八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

アーサー・ビナード講演会「だます人、だまされる人と、どっちが悪い?」原発止めよう群馬と共催(群馬会館 2014年9月21日)

八ッ場あしたの会について

(更新日:2014年12月5日)

イベント報告

2014年9月21日 群馬会館 八ッ場あしたの会、原発止めよう群馬 共催

アーサー・ビナード講演会 「だます人と、だまされる人と、どっちが悪い?」

新しい「レンズ」で見る

アーサー・ビナードさん

アーサー・ビナードさん

最初に、主催者から講演会の提案をいただいた時、稲刈りの季節なのにいいのかなと思ったんです。後で調べてみたら、群馬の食料自給率は三割台、田んぼをやっていない人が圧倒的に多い。
僕は前橋に来るとき、どうしても萩原朔太郎のことが頭に浮かんできて、朔太郎の詩を読み返しながら来たんですけど、今日の話は朔太郎が中心になると全然八ッ場の問題に切り込めないので、ちょっと朔太郎の亡霊を追い払うつもりで、最初に僕が一番好きな朔太郎の詩を読みます。
英語では on the way 「行く途中」あるいは「旅の途中」と訳したんですが、日本語では旅の上と書いて「旅上」というタイトルです。

 旅上
 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背廣をきて
 きままなる旅にいでてみん。
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに。

ちょっとした旅なんだけど、「ふらんす」という言葉を入れて、「新しき背廣」を着ることで、景色が違って見える。ホントは群馬県の県境を越えていないかもしれない。だけど、いつもの景色とは違う。
僕らが八ッ場ダムを見る時、たぶん新しいレンズが必要になってきた時期じゃないかという気がしているんです。八ッ場ダム、それから原発の問題も、新しいレンズを見つけて、それで見つめ直して、そこにワクワクするような、興味をそそられるような感覚を見出さないと、長いことやっていると飽きちゃうんじゃないかという気がする。せめて楽しみがないと。

いつから堰がダムに変わったのか

なんで日本語でダムっていうの? 英語ではもちろんDAMっていうんですけど。ダムって日本語でなんていうの? 「溜め池?」「堤防?」「貯水池」・・・
でも溜め池を作るために必要なものがあるでしょう。
「堰」 堰だね! もともと日本語にあったのは「堰」ですよね。いつから堰がダムに変わったのかなあと思うんです。
昔から日本語には堰という言葉があって、田んぼをやって、水を使って、棚田を作って、いろんな川の生き物をうまく取るために、あるいは方向を変えて水を使う・・・ずうっと昔から日本列島だけじゃなく、世界中で堰が使われていて、でも特に日本は小規模で水を巧みに使う文化があって、それが日本の農業に繋がっていく。この堰がダムに変わった時点で、生活のために必要だったものが、生活を食い荒らす利権構造に変わっていったんじゃないかなあと言う気がする。
20140921_event堰を造って、溜め池をつくることは太古の昔から行われていて、溜め池は生活の中で役に立つものだったんだけれど、溜め池がダムに変わると、ある地域の生活を水没させて潰す、ある地域の人々が受け継いできたものが、全て破壊されて抹殺されて、消えてしまう。生活の中で役に立っていたはずの堰が、生活を潰していく装置に変わる。誰かの生活が潰されると、誰かが儲かる。誰かの生活が犠牲になれば誰かの利益になってゆく。ただし、それをずうっとやっていくと、いつか潰すべきものが枯渇して、利益の元も使えなくなる。日本はそういう道を歩んでいる気がする。
もう一回見直すと、朔太郎の窓の外の「ふらんす」じゃないけれど、ちょっと昔の人たちが川を見つめたような、いいレンズが使えるような気がする。

堰という字を覚えた時、自分の母国のダムの見方も変わったような感覚を覚えたんです。僕はちっちゃい頃ダムがいっぱいあるミシガン州というところに生まれ育って、ダムがどういう風に川を破壊してゆくかということも、自分の生活の中でみてきたんです。
僕が高校生、大学生くらいの頃から、もうダムはそろそろ壊して川を元に戻すべきだという声が高まって、その流れは北米では少しずつ少しずつ大きくなっている。
日本はカリフォルニア州くらいの面積かな。こんな狭いところに、こんなにダムがあるなんて! 関東の地図を見ただけでも、唖然としてしまいますよね。一つだけじゃない。同じ川を何度苛めるのか。日本にはダムが多いというのも、僕にとっては驚きだった。
でも、堰という言葉を漢字として使える道具になった時、それが僕にとっては言語的に脱ダムの入り口だった。ダムは大規模な自然破壊をやるもので、堰は生活の範囲内で、みんなが決めてやれるもの。ダムは権力者が押しつけてくるもの。

石という字から見えてくる経済の基本は、食糧と人

堰という字に出会う前に、僕はもう一つ重要なレンズを日本語からもらったんです。こっちの方の『せき』(ボードに石の字を書く)。『こく』って皆さんわかりますよね。何をはかるんですか? 玄米ですよね。年貢米の玄米。加賀百万石とか五万石とか。『こく』が僕にとって、全く違う経済と権力構造があった日本の、そして里山が経済の一番の中心だった頃の時代への入り口になって、量る単位としての言葉としての石に大事な意味があるんだと知った。

水没予定地の田んぼ

水没予定地の田んぼ

というのは、どうやら一石は一人の人間、一人の成人男性がだいたい一年間生きてゆくために必要な玄米。だから一石は権力に、経済に置き換えた時、一人の人間の労働力ということにもなる。それが戦力、つまり、ある地域の権力者が抱えている人数なんです。ですから五万石イコール五万人を養う経済力。五万人の労働のために必要な食糧。五万石が五万人の一年の生活、一年の経済の下支え、足場になる。ですから一つの地域の経済力を測る時、何が基本になるかといえば玄米の単位。食糧が経済の基本になっていることが一つの漢字の意味からみえてくる。
人間が基本になって、食糧が基本になって、その上に経済と権力構造が成り立っていると、たぶんダムは在りえない。だってダムを造るということは、この経済を破綻させること。八ッ場ダムを造ったら、石が失われる、確実に。誰も食糧生産をやっていない首都圏に水を流すなんて、意味ないじゃん。東京に水を与えてどうするの? 全部コンクリートだからなんにも生えてこない。群馬の食料自給率が三割台、東京はゼロ%。ゼロというと、練馬大根を作っている絶滅に瀕してる二人の農家さんが怒るかもしれないけど、そんなもんです。
そんなところに水を流したって、これから人口は減るばかりだし、こっちの豊かな可能性をはらんだ山、生きていく現場として生命力を今もたくさん与えてるところを水没させるということは、堰と何百石という言葉が生きていた時代にはありえなかった。
今、堰がダムに変わって、一石はどのくらい? と聞いてもすぐには返事ができない日本語になって、じゃあ政治は何をやっているか。今、永田町で政治の実権を握っている人たちは、どういう政治をやってるか。“石潰し”ですよね。

その最たる『石潰し』の元祖が中曽根康弘だと思うんです。中曽根さんの漫才の相棒だった正力松太郎・・・ある意味、二人のコンビで『石潰し日本』を作ったとも言えるかもしれない。
中曽根さんはそんな大物でもないんだけど、大物の演出に成功している。僕は日本が坊や扱いされているのをアメリカの中で見ていて、1990年に日本に来て日本語を学んでいく中で、中曽根康弘のことを調べていったら、もちろんダムのこともいろいろ見えてきたんですけど、中曽根さんという政治家が、そもそも何やったかっていうと、日本の核武装。もちろん、核武装とは言わない。広告代理店がでっち上げた言葉で言うと『平和利用』。ホントのこと言うと、『核開発』。でもホントのこと言っちゃいけない。で、この人がどうやら平和利用の最初のペテンの立ち上げに深くかかわった事がある時わかったんです。

ベン・シャーンと第五福竜丸

 実は中曽根さんのことを調べようと思って出発したわけじゃなくて、僕は二十世紀のアメリカの美術を代表するベン・シャーンという画家と組んで、絵本を作ることになった。
僕は67年生まれなんですけど、1969年、僕が一歳半の時にベン・シャーンがこの世を去ったので、本人はもうこの世にいなかった。でも、ベン・シャーンの絵とベン・シャーンの考え方と、ベン・シャーンが表現したことと綱引きしながら一緒に本を作ることになった。
そうしてできた『ここが家だ』という本は、第五福竜丸の乗組員たちの物語です。

第五福竜丸という日本の遠洋マグロはえ縄漁船があって、焼津という静岡の漁港が母港で、1954年1月22日に焼津を出港。ミッドウェイを経てマーシャル諸島の海で、はえ縄漁をやったんです。
第五福竜丸は確かビキニ環礁から50~60キロくらい離れたところで操業してたんですけど、1954年3月1日の朝未明、まだ太陽が昇って来る前に、西の空に太陽が昇ったのをみんなが目撃した。バケモノのようなものが空高く昇ってきて、それを見た瞬間、23人の乗組員の中で一番先輩の久保山愛吉という無線長は「あ、これはピカだ」と思ったんです。
それから6分、7分、8分経って、ドドドーーン! と爆音。久保山愛吉は日本軍が監視のために利用した漁船に乗った経験を踏まえて、ピカを使った実験を行ったアメリカの軍隊に見つかったら、証拠隠滅の一環として消される、見つかったらアウトだ、でも、もし見つからなかったら生きて帰れる、そう危機的状況の中で、生き残るために23人が力を合わせて何をすべきかと考えた。
久保山さんは仲間に指示する。船が見えたら、あるいは飛行機が見えたら俺に知らせろ。その時は焼津に私たちがここにいるんだって無線を打つ。そうでなければ、無線は打たない。
彼は徴用船の経験があったから、慌ててパニックに陥って焼津に無線を打つと、それが傍受されて自分たちが消されると知っていた。焼津に生きて帰る可能性が残されているなら、自分たちが気付かれずに焼津に戻るしかない。だから無線を打たない。でも飛行機が見えたら、あるいは船が見えたら無線を打つ。「俺たちはここにいたんだぞ」という情報を発信して、それから沈むだけ。
3月1日未明、広島原爆に換算すると、千発分の爆発力の水爆に彼らは遭遇して、もろに死の灰を浴びて、すさまじい内部被曝になって、全てが放射性物質まみれになって・・・みるみる顔は黒ずんで、最初は気分が悪くなって何も食べられない。下痢して頭が痛くなって吐いて、おできが出来てくる。髪の毛がぞろぞろ抜ける。そいういすさまじい状況の中で、彼らは助けを求めることなく、二週間耐えて焼津に戻った。“死の灰を浴びた可哀そうな23人”の第五福竜丸の乗組員とよく言われるんですけど、可哀そうな23人じゃなくて、英雄ですよ。彼らは危機的状況の中で生き残るために必要なことを全てやって、死の灰を浴びながら帰ってきた。死の灰を冷静にかき集めて空き瓶に入れてサンプルを取った。サンプルをこっそり持って焼津に戻って、読売新聞がスクープ! 正力松太郎の新聞によって可哀そうな23人の小さな被害者の物語に作り変えられ、歪曲されていることに、僕は途中で気づいたんです。

彼らは可哀そうなやつらなんかじゃない。20世紀最大の物語。彼らは人類が核の冬を回避して生き残るための証拠を海でつかんで、空き瓶に入れて持ってきて、御用学者以外の学者に手渡して調べてもらった。間違いなくこれは原爆じゃなくて水爆だという証拠までとっちゃった。米政府が一番やってほしくないことを、アメリカ国防総省が一番いやがることを、それも平和的に、相手が水爆を使っているのに、こっちは無線を打たずに生き残っている。
焼津について、見つかったらすぐみんな大騒ぎするから、セリの時間が終わるのを沖合でじーっと待って、セリが終わった後にそーっと港に入る。船主の所に行って、医者のところに行って、そのあたりからどうも大変なことになっているらしという情報が伝わる。読売新聞がそれを次の次の日の朝刊に大きく取り上げることになるんですー「邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇 死の灰 水爆か」。

1954年に始まった「原子力の平和利用」キャンペーン

読売の記者たちは当時、核分裂とかプルトニウムとか一生懸命勉強していた。これは1954年の春のことです。これから何が始まるか、みなさんご存知ですよね。
歴史を振り返ると、アメリカ国民と日本国民のオタンコナスたちを騙すための巨大なコマーシャルのキャンペーンが仕込まれていた。1953年、八ッ場ダムの計画が初めて発表された次の年に、アメリカでキャンペーンが始まって、日本のコマーシャルが堰を切るような形で出てくる時代。「原子力の平和利用」というキャンペーンのPR紙は読売新聞。
アイゼンハワー大統領がpeaceと言う言葉を見事に歪曲して、いいキャンペーンを作ったんです。20世紀の輝かしいペテンの歴史の中で、最高傑作の候補の一つ“atomic for peace”―『平和のための原子力』、『平和のための核開発』。アイゼンハワー政権の広報担当、いってみれば世界で一番大きな広告代理店であるホワイトハウスがこの言葉を作って、下請けの永田町に仕事を降ろした…。
1954年のはじめから米政府、ホワイトハウスが作った“atomic for peace”というペテン、逆転が始まって、原子力の平和利用を一番積極的にPRした読売新聞は、その前から仕込みをやっていた。アイゼンハワー政権から命令を受けて、新米記者たちに核分裂とかプルトニウムとか、基本的な物理学の用語を教えなきゃいけない。だから第五福竜丸の乗組員たちが焼津に戻った時に、ピンときたのが読売新聞の記者だったんじゃないかと僕は推測する。あるいは邪推する。

第五福竜丸と同時進行の日本の核利用工作

久保山さんたちは1954年の3月1日に水爆に遭遇する。米政府も日本政府も、いつも水爆実験と呼ぶ。でも実験と言っても、核実験は核使用と同じです。どこでやっても、降ってくる死の灰の量、核分裂の汚染は同じなんです。
その『実験』と歴史上で呼ばれる1954年3月1日の犯罪の名は“ブラボー!”というコード名。
もちろんこれで終わるんじゃないです。久保山さんたちが焼津に生き残ろうとして戻ってくる間に二発目、三発目、四発目、五発目までやった。その時の死の灰が北半球をぐるーっと回って、今もちゃんと地層を調べると出てくる。

八ッ場ダムの歴史は『八ッ場ダム』の本にも、今日の素敵な資料にも書いてありますけど、八ッ場ダム計画が最初に発表されたのは1952年5月16日。「サンフランシスコ講和条約が発効してから二週間余りしか経っておらず、わが国は第二次世界大戦の占領時代に別れを告げたばかりでした」―こう真面目に書いていただいているんですけど、僕が読むと、第二次世界大戦後の占領時代に別れを告げたのはいつですか? と思う。日本はいつ独立するの? 69年間占領が続いているじゃんと見ちゃうんです。
それはともかく、歴史を重ねて八ッ場ダムとサンフランシスコ講和条約を同じ時間軸で見る、と八ッ場ダムのもう一つの違う側面が見えてくる。第五福竜丸もそう。

1954年3月―八ッ場ダムの計画発表から1年と10か月経っていました。サンフランシスコ講和条約発効が1952年。1954年当時、米国内ではもう原爆は商品として随分PRして、歴史の事実を思いきり歪曲して、「原爆は必要だった。原爆は正しかった」というPRキャンペーンをやって、日本国民は玉音放送などにだまくらかされて、戦争が原爆で終わったという真っ赤なウソを大部分の日本人も飲み込んでいた時代です。
敗戦から7年。そもそも戦争を終わらせるために何の役にも立たなかった原爆を、今度は平和利用で役立たせようというペテンキャンペーン。原爆を一気にピカッとやらないで、圧力釜の中でじりじりやる原爆を売り込んで、アンポンタンの日本人に発電機として売る。
そのキャンペーンが始まる時に、正力さんと中曽根さんが中心になって動くんですね。
何をやったか。もちろん読売新聞がフル稼働でPRに乗り出す。第五福竜丸の乗組員が死の灰を浴びた日にはもうキャンペーンが始まっているんです。
キャンペーンと歩調を合わせた形で、国会の裏工作が進んでいた。これも正力さんや中曽根さんがやっていた。
第五福竜丸の乗組員が、はえ縄漁をやっている最中に死の灰を浴びせられた、その時ですよ。永田町で正力松太郎と中曽根康弘が平和利用の最初の予算を組んでいる。「原子力の平和利用」という言葉を使って予算を組んで、皆さんの税金を核分裂の連鎖反応に注ぎ込んで、「平和利用」の名の下で日本が核開発に乗り出すというペテンをでっち上げた。隠して隠して、突如ポーンと衆議院予算委員会に予算を出して成立させたのが三月のはじめ。久保山さんたちが死の灰を浴びている最中に、永田町では死の灰作りのための、そしてプルトニウム作りのための予算が組まれて、提出されて通っちゃった。多くの日本人が気づいた時には、もう国会を通っていたんです。金額はみなさん、もちろんご存知ですよね。
「2億3500万円」―そうです。その数字はどこから出てきたの?
「ウラン235」―そうです。ウラン235はこの地球にある物質。僕らが掘り出して利用できる物質で唯一核分裂する。あんまりたくさんは存在しないんですけど、ウラン鉱山から鉱石を掘り出して、中身を調べると99.3%はウラン238―劣化ウランと呼ばれるものが入っているんですけど、ほんの0.7%が235。この物質は日本のどこで使われた? 「広島」
広島の人々を一瞬にして7万人ほど殺して、そして1945年の末までに更に約7万人の命を奪ったウラニウム235という大量虐殺の原料になった物質を駄洒落に使って、何の根拠もないし、やる事も何も決まっていない、ただ利権構造をでっち上げるための2億3500万円なんですけど、それくらいがいいだろうということで予算を組んで成立させた。
第五福竜丸の乗組員が被曝して、久保山さんは半年の命になっている時、日本は平和利用のペテンの中に組み込まれていたんです。今も続く原発の利権構造がここから始まった。全く同時です。これを工作員として実行しているのが中曽根康弘と正力松太郎。
僕は念のために言いますけど、中曽根さんたちに何の恨みもない。ただ僕から見れば、どうしても大物の政治家には見えない。それは多分、視点の問題だと思うんです。僕はアメリカに生まれ育ったので、アイゼンハワーから見ると正力さんとか中曽根さん、ロンヤス、そんなもんじゃない。もう従順に100%従うんですよね。自分の意思で政治をやった形跡は一つもない。
キッシンジャーの腹話術。葱太郎(正力松太郎)と康鴨(中曽根康弘)の鴨葱コンビが皆さんの税金が永遠に米国の核開発の企業の餌食になる構造を作った。今もそう。福島で誰が儲かったのか。福島はこれからどういう風に利権の餌として使われるか。あるいは東京オリンピック。誰がこれから儲かるのかと突き詰めていくと、みんな吸い取られて多国籍企業にすーっと行く。ホワイトハウスのPRによって餌食になってゆく。これが核開発の基本です。
正力葱太郎と中曽根康鴨はもしかしたら、日本が核を持てば日本も立派な一流国家、一等国家に成れるかもしれないという幻想を抱いていたかもしれない。CIAから資金をもらいながら。
でも残念ながらそれは幻想にすぎず、全くの袋小路で、核のからくりは出口がない。骨の髄のストロンチウムまでしゃぶられる。筋肉の髄のセシウム237までしゃぶられる。この流れが本格的に核という形で決定したのが1954年の春。そのことを見つめるレンズになったのが、僕の場合は第五福竜丸。

第五福竜丸というレンズを通して見えてきたもの

第五福竜丸の物語は小さな可哀そうな被害者の物語じゃないんだと、僕はずっと思ってきました。そしてベン・シャーンという画家も同じように、第五福竜丸の乗組員が成し遂げたことが人類にとって、どういう意味を持っているのかを描いたから、ベン・シャーンの絵と綱引きしながら僕が語る事ができれば、第五福竜丸の本質が見えてくるかもしれない。そういうところから出発して何度も何度も、ベン・シャーンの力強い絵に引き倒されながら本を作っていったら、ある時、その歴史的背景を見つめようとした時、核の平和利用と第五福竜丸が全て同時だったんだと重なった。久保山さんの被曝と中曽根さんの2億3500万が同時に起きていた。第五福竜丸の乗組員たちが生き証人になって、アメリカ国防総省と戦って勝利して日本に戻って、そして語って、そこから始まった市民運動が核廃絶を目指す市民運動なんです。
真っ先に立ち上がったのは日本の母親たち。署名運動が始まるんですね。この市民の運動と、今の言葉で言うと『原子力ムラ』との闘い、2億3500万円に最初にたかってきた御用学者とか企業とかが公金で作っていった巨大な利権構造…巨大と言ってもアメリカの原子ムラの、その分家に過ぎない。
東電が悪いといったって、東電に決定権はない。パフォーマンスをやっているだけ。下請けだよ。だから国際原子力ムラという巨大な組織の中に組み込まれている日本の原子力ムラの流れと、市民が核に終止符を打とうと、被曝をなんとか避けようと、子どもたちにとんでもない汚染の山と海を手渡さないでなんとか生きてゆける環境を手渡したいという運動と、全てが重なっているんです。
その重なり合いを、僕は第五福竜丸から見つめて、少しずつ少しずつわかっていなかった母国の歴史も含めて、そこから見えてきた。ですから僕にとって第五福竜丸は、自分の生まれ育った国の権力と日本の実態を見つめるレンズです。

広島のピカを体験した方の話に学ぶ

第五福竜丸のことが少しわかって、そこからもう一度広島に目を向けて、広島に通い出して、いろんな意味で僕は広島から自分の生き方を教えてもらったと言えると思います。
どうしようかな、と迷う時、1945年8月6日を体験した人たち、あるいはその直後に広島に入った人たちが語った言葉をいつも自分の参考書みたいにするようなところがあるんです。
どういう風にみんなで力をあわせて原子力ムラ、あるいはペテン経済と戦えるか。みんながいがみ合ったり、本当に立ち向かわなきゃいけない相手に挑むことができずに自分たちが分裂している時、いつもそういう時に広島のある方が語った言葉が頭に浮かびます。

その人は1945年8月6日の朝、家がすさまじい爆風で壊れて、そして隣の家も見渡す限り建物がみんな壊れて、奇跡的に擦り傷ですんだんですけど、外に出たら、隣の娘さんが家の中で木片が額に刺さって亡くなってたんですね。身体もずたずたに切られたんですけど、お母さんは火傷と擦り傷ですんで、その娘の遺体の残っている部分を乳母車に乗せて外に出ていた。その娘さんの額に垂木が刺さっているから、お母さんは娘の顔を見つめて全身の力を込めて「この垂木めー!」と叫んでいたらしいです。お母さんが垂木を抜こうとしたら、血がドボドボドボッと出て来たから、お母さんはまた差し込んで、そしてまた憎しみを込めて「この垂木めー!」って叫んだらしいです。それから乳母車を押して去って行った。

冷静に考えれば、この垂木は別に悪くないんです。垂木だってずっと家の重要な木材としてそこに居たかったはず。垂木は娘を殺そうと思ったわけじゃない。でも突然広島の上空で核分裂の連鎖反応が引き起こされたんです。ウラン鉱石には核分裂の連鎖反応を引き起こすほどの濃度はないので、これは自然界では起きない事です。陸軍省(国防総省は1947年に作られた)が極秘に進めていたウラン235の濃縮、組立、そしてエノラゲイという爆撃機がテニアン島から飛び立って広島の上空に投下して、580メートル位のところで核分裂の連鎖反応を引き起こした。
だれがやったかわかっている。なんでやったかは、歴史の定説を飲まされたまんまではわからないけど、掘り下げれば誰でもわかる話。でもアメリカ陸軍省は広島の一般市民には見えない存在。エノラゲイだって見た人はほんの一握り。で、いきなりピカーッと光ってみんなの生活が一瞬にして破壊されて、爆風で家が粉々に壊れて、その爆風を受けた垂木と、爆風を受けた娘がその中で合体した。娘は命を奪われた。どちらも完全にやられている側なんですね。まさに被害者。それをお母さんが娘さんのことを思って「この垂木めー!」と叫んで、垂木を憎しむ。
たびたび市民運動で僕らも同じことをやっちゃうんですね。目の前に居る人を、目の前にいるから怒っちゃう。アメリカ国防総省はなかなか群馬に来ないんです。まあ、沖縄には行ったりするんですけど。国際原子力ムラの本当の実権を握ってる人たちは居ないんです。出てくるのは下っ端の役人とか、原子力規制委員会の田中俊一とか。
たぶん怒りはこの現場にいない人に対するエネルギーとして使わなければいけないんです。
このお母さんはなんにも知らない。8月6日の朝です。どういう事が起きたかもわからずに、全身の力を込めて垂木を罵っているんです。時々僕らも同じように、見えているはずなのに、見えなくなってぶつかり合う。
たぶん原発の問題、それからダムの問題も、反対派と推進派に分かれるんですよね。
八ッ場ダムもそうです。ずっと60年以上、推進派と反対派。だけど推進派と反対派は娘と垂木なんです。推進派も餌食になる。反対派も餌食にされる。対立してぶつかり合っている間は出口はない。
出口はどこで見出せるかといえば、僕らを飲み込んでいる組織の歯車を止めた時に、やっと出口が見えてくると思います。
八ッ場ダムで得する人はほんの一握り。地元の土建業者だって、マンハッタン計画のプルトニウム作りに使った金を考えたら、ホントのマネーを握ってる人たちにとっては、マネーでもなんでもない。でも僕らにとっては大金だよね。

アメリカにとって重要だったのは、ニューメキシコと長崎

決定権を握っている人たちにとって、僕らの動きはアリンコ。ホントに小さな小さな存在にすぎない。でも僕らが小さな存在としてできることはある。ダムだって止められる。どうやって止めるか。この広島の人たちからたくさんのことを教わったと言ったんですけど、たぶんその中でも一番僕にとって大きな大きな世界を見つめるレンズになったのは、広島の人たちが作った言葉。
僕はアメリカに生まれ育っているから、原爆のことはatomic bombと呼ぶ。原子の爆弾が縮まって原爆。それからnuclear weapon、こういう言葉を使いながら学校の先生が原爆のことを教えてくれた。
第二次世界大戦―アメリカが勝利した、輝かしい、正義の戦いという演出の中で出てきたんですけど、先生に言わせると「atomic bombが戦争を早く終わらせるために作られた。なかなか戦争をやめない大日本帝国に対して、広島に一発、そして長崎に一発。その原爆投下によって戦争が早く終わったから、多くの人の命が助かった。もし原爆を使わないで戦争を続けていたならば、もっとたくさんの人、米兵もたくさん死んだだろうし、日本人だってもっとたくさんの命が失われただろうから、これは正しかった。必要だった。戦争を早く終わらせたmiracleの新兵器で、これを作ったアメリカは正しい」
みなさんも同じ教育ですか? どういう風に教わりましたか?

人類初の原爆はどこで使われたか? 最初の原爆は、日本の教育では、あるいは日本のマスコミの語る歴史では、まずは広島が8月6日にきて、8月9日に長崎が巡って来るんですけど、実は広島が二発目、長崎が三発目で、一発目はニューメキシコ。
ニューメキシコは、同じ1945年の7月16日。ニューメキシコでやったのも立派な原爆。ニューメキシコの市民に死の灰を降らせ、広大な土地を核汚染した。別に軽くすんだわけじゃない。
きのこ雲があがって、その前にピカーって凄まじい閃光があって、みんなビックリして通報したんですけど、警察署が米軍から前もってこういう風に答えなさいとお達しがあって、みんなが通報した時、「大丈夫です。米軍の基地の火薬庫が思わぬ事故で死者もけが人もないようなので、どうぞご安心ください」―まあ、福島の時と同じだよね。「大丈夫です。大丈夫です。メルトダウンしてません。炉心溶融ないです」と言っているようなもの。「へ~ホントかな~」「火薬庫の爆発かね~」みんな怪しみながら、外に出て農作業したり、洗濯もの干したりして、死の灰を浴びている。でもそんな被曝は誰も認めない。ニューメキシコと広島と8月9日の長崎は、全部繋がっている。
広島のウラン235、長崎のプルトニウム239。どっちも核分裂するし、どっちも大量虐殺の道具にされたときatomic bombという名前がついて、日本語に訳された時に原爆となっちゃったから、同じようなものだってみんな錯覚するんですけど、でも実は大きな違いがあるんです。

ニューメキシコはどっちだと思いますか? 年末までに亡くなった人の数は、長崎より広島の方が多い。ところが、装置として、破壊力として、人を殺して破壊する威力を比べたら、長崎の方が圧倒的に大きい。米政府は広島のウラン弾には何の興味もない。本格的な核兵器は全てプルトニウム。プルトニウムを作るためにマンハッタン計画が動いているんです。7月16日と8月9日― これはセットです。ですから歴史を見る時、カレンダーを真に受けちゃダメです。
毎年、毎年8月6日がちょっと大きく取り上げられる。毎年、毎年、毎年、毎年、長崎がちょっと小さく取り上げられる。どうでもいいやつを先に、本格的なやつは後で落す。落した側は余裕で皆さんの心理を読んでいる。先にカモフラージュになるやつを落とす。そしてニューメキシコでばっちり前もって実験したやつを長崎に落す。皆さんもわかるでしょう。一人目の子供が生まれた時、すごい注目度だったでしょう。貰うものも凄いよね。二人目生んでごらんなさい。何もくれやしない。これが人間の心理。
この心理を巧みに読み解いて、歴史を歪曲して皆さんを無知蒙昧の罠に嵌めているのがペテンタゴン(国防総省)でしょう。広告代理店でしょう。平和利用のキャンペーンをやっているやつが、そういう心理をバッチリ読んで演出する。プルトニウムは後。どうしてかというと、後のものを見られちゃ困るんです。広島とは徹底的に違うから。
僕は広島は人類の歴史の中で一番大事な、ひょっとしたらこれ以上歴史を見抜くレンズはないと思うんです。

広島の人たちが使った「ピカ」と「ピカドン」という言葉

キャプチャ「さがしています」第五福竜丸の本の後に『さがしています』という絵本を作りました。この絵本は全て、広島の人々が語ってくれたことが土台になっている。本では語れなかった人たちが生活の中で使っていたモノが語る。
僕は基本的には核兵器とか原子爆弾という言葉は自分の言葉としては使わない。広島の上空で、長崎の上空で引き起こされたピカ。広島に初めて行って、広島で原爆を体験した人の話を直接聞いたら、その女性は不思議なことに原爆とか原子爆弾とか核兵器という言葉を使わなかった。なんていう言葉になるんかなあと聞いていたら、“ピカドン”。それは8月6日の午前中に広島の人たちが作った言葉。ピカとピカドンは広島の人たちの造語として、8月9日にプルトニウムが長崎で使われた時に、もう伝わっていたんです。
この言葉を使うとどうなるかというと、立ち位置が変わる。原爆というと、どうしても原爆を作った人たちの立ち位置。言葉には一つ一つ立ち位置が組み込まれている。atomic bombはウランの濃縮をやってプルトニウム作りに取り組んだ人たちが当然肯定するつもりで使った言葉。
nuclear weapon これも肯定する視線、完全に上から目線で作られた、落す側の言語です。落す側の言語が直訳で日本語になっても、その視点は同じです。
ですから皆さんが広島の原爆と言った時、あなたはエノラゲイに乗って上から見下ろしている。核兵器と言ったらもっと遠い。ホワイトハウスから見ている、アメリカ国防総省ペテンタゴンとして。
そういう言葉としてアメリカ国防総省が好んで使うのがnuclear weapon、日本語で核兵器。でも核はちょっとイメージ悪いから、原子力の平和利用ってなるんです。

みなさん、なんにも疑う事もなく、普通に原爆の話をする時、きのこ雲って言うでしょ。きのこ雲って英語の訳語でmushroom cloud マッシュルームクラウド。
きのこ雲ってどこから、誰が見た? そう、きのこ雲の写真ってあるでしょう。きのこ雲の写真は遠くから、飛行機から撮ると、きのこに見える。エノラゲイの下にマッシュルームクラウド。僕が一番最初に出会った広島の体験者はピカという言葉を使ったんですけど、彼女はきのこ雲を見ていないんです。
さっき紹介した「垂木めー!」のお母さんも、きのこ雲を見ていない。きのこ雲の真っ暗闇の地獄の中なので、広島の中心部に居た人たちで、きのこ雲を見た人はいないんです。きのこ雲の写真には「私は関係ないんです。私は風上で見ています。私は遠いところから悠長な気分で見ています」という視点が暗に組み込まれている。みなさんが原爆のきのこ雲って言った時、もう自分の立ち位置を示している。きのこ雲が平気で使えると、つい核兵器も平気で使える。使っているうちにだんだん他人事になっていく。上から目線で。
与えられているレンズだけで世界を見ている多くのアメリカ国民には、ピカという視点はない。僕もその視点が無く育って日本に来た。ピカという言葉に出会った時、自分が相生橋に立って上空を見ている、ピカっていう立ち位置を広島の人たちから教わった。自分がそこに立って自分の母国の歴史を見つめると、どうしても中学校の先生、高校の歴史の先生が言っていた、「原爆は必要だった。正しかった」という話は通らない。相生橋に立って、本川小学校に立って、あるいは浦上天主堂に立って自分がピカというレンズで、そこで引き起こされた核分裂を捉えた時、アメリカの歴史がずーっと唱えてきた定説は成り立たない。成り立たない定説をどうやって解体するか。このピカというレンズをもらって、『さがしています』という本が生まれて、見つかった。
物理学の専門知識がなくても、詩人じゃなくても、アメリカの政府がずっと維持してきた、教育現場で広めてきた定説を否定できる。この定説は基本的には日本の教育の中で出てくる、あるいは日本のマスコミが69年間、ずっと維持してきた定説と変わらない。玉音放送の「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し」と基本的なところは全然変わらない。
米政府が原爆を作って、原爆を落として、戦争を終わらせた、と多くの日本の国民が思っている。なんで僕が40歳になるまで、それが見えなかったかというと、ちゃんと長崎と広島とニューメキシコをわかっているつもりだったのに、澄み切ったレンズで見ていなかったからです。ぼくのレンズは古かった、というか慣れっこになっていた。
朔太郎のレンズで景色を見たいなあと言ったんだけど、僕にとって旅に誘ってくれて、新しいレンズを与えてくれたのは、この本に登場する14の語り部たち。れいこちゃんという女の子が食べるはずだった弁当箱が平和祈念資料館にあった。この弁当箱と数年にわたって見つめ合って、それでこの場面を弁当箱から切り取った話を日本語に翻訳して作ったんです。

核分裂の連鎖反応って何?

ウランは天然の物質。ウランが埋まっているところを見つけて、掘ったウランを濃縮して、ウラン238という物質を捨ててウラン235だけ残して精度を高めてゆくと、広島のピカの原料になる。広島のピカは、まさにウランの大きな塊を二つ作ってそれを上空で合体させて、核分裂の連鎖反応を引き起こした。みなさんはもちろん物理に強いと思うので、核分裂の連鎖反応を説明しなくていいですよね。バッチリオッケー!って方はどのくらい? ゼロ?

ちょっとだけ基礎知識としてやりますね。核分裂の連鎖反応って講師として一番やばい話。これやると、一生懸命説明して、書いて、ふと振り返ると八割の人が寝ているんです。一番危険なネタ。(笑)
中性子をウラン235に鉄砲の弾みたいに当てるんです。で、パカッと割れて、中性子を出して、エネルギーを出して、熱線、放射線出して、セシウム130とかストロンチウム90とかコバルト60とか、そういう物質に化けるんです。そのパカッと割れた時に、中性子も出る。一個の中性子を割った時、二個の中性子が出る。中には気前のいいやつもいて、三個出す奴もいる。でもだいたい二個。で、一個の中性子で一個のウランの電子核を割って、ここにも、ここにもウラン235があるからまた中性子が当たる。そうするとここからもパカッと割れて、熱線と放射線が出て、ストロンチウム90とかクリプトン85とか甲状腺をやっつけるヨウ素131とかそういう物質に化けて、破片になって中性子を出す。ここにも、ここにも、ここにも、ここにも、ウラン235が集まると、こいつらもみんな核分裂。中性子4個が8個が16個…。
こういうことを前橋の市民の集まりでやると、ねずみ講ということになってガサ入れが。でも核分裂の連鎖反応という立派な名前をつけてやると、政府から補助金もらえる。この物理学的ねずみ講が、広島の上空で起された。
一秒もかからないんです。ピカーッと一瞬にして連鎖反応がウワーッと拡がって、四方八方に中性子が飛んで、中性子があらゆるものに当たって、その熱線と放射線で凄まじい被害が出て、割れたかけらが降ってきて黒い雨になる。

核による長期支配のためのプルトニウム作り

マンハッタン計画の中で、実はヒロシマ型のウラン弾は技術的に古いものとして、いちおう一発は作ったけれど早々と捨てられちゃった。どうしてかというと、簡単にできるから。しかも長期的に、世界を核の力で百年、二百年、三百年支配すると考えたら、ウランの核分裂はだめなんです。広島のピカは役に立たない。ウランという資源は乏しいから。世界を見渡した時に世界の資源を食い荒らしてぼろ儲けしている米国を中心とした勢力が、もうすでにウランがどこにあるか知っていて、いつか枯渇するとわかっていた。枯渇するもので作ったって続かない。目指している長期支配の戦略には脆弱すぎる。
ところがもう一つ選択肢があった。1940年から41年にかけてプルトニウムを人工的に作れるとわかって、多くの予算と人材を注ぎ込んでプルトニウム作りが始まる。
本格的にプルトニウムが量産されるようになったのは1942年12月2日。ミッドウェーのすぐ後です。真珠湾から一年も経ってないのに、もうプルトニウムが作れる装置まで作る。それでもプルトニウムは沢山はすぐには作れない。プルトニウムはウラン235よりはるかに暴れる物質なので、装置の開発も大変手の込んだもので、時間がかかったんです。ウランは天然の物質だから掘り出して、単純作業でエネルギーはたくさんかかるけど、濃縮できるから作れちゃう。プルトニウムは手間暇かけないと手に入らないですけど、でも人工的につくれるという技術を確立すると枯渇しない。千年にわたって世界を支配しようと思ったら、プルトニウム作りまでいかないとダメです。
でもアメリカ国民に正直に「俺たちは半減期2万4千年の猛毒のプルトニウムを大量に作って、みなさんの税金を全部これに注ぎたいのだけど、いいですか、この予算案で」と言ったら、アメリカ国民の99%は「とんでもない!やめろー!」ってことになる。だから特定秘密保護法案みたいな感じでやることになる。アメリカ国民にひた隠しに隠し、第二次世界大戦というペテンのコマーシャルの演出の中で全部作り上げて、落すところまでいくという計画。
プルトニウムは時間がかかる。広島の上空でやったピカをまずやらなくちゃいけない。おんなじことを広島よりうんとペースを落として、ゆっくりゆっくりやる、ピカじゃなくてじりじり、じりじり、じりじりやると、プルトニウムができちゃう。プルトニウムをウラン235を濃縮して広島の上空でやったような状況にもっていって、今度は爆弾に仕込むんじゃなくて、黒鉛という物質graphiteグラファイトをいっぱい積んで、ハチの巣みたいにいっぱい穴を開けて、その中に中性子を減らすための吸収する金属棒もいれる。ウラン235の核分裂を引き起こす物質の周りに核分裂しないウラン238をはべらせて、ウラン238に当てるんです。そうするとウラン238はウラン235を飲み込んでベータ崩壊を二回繰り返してプルトニウムという物質に化ける。これが核開発のからくりです。これが正力葱太郎と中曽根康鴨たちが、わけもわからずに予算を組んでやろうとしたことなんです。

マンハッタン計画の目的はプルトニウム作り

プルトニウムをウランの核分裂を使って作る、ピカと同じことを器の中で、グラファイトの中で、あるいは鋼鉄の器の中で、じりじり、じりじりやる装置を最初に作ったのがマンハッタン計画。みなさん、マンハッタン計画で原爆が作られたって思い込んでいるんだけど、そうじゃなくてマンハッタン計画でプルトニウムが作られた。マンハッタン計画が一番力を注ぎ込んで作ったのが原子炉です。原子炉はプルトニウムを作るために開発されたもので、発電とは関係ないんです。そのあと1953年、1954年にパッケージを包み直して、発電機として売り込んだ。そんなものを原発って真に受けちゃダメです。電気を作ろうと作るまいと、原発はプルトニウム作りなんです。電気はただのカモフラージュ。電気はコマーシャル。電気は演出。で、最初に原子炉と後に呼ばれる装置が作られたのは1942年。二年半ずーっとせっせせっせとプルトニウムを作りながら、最初はシカゴの郊外を汚染して、それからワシントン州のコロンビア川を沸かして、今の汚染水と肩を並べるような汚染水をアメリカ国民に何も教えないで垂れ流して、やっとプルトニウムができて、7月16日にニューメキシコ、そして8月9日に長崎。この第二次世界大戦の演出。みなさん、日本側から、群馬側から、第二次世界大戦を見ちゃうから、沖縄戦とか、いろんな島々で玉砕があって、原爆投下があって、8月15日正午から玉音放送が流れたと見ちゃうでしょう。でも大事なのは、広島と長崎を線引きして、プルトニウムとウランの行程表を分けて、このスケジュールが何を意味しているかを捉えることなんです。
本当に戦争を終わらせるための原爆作りなら、本当に戦争を終わらせたミラクルな新兵器が原爆ならば、そして本当に戦争を早く終わらせたい狙いがあるならば、こういうスケジュールにはならない。だって、両方作る必要ないでしょう。ウラン弾を二発作るという選択肢もあるでしょう。わざわざプルトニウム作り機を開発して、二年半もかけて長崎の原料を作る必要もない。ウランを濃縮してボーンとやればいい。ウランの濃縮ならすぐできるはず。それでベルリンと東京と一発ずつ落せば終わりじゃないですか。戦争を早く終わらせるために、どっち選びますか、みなさん。
早く作りたいなら早くできるものを選ぶでしょう。早く作ることに何の意味もなければ、プルトニウムを選ぶんでしょう。プルトニウムまでいっちゃえば、あとは核開発。原子力ムラが永遠に続くよ、どこまでも。この線引きだけで、彼らが長期計画を百年単位で狙いを定めて作っていることがわかるんです。

戦争を終わらせるために原爆を落としたのではない証拠

そもそも、核開発が戦争終結と結びつけられること自体がデタラメです。皆さん、東京大空襲の話は聞きました? 僕は東京大空襲を何も知らずに育ったんですけど、日本に来て池袋に住みついちゃって、池袋も焼かれたところで、みんなの体験を聞いてるうちに、1945年の春に東京が焼かれたことがわかったんです。
3月10日の夜、一夜にして10万人が焼かれている。しかも炎弧、火のわっかを焼夷弾で描いて、少しずつ少しずつ狭めて、その内側に逃げた人たちがみんな焼き殺されるような計画で落した。1500mぐらい上空を飛んでいた爆撃機のパイロットたちは、ゲロを吐きながら焼夷弾を落した。どうしてかというと、人肉の焼ける匂いが上空まで上ってきたから。
1945年8月6日よりも半年も前のことです。戦争を早く終わらせるために作った原爆だと学校で教わったんだけど、まさかその原爆よりずっと前に10万人が一夜にして首都で焼かれたなんて知らなかった。原爆の開発は数年にわたって続いている。ミッドウェイの前から、パールハーバーの前から、もう既にマンハッタン計画は動き出していた。
もし皆さんがアメリカの陸軍省のトップにいて、戦争を早く終わらせたいとしたら・・・。これからアメリカ時間で45年3月9日、で、これから東京を焼きます。東京は憎い大日本帝国の首都です。そこに悪いやつがいっぱいいる。敵はみんな東京にいる。その敵をやっつけて戦争を早く終結したい。みなさん、どこを焼きますか? 皇居、大手町、永田町、銀座、そのあたりを焼くでしょう? 当然ですよ。戦略的爆撃って名前がついているくらいだから、相手の国家の権力の中枢を焼くでしょう。では1945年3月10日の夜、どこが焼かれた? 誰が死んだ? 下町です。下町に誰がいるの? 貧乏人…僕らみたいな貧乏人。中曽根家はない。安倍家も麻生家も石破家もない。下町には権力者一人もいないんだよ。金持ちも死なない。日本の権力の構造と日本の大企業にはなんの打撃にもならない10万人の大量虐殺が東京大空襲。
なんで外すの? 米軍は分析を誤ったんですか? 計画的に外している。脅しです。「お前ら、言う事聞くんだよ。国体は護持されるから」そういうメッセージでしょう。これは読解力の問題。僕は何も主義主張もない、CIAから教わった話じゃない。でも歴史を見てみようよ。そういうことでしょう。それでずるずるずるずる東京大空襲から一ヶ月、二ヶ月、三か月、四カ月、ずーーっと無意味に米軍が、米政府のホワイトハウスが戦争を引き延ばしているんです。
6月に沖縄でどれほどの命が奪われているか。沖縄の人たちがなんであんな目に遭わなきゃいけないかというと、プルトニウム弾がまだ仕上がらないから。だって日本はもう戦争やる能力なんか無いんです。相手はプルトニウムとウランと焼夷弾。こっちは草鞋と竹やり。何が戦争なの? どこが戦争なの? だってB29が来て無防備だよ。日本は焼夷弾を浴びるだけなんです。だけど、プルトニウムができなきゃ、終わりにできないんです。ナチスが匙を投げても終わりにできないんです。まだ玉音放送を流せないんです。プルトニウムを持ってスターリンを脅かす。

ソ連の満洲侵攻が戦争を終わらせた

ポツダム宣言の一番すごいところは、一番びっくりするところはどこかというと、スターリンのスの字も、ソ連のソの字もない。玉音放送には出てくるんです。玉音放送には米英支ソ。アメリカとイギリスと中国とソ連、ソという字が一字だけ出てくる。
ところがポツダム会議の中身を見ると、スターリンとトルーマンとバーンズ国務長官の話し合い。話し合いっていうと聞こえがいいんですけど、脅かし。スターリンは原爆持ってないんです。ソ連は核開発してないんです。だってナチスとずーーっと何年も戦争やってた。第二次世界大戦は誰がナチスを負かしたかというと、99%ソ連。ソ連がナチスを負かした。そしてソ連は計り知れない犠牲を払った。
米政府はその間、何をやっていたかというと、プルトニウム作りをせっせせっせとやっている。第二次世界大戦はプルトニウムの行程表にあわせて米政府が太平洋戦争を演出した話なんです。
ソ連がナチスを負かした最後のノルマンディーにアメリカが乗り込んで行って、俺たちがやったって、そういう話。なんでスターリンのスの字も、ソ連のソの字もポツダム宣言に書いてないかというと、書いちゃうと日本政府がやばいと気づいて匙投げちゃうから。
日本政府は東京大空襲の次の日ぐらいに、ソ連に仲介役を頼んでモスクワの日本大使館を通じて、不可侵条約の話をまとめてくれないかって頼んだ。その電報は全て米政府が傍受して、日本のモスクワ大使館のスタッフより早く読み解く機械を開発して、大使館のスタッフが電報を読み解く前に米政府が読み解いている。それが現実です。米政府がプルトニウム作りをせっせせっせとやっている時、日本政府は何やっていたかというと、みなさんに呼びかけて、鍋と薬缶と寺の梵鐘を溶かしているんです。これが第二次世界大戦というペテン。
で、やっと45年の夏、半年も遅れてプルトニウム弾の納品が可能になって、これで出来立てのやつをニューメキシコに一発。うまくいった。これをスターリンに突きつけて、「どうだ。おれたちがやったことはスパイから知らされているだろう。じゃあ大人しく黙ってこの宣言にサインするか」って。サインすると日本が諦めて匙投げちゃう可能性もあるから「黙って8月9日まで待て。8月9日になったら、ソ連の満州侵攻があってもかまわないから」。なんで日本政府が匙を投げたかということ、ソ連の満州侵攻。原爆は関係ない。昭和の実録を読むとわかるんです。ソ連の満州侵攻で玉音放送の流れになるというのは明確に時刻表みたいに出てるんです。長崎の原爆投下の前に決定している。つまり長崎も広島も終戦と関係ない。戦争を長引かせたプルトニウム作りの計画。ウランは落した時点で技術的に終わっていて、広島の人たちは、終わっていた、技術的に古いものを落とされた。広島の原爆は、例えると気持ち悪いんですけど、パソコンの時代にタイプライターみたいなもの。
だけどこの原爆でも充分。戦争を終わらせるつもりならば。いやいや原爆だけじゃなくて、焼夷弾で充分。でも落とすところをちゃんと選ばないといけない。なんで広島なんてところに、そして長崎ってもっと外れている所に落しているか。
ソ連の満州侵攻を受けて、歴史の歯車が予定調和的に動いて、そして完全に米政府の下請けになった日本政府が、敵は「新たに残虐なる爆弾を使用し」・・・。それを真に受けた人たちが、原爆で戦争が終わったと思っているんです。原爆で戦争が終わったんじゃなくて、原爆で戦争が無駄に二年以上長引かされたというのが真実。

「核の平和利用」は誰のためのものか

原爆は役に立たなかったということが、ちゃんと見えてくると、平和利用の本質が見えてくる。戦争で役に立った核分裂の連鎖反応を、今度は戦争だけでなくて平和で役に立つようにします。ところがそれは歴史を歪曲したペテンの定説であって、実はウラン235もプルトニウム239も戦争で役に立ったことがない。誰のために役に立つかというと、開発した人たちの利益のために役に立つ。開発した人たちが、今もダウ平均というでしょう。ウォール街の株価のダウ。ダウもモンサントもデュポンも儲かる。ガッポガッポデュポン。
プルトニウムは彼らの支配の道具であり、彼らの利権の維持のために、無限の利益を生み出すけれども、僕らにとって、あるいは歴史的に戦争を冷静に見た時には役に立たない。一度も役に立ったことなど無い。役に立ったこと無いものを、今度は平和のために役立たせますって言っているわけだから、これがありえないこともわかる。でも戦争を終わらせたのは原爆だって騙されている日本国民と、原爆は正しかった、必要だったっていう、もっと騙されているアメリカ国民にとっては、この戦争ペテンが次の平和ペテンに繋がって、もう騙されっぱなし。
なんで日本がずーっと米帝国の下請けをやっているかっていうと、一番最初に作った側が利益を全部取るわけ。賄賂みたいにちょっと小銭をもらって、それで骨までしゃぶられるのが下請け。だから中曽根康鴨と正力葱太郎― ちょっと失礼な呼び名で二人を呼んでるんですけど、彼らは下請けを選んだ。だから日本はずーっとプルトニウム作りの餌食になって、プルトニウム作れば一流国家になれると思っているんだけど、プルトニウム作れば一流の汚染国家になるだけなんです。実際そうなっている。日本は核汚染の渦になって、下手すると汚れっぱなしになって、どうしようもない。じゃあ、ここを米帝国の核の捨て場にしようって事になりかねない。アメリカだって最終処分場決めていないから。アメリカが最終処分場決めていない背景には、福島があると思う。

どうやって利権構造に歯止めをかけるか

ダムは元を辿れば、堰からダムに言葉が切り替わって、巨大な利権構造が生まれた頃から、日本の無駄な、環境破壊をベースにした公共事業になった。
でもその頃には、米帝国はプルトニウム作りに切り替わっていた。その方が儲かるから。米帝国の国策が原発に切り替わって、日本では10年、20年、30年遅れる形で同じからくりが進むんですけど、先をいっている米帝国は、ダムは20世紀の前半にさんざんやって、だいたいもうダムが造れるところは造っちゃって、これからはダムは壊して儲ける。核の次に枯葉剤もやって、枯葉剤の平和利用である遺伝子組み換え技術もやって、もう核も古い利権構造になっているんです。でも日本ではまだ古くない。だって日本は下請けの孫請けの餌食だから。フランスもそう。朔太郎は「ふらんすへ行きたしと思えども ふらんすはあまりに遠し」-。当時は遠かったけれど、今は遠くない。
フランスも同じように核の餌食。核のからくりから抜けられないのはフランスと日本。でもフランスの方が先にぬけるんじゃないか。このからくりはダムと同じ。
今、沖縄で、名護市の海を潰して、新たな巨大な米軍の基地、そして軍港を作ろうとしているんですけど、辺野古も同じからくりなんです。辺野古に8月に行って来た。8月は5日6日は広島だった。9日は静岡で長崎の話をカトリック教会でして、その後、沖縄に飛んで、玉音放送の時間は辺野古にいた。第五福竜丸のことを見つめていて、そのあと辺野古に行って、共通点もいっぱい感じたんですけど、一つ大きな違いを感じたんです。
毎年のように僕は8月6日、広島で過ごす。広島に半分住んでいるような生活、広島の紙芝居を作ろうと、広島のことをずーっと自分なりに掘り下げようとしているんですけど、僕が広島で何をやっても、どんな風に広島を再発見しても、広島のことを止められない。広島の上空で引き起こされたウラン235の核分裂はもう69年前に犯罪が行われて、僕はアメリカ人として、日本の生活者として、何をやっても止められない。8月9日、69年前に引き起こされたプルトニウム239の核分裂も僕は止められない。
でも辺野古に行って、キャンプシュワブのゲートの前で抗議行動に参加して、辺野古の海を眺めて、辺野古の漁港で海と触れて、僕はあっ!ここは違うんだということに気づいたんです。やろうとしていること、そして潰そうとしている勢力はおんなじ。マンハッタン計画を進めた人たちと、今、辺野古に巨大な関西国際空港並の新基地と巨大な軍港を作ろうとしてる勢力はそっくり同じ! 同じ資本。同じ企業。同じ組織。名前はペテンタゴンに変わっているけれど同じです。

辺野古はまだ8月5日前 八ッ場ダムは・・・

八ッ場ダム水没予定地

八ッ場ダム水没予定地

だけど、ひとつ大きな違いがあって、辺野古は広島で言うとまだ8月5日。長崎で言うとまだ8月8日。辺野古には豊かな海の生態系が息づいていて、豊かな海藻もあって、ホントにもうどこまでも見える透明な美しい海があって、小島が浮かんでいて、ジュゴンが海藻を食べにくるという生態系がある。今なら僕らは止められる。広島は止められない。長崎も止められない。でも辺野古は止められる。どうやったら止められるかというと、行けばいいんだ。僕はゲート前で抗議行動をしてたんだけど、130人くらい集まっていたんです。130人くらいだと、そこにいるアルソックの警備会社のアルバイトと警察と、防衛局と米軍の関係者と、人数変わらないんです。だから工事用車両が入っても止められない。でも一万人がキャンプシュワブのゲート前に集まって、そして漁港に集まって、ボート乗っていたら、てんやわんやの大騒ぎ。何も進まないよ。一昨日5千人集まったという話で、5千人が一万人になって、一万5千人になって、二万人になるという流れを僕らが一生懸命作らなきゃいけない。
広島を僕らは止められない。福島も止められない。福島もずーっと汚染水が・・・汚染水という名前がペテンなんですけど、核分裂によってじりじりじりじり作られたものが、太平洋に垂れ流されている。その大量に流れたものがいずれ沖縄の海にもいく。だから無傷で済んでいるところはどこにもない。
でも僕らはまだ止められる。
八ッ場ダムはどうなるの?
辺野古は止められると確信したんですけど、八ッ場ダムは?
止める? 前原さんが止めるとか、民主党政権になって止まるとか、止まんないとか、馬淵さんがわからないと言って、また今度は造っちゃおうって流れなんだけど、どうなの? 止められる?
辺野古は冷静に、アメリカ国防総省の基本姿勢と政府を見て、僕らが当事者じゃなくて上から目線、ジュゴンは僕らの仲間じゃなくて、ジュゴンは可哀そうな絶滅危惧種と上から目線で見ると止められない。
だって米政府と日本政府がやるって言っているから。石破さんが目が座って、言っている。おっかない。なんかやるって言っているから、止められないって思うけど…。
日本のマスコミが「辺野古の移設」と言っているから? 何が移設だよ。普天間には軍港なんかない。普天間には滑走路一つしかない。宜野湾の中心にあって、使い勝手が悪くて、米政府だっていらないって言っている。その代わり、ベトナム戦争の頃から立ち上げた計画、ずーっと普天間の問題が出てくる前に計画した新基地をつくりたいから、普天間を利用しているだけ。僕は普天間と辺野古と8月に両方行った。普天間に行ってくまなく探したんだけど港はない。宜野湾市の陸のど真ん中にある。なんで移設して軍港が出来るの? おかしいでしょう。普天間の港見せろ!って言ったら笑われた。
辺野古に行ったら、とてつもなく豊かな海の生態系。綺麗な砂浜があって、生き物がいっぱいいる。
普天間で僕が確認したのは、ドブネズミとゴキブリと米兵だった。
絶滅に瀕している、それでも頑張って生きているジュゴンを殺すための新基地建設を移設と言うなんて、こんな言葉に僕らは騙されちゃいけない。移設と呼んだだけで、もうあなたは上から目線。移設といっただけで、もうあなたはペテンに言語的に組み込まれている。
八ッ場ダムはどうなるの? 八ッ場ダムは止められるの? 八ッ場ダムを捉えなおすレンズは見つかるのか。
八ッ場ダムも、みんなどうも諦めムードみたいな感じがするんですけど、僕は止められるような気がする。止め方はわからない。一万人が行けば、だいたいてんやわんやの大騒ぎになって、もうどうにもならない事ってあるんですけど、一万人がそこに時間と労力をかけて行くのか。
沖縄で日本政府と米政府が何をやっているかと言うと、八ッ場ダムとそっくり同じ、諦めムードを作るための工事をやっている。知事選前に潰したい。僕が行った時、海が生きていた。もうボーリングを始めているんだけど、なるべく痛めつけて、もう止まらない、止めたとしても、もうジュゴンがここには来ない、藻場は荒らされてダメだというムードを作って、それでみんなが体を張って抵抗しない流れを作る。もしかしたら八ッ場ダムの闘いが一つの参考になっているのかもしれない。だから僕らがその流れを変えようと思ったら、たぶん八ッ場ダムに対する諦めを積極的に止めようという運動に作り変えないといけないんじゃないか。
辺野古を止めないとどうなるか。次のアジアにおける米政府のペテンタゴンの公共事業である戦争の先行投資。電力会社がどんどん、ウランの鉱石を買って溜めておく。それはこれからも原発ずーっとやるという意思表示であり先行投資。新たに辺野古に巨大な基地と軍港を作るという事は、これからアジアでずーっとやるぞということ。21世紀の間はアジアで戦争はやまないよと言っているんです。

八ッ場ダムは、とっくに破綻してるはずの、もういらない、どこにも根拠がないものをやるぞという意思表示。八ッ場ダムを止められたらどうなるか。次のステップに彼らは行けない。
辺野古を止められたら彼らは困る。だって辺野古が作れなかったら次の計画に行けない。そういう歯車を止めることに僕はすごく大きな意味があると思う。もちろん、僕は特効薬を持ってないし、どういう風にみんなに伝えたら、この本質が見えてくるか、その技術も発展途上のところなんですけど、でも、辺野古に行って、止められると感じた。
自分が止められるものと、止められないものの区別も、今回沖縄に行くことで、そこは具体的にイメージしたので、これから止められるものを止めていきたいなあと思いました。