ッ場ダム予定地の温泉として取り上げるようになり、祭りの場では観光客よりむしろ報道関係者が目立つほどです。
(写真右=祭りのクライマックスでくす玉が割れ、鶏が飛び出す。鶏を捕まえた組が勝ちという決まり。)

 たき火 水没予定地の川原湯温泉街では、営業している旅館はホテルゆうあい一軒のみとなり、その旅館も今年中に代替地で営業を始めることになっています。

 川原湯温泉の代替地は、水没予定地の温泉街の東側の山の中腹につくられた人工造成地です。王湯会館前にできる予定の町道は、代替地に移転した新川原湯温泉駅から旧温泉街の背後の山の中腹をぬって王湯まで来ることになっていますが、まだ道路は姿を現していません。

◆2016年1月20日12時41分 NHK首都圏
http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20160120/5152701.html
ー川原湯温泉で雪の中湯かけ祭りー

 八ッ場ダムの建設に伴って移転した群馬県長野原町の川原湯温泉で、伝統の「湯かけ祭り」が20日朝、雪が降りしきるなか行われました。
 川原湯温泉の「湯かけ祭り」は、およそ400年前に温泉のお湯が出なくなった際に、にわとりを奉納したところ、再びお湯が沸き出し、お湯をかけて喜び合ったのが始まりとされています。

 午前5時すぎ、祭り会場の共同浴場「王湯」の前で神事を行ったあと、紅組と白組に分かれた下帯姿の住民およそ50人がおけを持って現れ「お祝いだ、お祝いだ」とかけ声を響かせながらお湯を掛け合いました。
会場は雪が強まり、気温も氷点下9度まで下がる厳しい冷え込みになりましたが、威勢よくお湯がまき散らされると、辺り一面に湯気が立ちこめ、訪れた人たちも寒さを忘れて見入っていました。
 最後に会場につるされた紅白2つのくす玉に一斉にお湯をかけ、割れたくす玉の中から飛び出たにわとり2羽を捕まえて祭壇に奉納しました。
この祭りは、八ッ場ダムの建設に伴って祭り会場の共同浴場が高台に移転されてから、ことしで2回目となります。

 白組の大将を務めた篠原健さんは、「雪が降ってとても寒かったですが、一丸となって地元を盛り上げられたと思う」と話していました。

雪解かす熱気 湯かけ祭り
(読売新聞群馬版2016年1月21日) 

http://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20160120-OYTNT50407.htmla..

 長野原町の川原湯温泉で20日未明、伝統の奇祭「湯かけ祭り」が行われた。八ッ場(やんば)ダムの建設に伴い、近くの高台に移転した温泉街で行われるのは2回目。

 氷点下10度近くまで冷え込み、雪がしんしんと降る中、紅白に分かれたふんどし姿の男衆45人が「お祝いだ」と叫びながら、共同浴場前で湯を豪快にかけ合った。総大将の豊田和男さん(45)は「祭りの時に、こんなに雪が降ったのは初めて。みんなの熱気で、川原湯温泉がますます発展していければ」と話していた。

 祭りは約400年前、温泉が枯れた際、住民が祈願して再び湧き出たことを喜び、湯をかけ合ったのが始まりとされる。

 八ッ場ダムは昨年1月、計画から63年を経て本体工事が着工。今年6月にコンクリート打設の工程に入る予定だ。

群馬)厳寒に響く熱い「お祝いだー」 川原湯温泉
(朝日新聞群馬版2016年1月21日) http://digital.asahi.com/articles/ASJ1N42ZLJ1NUHNB00C.html?rm=319

八ッ場ダムの建設に伴って移転した長野原町の川原湯温泉で20日早朝、伝統の「湯かけ祭り」があった。雪が降りしきり、零下9度の寒さの中、ふんどし姿の男たちの元気な声が響いた。

 午前5時50分ごろ、総大将の豊田和男さん(45)の合図で、紅白の2組にわかれた約45人の男たちが一斉に「お祝いだー」と叫びながらおけのお湯をかけあうと、会場は熱気と湯気に包まれた。30分ほどの「合戦」が終わると、くす玉を割って2羽の鶏を湯の神に捧げた。

 湯かけ祭りは、400年以上前、温泉が出なくなった時に鶏を生けにえにして祈ると、再びお湯がわき、喜びながら湯をかけ合ったのが始まりとされる。その際に「お湯わいた」と叫んだのが転じて「お祝いだ」になったという。

 川原湯温泉協会の樋田省三会長(51)は「人口が少なくなった今も続けていくことが大事だと思う」。豊田さんは「雪が降っているのは初めてで、寒かったです。今年もお湯がもらえて、ますます発展していければいい」と話した。

—転載終わり—

 写真=水没予定地に今も残る王湯の建物。この脇に川原湯温泉の元の湯が今も湧き出て、吾妻川が流れる谷間に流れ落ちている。
 水没予定地の王湯
 
(写真提供:笠原眞弓さん)