八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

現地は、今 ー基礎岩盤掘削が進む吾妻渓谷と水没予定地

DSCF6352 八ッ場ダムの本体工事が進められている国指定名勝・吾妻渓谷。昨秋までは、渓谷内の国道を車で走ることができましたが、一年前から車両(自転車含む)通行止めです。
 紅葉シーズンは渓谷下流側の二つのパーキングに観光客の車が入りきれないほど賑わいました。関東近県だけでなく、遠く関西、四国、九州ナンバーの車もあるのは、この先の草津温泉の観光客が途中で立ち寄るせいでしょうか。 

松谷トンネル付近 吾妻渓谷の観光は、これまでは渓谷の上流にあったJR川原湯温泉駅が起点でしたが、八ッ場ダムの本体工事が渓谷上流部で始まったため、観光は下流の東吾妻町に移りました。
 裸木に覆われた岩山、雨と風に舞い落ちた葉が旧国道に敷きつめられる風景は、昨年までと変わりません。
写真右=吾妻渓谷の旧国道、松谷トンネル付近(東吾妻町)11/15撮影

 渓谷の黒々とした岩肌と吾妻川の流れは、葉が落ちた後、本来の荒々しい姿を見せます。昨年から冬季(12月~3月)は閉鎖されることになりました。今年も間もなく冬季閉鎖の時期です。

 吾妻渓谷の小蓬莱の頂上にある見晴らし台の正面には、ダム本体工事現場がひろがります。吾妻川の河床は干しあげられ、両岸の山は岩盤まで削られ、山の上には作業ヤードが造られています。ダム堤が完成すると、ここに見晴らし台より30メートル高いコンクリートのダム堤が聳え立つそうです(11/21撮影)

見晴台からの眺望

 下の写真は、渓谷上流側に設けられた展望台やんば見放台から撮った対岸の川原湯地区です。(11/16撮影)
 写真左手(下流側)では本体工事が進められていますが、川原湯地区の大栃沢周辺の岸壁や樹木は、まだ残されています。落葉により、これまで見えなかった滝見橋(赤い丸印)がうっすらと見えてきました。吾妻渓谷十勝の一つ、白糸の滝を間近に見ることができた滝見橋は、昨春には立ち入り禁止となりましたが、まだそのままの形で残されていました。あの頃、橋げたが外されたのは、観光客をあきらめさせるためだったのでしょうか。

キャプチャ滝見橋
 この写真では白糸の滝は見えません。左手に滝が見えますが(青い丸印)、これはその上の砂防ダム(左側の黄色い矢印)からの流れのようです。白糸の滝が流れていた場所は、右手の砂防ダムの下あたりです。この砂防ダムがある場所に、もとは「光琳の滝」があり、白糸の滝と合わせて二段の滝でした。
 大栃沢は大きな沢で、砂防ダムの上にある川原湯地区住民の移転地、打越代替地は大栃沢に高盛り土をして造成されました。現在、盛り土造成地の上には旅館や食堂が営業しています。ダムができれば、住宅のすぐそばまで水が溜まる予定です。

八ッ場大橋に立つ参加者 今月15日に開いた現地見学会では、吾妻渓谷とともに、八ッ場ダムの水没予定地と住民の移転代替地を見ていただきました。川原湯地区と川原畑地区の代替地を結ぶ湖面橋・八ッ場大橋も歩いて渡りました。橋のたもとには、最近ここで亡くなった方を弔う花が供えてありました。

 昨年10月に開通した八ッ場大橋からは水没予定地がよく見渡せます。穏やかな山里がダムの工事で壊されてゆくさまが手に取るようにわかります。
 下の写真は、本体工事の影響がまだ比較的少ない八ッ場大橋から上流方向です。千歳橋の手前の国道沿いに大きな青いカバーがかけてあり、遺跡の発掘調査を行っているようです。(11/21撮影)
 八ッ場大橋上流側

 こちらは、八ッ場大橋の下流方向です。右手に見えるのは川原湯地区の打越代替地です。最終的な法面はこれからつくることになっています。オレンジと白のクレーンの左手のあたりに、昨年9月まで川原湯温泉駅が営業していました。駅舎も線路もなくなり、更地になりました。(11/21撮影)

打越代替地と八ッ場大橋下流側 (2)

 同じく下流方向の写真。本体工事の掘削土で吾妻川がかなり狭められています。川原畑・二社平(じしゃだいら)という地名で知られるここは、”地すべりのデパート”とさ八ッ場ダム湖予定地でも特に危険とされ、地すべり対策が実施されるところです。本体工事の掘削土が抑え盛り土に利用されるのでしょうか。(11/21撮影)

二社平の盛り土 (2)

林地区勝沼の土捨て場 掘削土は上流にある林地区勝沼にも運ばれています。勝沼も二社平と同様、地すべり対策を実施することになっています。(写真右 11/5撮影)

《参考》国交省八ッ場ダム工事事務所ホームページより 「八ッ場ダムの貯水池周辺地すべり対策について」
http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/faq/jisuberi.htm

25トンダンプトラック 吾妻川沿いの旧国道は昨年11月、掘削土を運ぶ大型ダンプが走行することを理由に廃線手続きがとられました。ダム事業の関係者は通行証を支給されているので従来通り旧国道を利用できますが、通行証の支給を求めた地元住民の要請は却下されたままです。(写真右 11/5撮影)

 川原畑地区の西宮では、旧国道と住宅の間に防音壁が出現。国交省は工事車両の騒音を防ぐためと説明していますが、騒音は脇からも上からも届きます。
防音壁防音壁が設置されたのが10/25に国交省が実施した「やんばウオーク」の直前だったことから、水没予定地にまだ居住者がいることを見せたくなかったのだろうと、国交省の意図を推し量る人もいます。
 水没予定地の旧国道を歩いたこの「やんばウオーク」では、実際、200人の参加者の中に白い壁を不審に思った方たちがいましたが、国交省の職員は質問にきちんと答えませんでした。(写真右 11/5撮影)

 工事車両は騒音だけでなく、ホコリを舞い上げます。下の写真を見ると、旧国道周辺が土埃で煙っています。(川原畑地区の水没予定地 11/5撮影)
 旧国道の手前には、昨年9月に廃線になった線路が残されています。この線路は、ダム本体の原石を運ぶために利用される予定で、すでにベルトコンベヤーが設置されています。

土煙

大柏木トンネルとトロッコのレール 右の写真は、川原湯地区にある大柏木トンネルの入り口です。約3000メートルのトンネルの反対側に八ッ場ダムの原石山があります。原石は東吾妻町大柏木からトンネル内のベルトコンベヤーでここまで運ばれます。ベルトコンベヤーはここから吾妻川を渡る橋にも設置されており、対岸の線路を経てダム本体工事現場まで運ばれる予定です。(写真右 11/5撮影)

大沢の橋脚工事 水没予定地の川原湯温泉では、ホテルゆうあい一軒が営業を続けていますが、ゆうあいも代替地で新しい旅館の建設を始めており、来年には移転が予定されています。
 民宿や釣り堀のあった温泉街の大沢は、橋脚工事によって様変わりしてしまいました。(写真右、11/15撮影)

DSCF6278 同じく、川原湯地区の水没予定地、上湯原では、田んぼにひこばえが生えていました。北向きの川原湯ですが、吾妻川に向かって大きくせり出している上湯原は、日の短い今の時期でも、よく日が差します。ここが、いずれは水底に沈むことが信じられないような穏やかな風景です。(写真右 11/5撮影)

駅とスラグの道 上湯原の水没予定地に行くには、新しい川原湯温泉駅の脇の道を通るのですが、この砂利道には大量に有害な鉄鋼スラグが埋められているといわれます。スラグが膨張したせいか、最近、この砂利道の凹凸が以前にも増して大きくなっています。国交省八ッ場ダム工事事務所は、この道路のスラグを撤去するとは説明していません。(写真右 11/25撮影)

本体工事の巨大なライト 吾妻渓谷では、夜も巨大なライトで谷間を煌々と照らして本体工事が行われています。
 最近は夜間も発破をかけるようになりました。予告のサイレンが鳴りませんので、音響と振動の大きさにビックリします。

やんば思い出ノート 川原湯地区の代替地にある「なるほど!やんば資料館」に、ここを訪ねた人が自由に思ったことを書きつける「思い出ノート」が置いてあります。ダム工事の安全や早期完成を願う記述の中に、故郷を想う地元出身の方々の文章がありました。

ー八ッ場大橋から下を見たら急にかなしくなりました。工事車両の走るのを見て、線路や道路がなくなっているのを見て、「止めて 私のふるさとをこわさないで」と泣いてしまいました。今日はとてもつらい日になりました。

DSCF6496 ー紅葉を見に行こうかなんて冗談を言いながら遊びに来ています。久森(くもり)の小学校の裏山で給食を食べたことも懐かしい思い出です。
 川原畑から久森の小学校まで歩いてかよいましたが、土砂崩れで川原湯経由で通った事は、かなりしんどい思い出です。S君、N君、M君、H君、元気にしていますか? ダムのおかげでみんなバラバラになってしまいましたね。
 自宅を解体し、引っ越すときにはとても悲しい思いをしました。
 自宅の畑にはタヌキが出て、トウモロコシを食べていました。サルが屋根の上で遊んでいました。そんな自然に恵まれた良い地域でした。