八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

総選挙と代替地の分譲交渉(2005年9月5日)

現状レポート

現地の状況

(更新日:2005年9月5日)

総選挙と代替地の分譲交渉(2005年9月5日)

川原湯にて

川原湯にて

水没予定地を選挙カーが走る。

この地は中選挙区時代、福田、中曽根、小渕元首相がトップ争いを繰り広げた、旧群馬三区。一つの選挙区から三人の総理大臣を出した所は、日本広しといえど、他にない。

地元住民によるダム闘争は、政治の思惑に翻弄された。財政が危機に瀕している今、野党第一党の民主党は、「八ッ場ダム中止」をマニフェストに書き加えた。小泉政権は「改革」を進めるというが、予算の上で”特別扱い”の八ッ場ダムに、「改革」のメスは入るのだろうか?

水没予定地では、家を解体し、転出する住民があとを絶たない。補償金は財産権に応じて決まる。土地の権利をもたない借地人の補償は薄い。かといって、このままこの地で生活することにも限界がある。商店が次々となくなり、食料品、日用雑貨の買物にも車が欠かせない。一人暮らしの老人は、親戚を頼って泣く泣く出て行くことになる。

川原湯温泉

川原湯温泉

ある住民の話―

「代替地は高いし、そこで収入の当てがあるかわからない。年をとって動けなくなる前に、引っ越しをと思う。でも、他所に出て、見知らぬ土地でやっていけるのか、考えると不安で眠れなくなる。ここに住む一人一人に、それぞれの苦しみがあると思う。」

代替地交渉の終了

諏訪神社

諏訪神社

8月、国土交通省は、代替地交渉が終わったことを受け、住民の意向調査を開始した。選挙カーを横目に、住民は今後の生活設計を立てなければならない。

代替地分譲プランが最初に地元に突きつけられたのは、2003年末のこと。高額な分譲価格、条件の悪さに、「話が違う。これでは現地で生活再建できない」と反発した住民側は、その後、国に要望書を5回提出した。だが、国交省の譲歩は僅かなもので、今年に入ってからはゼロ回答が続いた。

道祖神

道祖神

全水没地区の川原湯、川原畑は、現在、100世帯あまりが生活している。温泉街ゾーンの最高価格が坪17万円以上という、山村では法外な高価格をやむなく呑んだ春以降も、移転条件などをめぐって話し合いはなかなか折り合いがつかなかった。けれども、交渉を続けても、事態がよくなる見通しは立たなかったし、代替地を早く造ってほしいという声もあった。両地区が国の意向を受け入れたのは7月末。地区の会議で議論を尽くし、採決をとったという話は聞かない。選挙直前の9月7日、代替地分譲基準の調印式が行われる。

意向調査

住民は地元に残る以上、渓谷中腹に造成中の代替地に移らなければならない。代替地の分譲は今年度中に始まる予定だったが、来年度にずれこみそうだ。しかも今回の分譲は、計画の一部に過ぎない。


吾妻線

最大集落の川原湯地区は、18年前、現地がダム計画を受け入れた時には、温泉街の坂を登った、水没しない「上湯原」が代替地の中心となる筈であった。しかし国交省は、上湯原の造成に手をつけようとしない。もう一つの代替予定地、「打越」は造成中だが、温泉街ゾーンは完成に程遠い。

川原湯にて

川原湯にて

高額な土地を買うときは、周辺環境、利便性を確かめて判断するのが普通だが、代替地計画ではそれも許されない。意向調査とは、図面の上で、番号をふられた架空の土地を買うかどうかの決断を迫られることなのだ。

急峻な渓谷の中腹に造る代替地は、自然災害の危険と隣り合わせだ。川原湯温泉の場合、代替地に移転しても、ダムがなかなか完成しなければ、観光業は土木工事によって大きな損害を蒙ることになる。

土木技術者として公共事業の現場に携わってきた矢部俊介氏によれば、「〈公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱〉は、土地の権利を消滅させる上での補償だけを規定している。代替地への住民移転はダム事業の一環だが、代替地の補償をする法律がないのは問題だ」という。

補償を可能にする法整備を

1995年、地元は建設省に対して、一通の陳情書を提出している。

要旨 「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱に精神補償を組み入れ、改正されたい」

陳情書の回答(回答者:藤井建設省関東地方建設局長)より抜粋―

「・・・公共事業に伴います損失補償につきましては、当(損失補償点検)委員会におきましても、財産権の損失補償基準を行うこと等を中心として、よりその改善を計っていくことを基本としていることで、精神補償を補償項目とすることにつきましては、非常に困難な状況でございます。・・・」


三つ堂を訪れた加藤登紀子さん

八ッ場ダム事業の進捗率は、予算ベースでまだ4割にすぎない。しかし、水没予定地と烙印を押された40年前、すでにダムによる地域破壊は始まっていた。住民は滅亡を運命づけられた土地で生活を営む苦悩を、「他所の人にはわからない」と語りたがらない。八ッ場ダム問題の第一人者、嶋津暉之さんは、ダムが中止になった場合、地元の生活再建支援に関する法整備が必須だとして、水源開発問題全国連絡会のメンバーと共に、「ダム計画中止後の生活再建支援法案」(38ページ、2.12MB)を作成している。

都市生活の陰で

8月16日、川原畑ではお盆の送り火行事が行われた。三つ堂と呼ばれる古くからあるお堂の前に、ロウソクを灯した百八本の竹を並べるのが、昔からの慣わしだ。戸数の減った村の世帯主が総出で準備をし、堂の前にゴザを敷いて居並ぶ。対岸の川原湯の山の端が、ロウソクの明かりでうっすらと浮かび上がった。


百八灯

川原湯温泉駅にて

川原湯温泉駅にて

川原湯でも、夏の終わりにお祭りが行われた。ちょうちんを下げた櫓のまわりを、盆踊りを舞う老若男女。勇壮な響きの湯かけ太鼓を披露する男衆。漆黒の闇の中、夜空に炸裂する花火を、上気した顔で見上げる子ども達― 来年同じ場所で、同じ人々が集えるかどうかは、誰にもわからない。それでも汗を流して皆で準備をすれば、一時でもダムのことを忘れ、人と人とのつながりを確かめることができる。

遅きに逸したとはいえ、八ッ場には、まだ人々の生活がある。私達は、この40年間、かけがえのない大切なものを振り捨ててきてしまったのではないだろうか?