本体着工の前段階ともいうべき転流工は、国交省の工程表(計画変更後の案)によれば昨年度に始まるはずだったが、用地買収に手間取り1年遅れた。多くの観光客が訪れる吾妻渓谷上流部の現地では、岸壁が削られ、木々も伐採されて景観が一変した。
転流工の安全祈願祭に関する新聞記事(読売新聞群馬版 2008年6月11日)
「堤体の縮小」は、ダム本体のコンクリート量を減らしてコスト縮減をはかるというものだ。ダムサイト予定地は高透水帯や熱変質帯が広く分布しており、いずれは本体関係工事費を増額せざるをえないだろうと予想する専門家もいる。この計画変更により、本体関係工事費は事業費全体のわずか9%に減少した。付帯事業がこれほど大きな割合を占めるダム事業は前例がない。
関係都県では2008年2月議会において、今回の計画変更案の採決が行われた。結果的には全都県で計画変更が認められたが、東京都議会では委員会採決3対4、本会議採決56対68、群馬県議会でも委員会採決3対4、本会議採決14対35と、少数野党のみが反対票を投じたこれまでの計画変更の際とは状況が様変わりした。
さらに議員の会有志6名が超党派の「八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会」設立を呼びかけ、5月19日に東京で結成総会を開催した。入会議員数は民主党、生活者ネット、日本共産党、自民党、社民党、無所属など63名(6月18日現在)に達する。群馬県議会の自民党会派は、これらの動きに対抗するため、6月4日、八ッ場ダム推進議連を立ち上げた。
付け替え鉄道は約8割が完成しているが、完成区間は長大なトンネル部分にかぎられる。地上部に出る川原湯温泉の新駅予定地周辺では、用地買収が進んでいない。
八ッ場ダムの付帯事業の目玉である付け替え国道は、1994年に四車線の地域高規格道路に指定された。現国道は吾妻渓谷の脇をぬい、JR川原湯温泉駅前を通って草津方面にぬける地域の幹線道路、国道145号だ。現国道が二車線であるため、付け替え国道の支出は二車線分が補償対象として治水特別会計から、補償対象外の二車線分が道路整備特別会計、水源地域対策特別措置法に基づく関係都県の負担金によってまかなわれる。
けれども現在、トンネル、橋は二車線分しか造られていない。付け替え国道の進捗率52%は、二車線分の数字なのだ。国は内閣答弁(2008年6月10日 石関貴史衆院議員の質問主意書への回答)において、「一般国道百四十五号の付替道路については、平成22年度末までに二車線での工事を完了し、平成23年度当初の供用開始を予定している。」と答えた。四車線の道路計画はどうなったのか? 「四車線化の時期及びトンネル部分と橋梁部分の構造については、二車線での供用開始後、交通の状況に応じて検討する」との答弁から、四車線の道路計画は事実上、白紙であることが明らかだが、用地買収はいまだに四車線を見込んで進められている。付け替え国道の工事現場では、昨年12月、トンネル内での落石事故により作業員の死亡事故が起きた。その直後、付け替え国道の工事現場二箇所(川原畑地区)で土砂崩れが起こった。08年5月末には調査報告書が出されるとのことであったが、半年間工事がストップしたままになっている。熱変質した地質のもろい区間の工事だけに、工事はさらに難航するとみられる。
八ッ場ダム事業では、水没予定地域住民の代替地を水没しない同じ地区内に用意する「現地再建ずり上がり方式」によって代替地計画が進められてきた。水没予定地区は5地区あり、全水没予定がダムサイト予定地に近い川原湯、川原畑地区、一部のみ水没予定なのが長野原、林、横壁の3地区だ。
当初は殆どの住民がなじみの人々とともに地区内の代替地に移転することを望んでいたが、代替地計画の遅れ、周辺よりはるかに高額な分譲価格(坪単価10万円以上、最高額の川原湯温泉街の代替地は坪17万円超)のために、多くの住民が代替地移転をあきらめ、補償金を受け取って故郷から転出した。もっとも犠牲の大きい全水没予定地区は温泉街のある川原湯地区と対岸の川原畑地区だが、両地区で代替地移転を希望する世帯数は現在57世帯(川原湯39世帯、川原畑18世帯)と、当初の1/5へと激減している。 現在、国土交通省は代替地分譲を第一期~第三期と分け、2007年度から2009年度までに終わらせるとしている。一部水没予定の長野原地区、林地区では、真新しい家が建ち始めた。付け替え県道の工事は続いているものの、近くに中学校や保育所も建ち、まがりなりにも新しい生活がスタートしている。だが、長野原地区とともに最も早く(2007年6月)に分譲開始と発表された川原畑地区では、いまだに家が一軒も建っていない。代替予定地はトラックが走り回る付け替え国道の工事現場に隣接している。第一期分譲では4軒が分譲を希望したが、代替地は騒音やホコリがひどく、まだ住める状態ではないため、住民は国と契約を結んでいない。
2008年3月、お堂は解体されて代替地に移転した。石仏群も代替地に造られた擬岩に均等に並べられた。新しい社殿を建て、石仏を移転しても、諏訪神社も三ッ堂も、元の場所にあると土地の古老はいう。
国交省の工程表によれば、国道へのアクセスとなる一号橋の完成は2014年度。川原湯の代替地にはJRと県道が通る予定だが、工事は大幅に遅れている。たとえ早期に代替地の整備が終了し、住民の移転が始まったとしても、当面のアクセスは工事用進入路しかない。
川原湯温泉街の山側にはJRのトンネルが掘られ、対岸の山々も削られ、川原湯の住民はかなり以前から、工事現場の中に取り残されたような苦しみを味わってきた。ダムに無関心な観光客も、櫛の歯の抜けたような温泉街、古びた建物を見て、川原湯温泉がダムの水没予定地であることに否応なく気づかされた。今年になって、温泉街を横切る大沢の上流部がざっくりとえぐられ、代替地の工事現場が観光客にも間近に見えるようになった。風景が破壊され、生活を脅かされ、それでも現地での再建を目指す以上、住民はダムから逃れることができない。温泉街の「現地再建ずり上がり」-かつてない実験が繰り広げられている八ッ場では、下流でのダムの是非論をよそに、毎年300億円以上の事業費が投入されるダム事業が暴走を続けている。