現状レポート
現地の状況
(更新日:2005年2月7日)
先の見えない生活再建(2005年2月7日)
水没予定地では、先の見えない生活再建計画が人々の心に重くのしかかっている。予定では、2007年度にダム本体の工事にとりかかるために、2005年度から住民らは代替地へ移転を始めなければならない。ところが代替地そのものは未だに完成していない。
「現地再建ずり上がり方式」の破綻
水没予定地の世帯数は1980年当時340戸、人口は1170人だった。県の作成した再建案は、水没地のコミュニティーをそれぞれ山の中腹に引き上げるというもの。
生活再建の覚書が締結されてから20年。すでに半数以上の住民が他所の土地に転出してしまっている。
川原湯温泉街の場合
更地が目立つ水没予定地。
山の中腹が川原湯温泉街
川原湯は、水没予定地の中でも温泉街のある最大の集落。当初201戸あった世帯数は90戸足らず、約350人にまで減少した。この地区の代替地は「打越」と「上湯原」とよばれる土地だ。
上湯原は現温泉街の坂を上った先の地名で、JR川原湯温泉駅が移転することになっている。だが今のところ造成そのものが手つかずの状態だ。
「もともと行くとしたら打越しかなかった」と住民が言う場所は、ダムサイト予定地近くの山の中腹にある。代替地を貫く沢は幾重もの防災ダムで堰き止められ、盛り土を数十メートルの厚さで踏み固め、さらに吾妻川の手前に砂防ダムを設けて造成中だ。急傾斜地の前後を防災ダムで守り、国の威信をかけて万全の対策をとっているから、災害の心配はあまりないといわれる。だが観光客にとって、防災ダムやコンクリートの建造物に囲まれた要塞のような新温泉はどんな印象を与えるだろう? 電気、水などライフラインの整備もまだ手つかずで、肝心の温泉もない。北向きの標高の高い代替地は、高齢者、農家にとってあまりに条件が悪い。
打越地区直下の砂防ダム
東京の人たちが吾妻渓谷の遊歩道から砂防ダムを見上げて驚きの声をあげた。「お金を出してもらっても住みたくない。こんな場所が代替地とは・・・」。
代替地縮小でコストが下がる
川原畑代替地
現地では、これから何度目かの住民への意向調査を行うという。調査結果で「代替地移転」希望者が減れば、代替地計画を縮小することになる。事業主にすれば、コストは切り詰められるだけ切り詰めたいのが本音であろう。バラ色の夢をふりまいた「現地再建計画」は、今やダム建設に邪魔な住民を切り捨てる「住民追い出し計画」に様変わりしている。
1993年、長野原町にある建設省の工事事務所が配布した「代替地計画のあらまし」によれば、代替地は1999年に完成することになっていた。ダムも代替地も、計画はすべて覆され続け、そのたびに住民は煮え湯を飲まされてきた。「ダム事業は期限がないことが一番つらい」という住民の言葉を、下流の私たちはどう受け止めたらいいのだろう。
沈黙する水没予定地の人々
水没予定地
温泉街のある旅館主の言葉からー
「すべては最初のボタンの掛け違いが、問題をここまで長引かせてしまった原因。でも私たちは、もうダムのことは考えたくもないというのが本音。多くの住民がこんなにも長い間、ダムに翻弄され、人生を台無しにされてきた。その挙句、今また路頭に迷うのではないかという不安に苛まれている。八ッ場ダムの事業費の中には地元の生活再建も含まれる。税金のムダというだけで割り切られてはたまらない」
水没予定地の石仏群
《住民の声―すべて匿名希望》