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学習会レポート「ダムあり・ダムなし 八ッ場現地の行く末は?-ダム予定地の現状と群馬県長野原町の将来-」(2008/12/13)

八ッ場あしたの会について

(更新日:2009年9月10日)

イベント報告

学習会レポート「ダムあり・ダムなし 八ッ場現地の行く末は?
-ダム予定地の現状と群馬県長野原町の将来-」(2008/12/13)

森 明香(一橋大学院生、八ッ場あしたの会運営委員)
※テープ起こし原稿がこちらから読めます。

一年前の湯かけ祭り

川原湯温泉 王湯

私が初めて長野原町を訪れたのは、2008年1月19日のこと。その存在を知ってから、一度は大寒の日に行われる湯かけ祭りを見てみたいと思っていた。私がまだ大学3回生だった頃のことだ。いささか寂れた温泉街を歩いていくと、共同浴場の王湯の隣に舞台がしつらえられ、祭りの準備で寂れた町がにわかに活気づいていた。祭りのにぎやかさを感じる一方で、町の寂れ方は目を見張るものがあった。湯かけ祭りと休日がかぶっていたからこそ多くの宿屋が満室となっていたが、普段はそうでもないらしい。何より温泉街を歩くと店をたたんだ旅館の姿や住居跡が目についた。この町はこれからどうなるのだろう――ダムに翻弄された時間に思いを馳せながら、やるせない思いを抱いたことを覚えている。

長野原町議さんのお話

代替地、付け替え国道の予定地

2008年12月13日、ECOとしまで八ッ場あしたの会による学習会が開催された。地元の方が肌で感じている将来への不安について、町財政の面から検証していく。一言で表すと、そういう学習会だったと思う。

まず長野原町の牧山明さんから現地の様子について報告があった。町議である牧山さんは、学習会の3日前に議会で視察をしたとのことで、そのときのことも含めてお話された。本体工事に関わる工事用道路の整備は早い一方で、(全てではないものの)重要な代替地や生活道路の造成は遅々として進んでいない。人びとの不満や不安も大きくならざるをえない。何より、水没予定地全戸が移転する前に事業者が本体着工に取り掛かろうとしているという話は噴飯ものだった。淡々と話されていたが、事業者がどちらを向いて事業を進めているのかを、生活者の視線で抉り出していた。

長野原町の財政状況

現地の様子を受けて、財政学者、大和田一紘さんの報告「八ッ場から地域の再生を考える~ダム計画が長野原町の財政にもたらすもの~」が続く。報告を聞く前は、財政分析について素人の私が理解できるか心配だったが、そうした聴衆の不安を払拭するかのように大和田さんは懇切丁寧に解説してくれた。

私が理解したところによると、長野原町の財政はまず、その規模が身の丈にあっていないらしい。もともと「ラフな財政運営」をしていたところにダム計画がやってきて、将来性のない(=いつ途切れるかわからない)「諸収入」や「繰入金」、「県支出金」などの財源が歳入に占める割合が増えた。同様に、ハコモノなどハードな基盤整備に使われる「投資的経費」や、一般会計から持ち出されるいわば帳簿あわせのための「操出金」が歳出に占める割合が大きくなった。その結果として、財政規模が肥大化しているのだという。つまり、ダム計画にまつわる財源に依存する度合いの高い財政になっているのだ。

ただ長野原町当局もその危険性を理解しており、大きな額を不定期に積み立てて(いわば貯金であり、「積立金」という)いる。ところがいずれこの「積立金」は、ハコモノの維持管理等に消えていく運命にある。つまるところ、今のままダム計画によってゆがんだ財政運営を行っていけば、間違いなく破綻するのだ。さらに、他の分野での歳出は多いにもかかわらず、「民生費」、いわゆる福祉分野への歳出だけは、他の類似団体(=人口や本来の財政規模が似通った自治体を指す)に比べてきわめて低い。破綻する恐れを抱えながら採算が取れにくい福祉分野への歳出が今の段階で小さいということは…将来を想像すると暗澹たる気持ちになる。

再生の糸口

水没予定地

今のままでは決して事態は好転しない。ただ、現状を打開するポイントもある。学習会後半のクロストークの場面では、長野原町の今後を見通す明るい話も出された。長野原町の水没予定地区は人口が減り疲弊しているが、ダムが中止されれば、吾妻渓谷、川原湯温泉街など歴史を感じさせると評価の高い貴重な観光資源が残る。また、水没しない応桑地区、北軽井沢地区では、人口が増えているという。それらの地区は関東でも有数の農業生産地である。大和田さんが分析している30年前に外部融資型開発から脱却した宮崎県綾町(=もともと自給率が極めて低かったが、今では有機農業条例を整備しほとんど自給している。そうしたまちづくりの結果、図らずも観光客が絶えなくなった)の事例から考えると、長野原町には産業面で既に資源がある、ということなのだ。こうした側面から見ると、ダム計画に依存しない長野原町にしていくために下流域、都市部に住む人間にできることもある、と大和田先生は指摘する。たとえば長野原町の産業の価値を高めるために何ができるか考え、実践する。そしてダム計画がなくても自立できるんだ、ということを示す。確かにこういう点では、下流域、都市部で生活する人たちも支援ができるだろう。

いかにしてダム計画に依存せず、自立した財政運営を可能にする方向に長野原町を持っていくか。実は、長野原町の方々が最も頭を悩ませているのかもしれない。「とにかくダムが撤退すれば生活再建が早まるんだ。これ(ダム事業)をやってる限りは7年も10年も先行かなきゃやれねぇよ」。牧山さんが紹介した水没予定地の方の言葉は、それを物語っているのではないだろうか。