八ッ場ダム、遅れる生活再建事業(朝日新聞)

 朝日新聞が群馬版で、八ッ場ダムの関連事業が遅れていることを大きく取り上げました。
 八ッ場ダム関連の9事業がダム完成に間に合わないという情報は、昨年暮れ、地元紙の上毛新聞に初めて掲載されました。(→「八ッ場生活再建9事業遅れ(上毛新聞)」

 このほど朝日新聞に掲載された記事は、この情報をより詳しく伝えています。マスコミでは、ダムの本体工事が順調に進んでいることや、国交省が開催する無料の本体工事見学会に多くの観光客がやってくることが繰り返し取り上げられてきましたが、ダム本体をめぐるそうした明るい状況と地元の状況とは別であることがよくわかります。関連事業の遅れは、地元ではだいぶ前からわかっていたことですが、ダム本体工事が最終段階を迎えている現在、群馬県も隠しようがなくなって、ようやく情報が流れるようになりました。

 記事でも説明されていますが、八ッ場ダム事業では関連事業の多くが「生活再建関連事業」とされています。その総額は約3775億円に達するとのことです。
 民主党政権が全国のダム事業の見直しをマニフェストに掲げて発足した2009年、国交省は「生活再建関連事業」の見直しはダム予定地域の住民に悪影響を与えるとして、見直しの対象から除外しました。このため、八ッ場ダム事業など「生活再建関連事業」が始まっているダム事業では、民主党政権下でも自公政権の時代と同様に「生活再建関連事業」が続けられました。
 八ッ場ダム事業における「生活再建関連事業」が開始されたのは1994年、それから実に25年が経っています。

 紙面記事より全文を転載します。

◆2019年3月29日 朝日新聞群馬版
ー八ッ場ダム完成目前 でも地域再生はー 

観光業に期待・・・地元住民落胆
 国が来春の完成を目指す八ッ場ダム(長野原町)。その完成に合わせて終わるはずだった地元の生活再建事業が、ダム完成から最長1年後にならないと終わらない見通しを県が明らかにした。ダム建設を受け入れた代償としてダム湖を活用した観光業を中心とした地域再生を思い描いてきた地元住民を落胆させている。

遅れる生活再建事業
 生活再建事業は、ダム建設の見返りに、水没地域の鉄道や道路、施設を造り、地元の再出発を支える事業。洪水の抑止や生活用水の確保で恩恵を受ける東京、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬の6都県と国が費用を負担している。

 その事業は次の三つに大別される。
 ①国内のダム建設史上最高額の約5320億円の建設事業費のうち、道路や鉄道の付替え、人が暮らす代替地の造成などの「補償事業」の約2600億円。
 ②水源地域対策特別措置法に基づく土地改良などの「水特事業」約997億円。
 ③下流都県による利根川・荒川水源地域対策基金を通じた地域振興関連の「基金事業」約178億円。
 これらのざっと計約3775億円が生活再建事業と総称される。
 
 県特定ダム対策課によると、遅れる見込みなのは水特事業と基金事業の計89事業のうち9事業。ダム本体の打設は3月上旬でほぼ完了したが、ダム建設に関わる設備の撤去や関係者との調整が遅れているという。

 国道406号を通じて高崎方面との所要時間を大幅に短縮する新たな幹線道路となる大柏木トンネル(全長約3キロ)に設置されていた、ダム本体工事用の石材を運ぶベルトコンベヤーの撤去が遅れ、県道としての開通時期は未定。浅間山の大噴火による泥流で埋まった集落の遺跡群などを紹介し、観光拠点の一つとして期待される林地区の水没文化財保存センターは、貴重な発見が続いて発掘調査が終わらない影響で開設の見通しが遅れているという。
 このほか遅れているのは、川原畑地区のダムサイトに建設する公園の売店▽川原湯地区の上湯原森林公園▽横壁地区の飲食・物販施設、丸岩森林公園、耕作地帯の造成▽林地区の公営住宅3棟、田畑の用水路。
 特ダム課の小林功課長は「八ッ場ダムは多くの事業者や関係者がおり、事業のめどが把握しにくい」。加えて、地元住民と地域振興施設などの計画を練るのに時間を要したと釈明。「私たちも一日でも早く、事業を完成させたい」

「またか」憤り・あきらめの声
 県は事業の遅れについて、川原湯、川原畑、林、横壁、長野原の水没5地区の各ダム対策委員会に昨年11~12月に伝えた。
 地元住民からは憤りやあきらめの声が漏れる。「一番盛り上がるダム完成のタイミングで、新しくできた街の様子を見てもらいたいのに。理由を聞いても『国土交通省の都合』としか説明しない」「正直、またかと。今まで何度も事業の遅れは繰り返されてきた」

 特に焦りが募るのは、温泉街のある川原湯地区だ。
 水没を避けて山腹に付け替えられた現在の国道145号は、川原畑や林、横壁の各地区の移転代替地を貫くルートとなり、林地区の道の駅「八ッ場ふるさと館」などの地域振興施設が活況を見せる。
 一方、かつて国道が通っていた川原湯地区は、代替地への移転後はダム湖を挟んで国道の対岸という位置になり、アクセスが悪化。温泉街として最盛期には20軒以上あった旅館は、代替地では5軒だけになった。そんな川原湯地区にとって、出入り口が地区内にある大柏木トンネルは高崎方面から人を呼び込む期待があるだけに、開通の遅れは痛いようだ。
 住民の一人は「ダム完成に合わせてみんなで盛り上げたいのに、このままでは勝ち組と負け組が生まれてしまう」と危惧する。

 こうした工事の遅れと別に地元を不安にさせるのが、地域振興施設の維持管理費の問題だ。住民の期待に反して県や下流都県は負担に難色を示したため、町は自助努力で運営できる規模に縮小。将来の運営計画を練っているが、それでもやっていけるかどうかは不透明だ。
 
 八ッ場ダムの計画が浮上したのは1952(昭和27)年。激しい反対運動を続けていた地元が85(昭和60)年に賛成に転じたのは、県がダムと共存する新たな地域の未来図を示したのがきっかけだった。その後も世代を重ね、住民は去り、移転対象だった470世帯中、代替地に移る形で現地に残ったのは昨年末時点で96世帯。ダムを観光資源とした地域の再生の先行きは見通せていない。ある住民は「温泉街も元気がないし、近くには似たような施設ができて、どうなってしまうのか」。そして、つぶやいた。「こんなはずじゃなかった。思い描いていた地元の姿は」(丹野宗丈)