八ッ場ダム建設の話があってから50数年が経った。
当時は群馬県の最重要課題として、連日のようにダムのことがマスコミに報道されていたが、今ではそのダムの名前すら知らない人が多くなり、風化されようとしている。
しかし、そこに住んでいた住民は永いあいだのダム闘争で、身も心もボロボロになりながらも懸命に生きてきた。
一抹の光明であった代替地の造成も遅れに遅れており、さらに規模の縮小や見直しが報じられ、わずかな希望も断ち切られるような現状である。
将来性が見えず、長引く不況にくわえての高齢化。遅々としてすすまぬ代替地造成に見切りをつけ、家も名誉も捨てて見知らぬ他村へ移転する人が多い。
こうした人々の心労は筆舌に尽くしがたいものがある。そしてこの人たちの人生は何だったのかを問いたくもなる。
さて、住みなれた古里を離れるには、勇気と決断が必要だ。
そこに残っていれば、場所は変わっても集団生活ができるが、よそへ行けばそこは未知の世界でゼロからの出発になる。
都会とちがい田舎、とくに山間部では、その土地の家柄や知名度がその人の生活を大きく左右することが多い。
何十年もかけて築き上げてきた、その土地での自分の人生が白紙にもどることになり、再出発するわけだが、高齢になった吾々にはもうその元気はない。
見知らぬ土地と、見知らぬ人々のなかでの生活は大変なものなのだ。
いつかテレヒの番組で、”引越し病”というのがあった。それは、異動などで転居した場合、土地の不案内や、近隣のようすや、土地の風習、お付き合いなどの心労で体調を崩すというものであった。
それと同じ現象が吾々の周りにもおきているのだ。吾々はそれを”八ッ場病”と呼んでいる。
実際に引越ししてから急に亡くなった人、体調をくずした人が大勢いるからだ。
こうしてみると、悪いことばかりのようであるが、反面には水没地からみれば日当りもよく、病院やス一パ一など生活環境が整っている、この地のほうが住みよいことはたしかである。
八ッ場を離れてもう半年になり、生活にもだいぶ慣れてきた。八ッ場を忘れるわけにはゆかないが、ダムから開放された安堵感を静かにあじわっている。