水没地から移転新築の小学校、統廃合論再燃(朝日新聞)

 八ッ場ダム予定地を抱える長野原町は、人口5000人台。小さな町にダム事業で過剰ともいえる道路、下水道、地域振興施設、公園等が整備されつつありますが、ダム完成後、これら施設の維持管理が町財政にとって大きな負担となることが心配されています。

 長野原町では今年に入って、小中学校の統廃合の検討を再開しました。このニュースは2月6日に上毛新聞が初めて報道しましたが、このほど朝日新聞群馬版が水没予定地域の子どもたちが通う長野原第一小の統廃合問題について詳しい記事を掲載しました。

写真右=2002年に移転新築された長野原第一小学校の新校舎。
水没予定地では便利な国道沿いにあったが、代替地へ移転後はスクールバスが各地区の移転代替地を回る。移転当初から生徒数の減少が問題とされ、小学校のある林地区に建てられた町営住宅は、入居対象を子供がいる世帯に限定するなどの対策を実施してきたが、生徒数の減少が続いている。(2007年10月29日撮影)
(参照記事:「人口流出で長野原町 児童確保へ町営住宅」(上毛新聞)) 

◆2019年6月14日 朝日新聞群馬版 (紙面より全文転載)
https://digital.asahi.com/articles/ASM6B7JJLM6BUHNB01F.html?iref=pc_ss_dat
ー八ッ場小学校 統廃合論再燃ー

水没予定地から移転新築
 国が来春の完成を目指す八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)の建設が着々と進む一方で、水没予定地から17年前に高台に移転新築された小学校が、廃校の危機に直面している。児童数が急減し、今春の入学者はゼロに。統廃合も含め、町は今秋にも方針を示す見通しだ。

児童数減少、今春入学ゼロ
 水没地区の児童が通う第一小は1911(明治44)年開校。当時、県内最古の木造校舎が残っていたが、2002年に林地区の新校舎に移転した。移転新築には国の補償金から町が支出したほか、ダムの利水の恩恵を受ける東京や埼玉、千葉、茨城、群馬の1都4県が費用を分担。国庫補助も含め計約12億2800万円で建てられ、実質的に町側の負担はゼロ。屋内プールも完備している。

 ただ、児童数の減少が止まらない。ダム事業の遅れなどで、移転対象470世帯の多くが町外や町内の他地区へ去り、水没地区の代替地で暮らすのは昨年末現在で96世帯。少子化も伴い、児童数は激減した。町教委によると、水没5地区のうち4地区が学区域の第一小は、1959(昭和34)年には307人いたが、02年は54人、今年は17人。今は特別支援学級を除き、2学年で1学級の計3学級編成になっている。

 こうした状況を受け、町議会は昨年12月、町内の4小学校と2中学校のあり方を検討するよう萩原睦男町長に申し入れた。町は今年1月、町長と教育長、小中学校長、PTA代表、町議らによる委員会で検討を始めた。3月には保護者らにアンケートを配布。月1回のペースで会合を開き、今秋までに意見をまとめるという。

 実は第一小は、統廃合直前まで話が進んだ過去がある。移転新築から5年後の07年、町は児童減少を受け、西に約5キロ離れた中央小への統合をいったん決めた。ただ、費用を負担した下流都県からの批判を危惧するなどした結果、一転して08年に存続とし、計画を凍結した。

 すでにダム完成を目前に控えた今、下流都県は統廃合の検討にも理解を示す。東京都広域調整課は「ダムの恩恵を受けるので、地元の要望に応えて小学校建築に協力したのは当たり前のこと。こちらから何か具体的に言える立場にない」。埼玉県土地水政策課は「お金を投入してはいるが、ダムによって地元が一番苦労しているはず。良い選択ができるよう、今後は町の判断に任せたい」。

 萩原町長は「教育を受ける子どもや親の気持ちは大事。ただ、何でも小さくしていけば歯止めが利かなくなる恐れもある。何が正解かわからないが、みんなで具体的な方向を決める議論をしたい」と話した。(丹野宗丈)

—転載終わり—

 記事にもあるように、長野原第一小学校の全校生徒数は現在17人です。水没予定地には長野原第一小だけでなく、第一小学校と隣接学区の中央小学校の児童がともに進学する長野原東中学校がありました。
 東中は2006年に背後の山に造成された代替地へ移転しましたが、全校生徒数が約70人と、やはり減少しており、統廃合の検討が行われています。
写真右=長野原東中学校の新校舎。2007年7月18日撮影。

 代替地への移転第一号として2002年に完成した第一小の新校舎(右下)は、当時から50人台の生徒数には不釣り合いな建物として知られ、地元では「いずれ老人ホームになる」と噂されました。
 長野原町は2007年、第一小を中央小に統合させることを一旦は決めましたが、首都圏4都県の負担金で建てられた小学校が、わずか5年で廃校になるというニュースは、マスコミの格好の餌食となり、テレビや新聞が「ムダな公共事業」として八ッ場ダム事業を取り上げる材料にもなりました。

 地元では、旧校舎の解体が子供たちに深い傷を残したという声とともに、マスコミが小学校を面白おかしく取り上げることへの反発もありました。水没予定地域の人々の母校である第一小は、地域の歴史そのものであり、統廃合はきわめてデリケートな問題でした。
写真右=林地区にある長野原第一小は、校歌に謳われている対岸の丸岩が校庭からよく見える。
参照:長野原第一小学校公式サイト

 統廃合の方針を白紙に戻したことが明らかになった2008年の新聞には、長野原町の高山町長(当時)の言葉が次のように伝えられています。テレビが第一小の統廃合案を取り上げたことで、八ッ場ダム事業に批判的な世論を刺激することを恐れての決定であったことがわかります。
「教育委員会から統合方針は聞いたが、様々な声もあり、水没住民の生活再建を最優先する立場から、町として総合的に最終判断をした。第一小は、生活再建事業の先駆けとなった施設。これから下流都県に支出してもらう事業が始まるという今の段階では、統合できないと考えた」(2008年1月17日 讀賣新聞群馬版「八ッ場ダムで新築 小学校廃校 白紙に 長野原町長、教委方針採用せず」)

 14日付の朝日新聞によれば、現在は東京都も埼玉県も、第一小の統廃合に理解を示しているということです。
 民主党政権が発足する前の2007~2008年当時のような「ムダな公共事業たたき」は、マスコミから姿を消し、行政は世論を刺激することを心配する必要がなくなったのかもしれません。
 いずれにしろ、ダムの完成時期が近づき、関連事業の終了も見えてきた現在、第一小の統廃合に限らず、これまではダム事業の支障になってはいけないと抑えられてきた問題が、これから次第に露見していくのではないでしょうか。

写真下=水没予定地にあった長野原第一小学校は、群馬県内最古の木造校舎だった。