今年も新緑の季節に現地見学会を行いました。
現場を見ていただくことで、八ッ場ダムがなぜ計画から半世紀たっても完成しないのか、全国のダムの中で事業費が特別大きいのはなぜなのか、今後どれほど多くの問題が山積しているのか、理解していただけたのではないかと思います。
このページの写真は、見学会に参加された生熊友博さんにご提供いただきました。
地元群馬のほか、東京、千葉、神奈川、埼玉より50名以上の方々が見学会に参加しました。
ダム予定地では立ち入り禁止区域が次第に増えてきましたが、本体工事が本格化すれば、更に閉め出し区域が多くなりそうです。(写真右:吾妻渓谷下流側の国道入り口)
見学会は毎年、遠方から参加する方々に便利なように、吾妻線の特急『草津』のダイヤに合わせてタイムスケジュールを立てます。ダム水没予定地を走っていた吾妻線は、八ッ場ダム事業により10キロ以上の区間を付替えました(工事費370億円余)が、利用者は年々減少し、特急の本数も減ってきました。JR東日本の最新データ(2013年度)によれば、川原湯温泉駅の1日平均乗降客数は20人で、JR東日本の各駅の乗降客数の中では下位から10番目となっています。(写真右:川原湯温泉の新駅舎)
昨年10月より代替地で開業している川原湯温泉駅に、特急草津1号が12時23分に到着。見学会の集合時間は12時半。15時47分には東京方面に向かう特急草津4号が発車しますので、それまでの約3時間を見学時間としました。
駅前の金鶏山の麓では延々と砂防工事が続いており、駅前の県道と町道の道路整備も遅れています。
「原」と呼ばれたこの土地は、川原湯地区の中で唯一水没線(標高586メートル)より標高が高く、水没予定地住民が移転する代替地(上湯原代替地)として最初に候補にあがった土地ですが、地形・地質が宅地に不向きであることや用地買収が困難であったことなどから、当初の計画が大幅に縮小されました。駅前の地質断面には、金鶏山から過去に土石流が流れてできた崖錐堆積物層が見られます。(写真下:崖錐堆積物層を見る参加者ら)
水没予定地の川原湯温泉
閉鎖された共同湯・王湯の脇には今も「元の湯」が湧き出ています。川原湯温泉の本来の源泉である「元の湯」はダムに沈むことから、国交省は源泉を保全し、代替地への引湯を検討する業務を中央温泉研究所に委託しています。
現在、代替地には「新湯」が引湯されています。ダム事業によるボーリングで1980年代に掘り当てた新源泉は、川原湯神社の脇から温泉街の背後の山の中腹を引湯管によって大沢まで運び、ここから打越代替地へポンプアップしています。引湯管はこれから建設される町道の下に埋設される予定で、現在の引湯は暫定設備によるものです。(写真右:川原湯神社の鳥居。)
かつては旅館20軒余り、土産屋、飲食店などが軒を連ねていた温泉街の坂道では、礎石だけが残された空き地が目立ちますが、今もホテルゆうあいが営業を続けています。ゆうあいの下を流れる大沢の先は、ダム本体工事のために立ち入り禁止となっています。この先には、昨秋まで国道が走り、国道沿いに川原湯温泉駅がありました。(写真右:温泉街の坂道を遮る立ち入り禁止の看板。大沢の脇にて)
2. 川原湯地区の打越代替地
山を切り開き、沢を埋め立てた人工造成地には、真新しい王湯会館と三軒の旅館、寿司屋兼民宿、食堂、住宅、そして本体工事業者の事務所などが建ち並んでいます。
打越代替地はまだ整備中で、急傾斜の暫定のり面にダム湛水までに安全性を確保するために盛り土をして、のり面を完成させることになっています。(下の図面:打越代替地ののり面に関する平成21年9月時点の国交省資料。図面にある最終盛り土はまだされていない。)
国交省は代替地の安全対策、地すべり対策を行うためのボーリング調査を行ってきましたが、関係都県が事業費増額に難色を示していることから、対策の具体的な内容はまだ明らかにされていません。
打越代替地の最下流部はダムサイト予定地のすぐ脇です。近くには、やまた旅館とキッチン「赤いえんとつ」が営業中です。ここにはかつて大栃沢が流れ、沢水が光琳の滝と白糸の滝となって名勝・吾妻渓谷に流れ落ちていましたが、沢も滝もダム事業でつぶされました。
写真対岸には、大栃沢と同じように埋め立てられた八ッ場沢、その右側に八ッ場ダム本体左岸作業ヤードが見え、ダム軸には両岸を結ぶロープが吊るされています。(写真右:吾妻渓谷上流端の山は、作業ヤードを造成するために掘削され、地肌が露出している。)
昨年10月に開通した八ッ場大橋は、対岸の川原畑地区と川原湯地区を繋ぐ橋です。八ッ場ダム事業では、八ッ場大橋を含めダム湖をまたぐことになる三本の湖面橋が建設されました。(写真下:八ッ場大橋から川原湯地区の打越代替地を望む。正面の谷を打越沢が流れている。)
八ッ場大橋から下流側を眺めると、吾妻渓谷のダムサイト予定地が遠くに見えます。
写真の右下のあたりに昨年まで川原湯温泉駅がありました。跨線橋だけが残っています。
緑の山と山との間のV字谷に八ッ場ダムのコンクリートの壁が建設されることになっています。V字谷の手前に、廃線になった吾妻線の鉄橋が見えます。
八ッ場大橋より上流側を眺めると、川原湯地区と川原畑地区の水没予定地の美しい景観が広がっています。吾妻川の右手が川原畑地区、左手が川原湯地区です。吾妻川をまたぐ旧国道の千歳新橋と吾妻線の鉄橋もよく見えます。
3. 川原畑地区の東宮
1783年8月5日午前10時ごろ、浅間山の大噴火。噴火から約1時間で火口から約23キロの川原畑に吾妻川を流れ下った“天明泥流”が到達したとされます。
東宮と西宮は吾妻川の河床から約40~50メートルの河岸段丘上にあります。泥流は緩やかに家屋を倒しましたが、住民の多くは背後の里山を駆け上って助かったとされます(長野原町誌によれば川原畑村の死者4名)。天明泥流に覆われた水没予定地では、ダム水没によって遺跡が破壊されることから、各地で発掘調査による記録保存が進められています。(写真右:東宮遺跡)
ダム事業による発掘調査は継続中ですが、湧き水と泥流によって当時の住民の生活がタイムカプセルのように良好な状態で出土し、大きな注目を浴びました。川原畑地区の水没予定地には、かつての信濃街道支道(真田道・さなだみち)も残されており、この土地が往時は街道筋として栄えたことをうかがわせます。
昨年11月、国交省と群馬県によって国道が封鎖されました、これは水没予定地に残る住民への圧力と追い出しを目的としたものとされます。現在、許可証を支給されれば国道を通行できますが、住民には通行許可証は支給されていません。(写真右:立ち入り禁止の旧国道、千歳橋付近)
4. 川原畑地区の八ッ場沢
川原畑地区代替地の最下流側では、埋め立てられた八ッ場沢の対岸で、1月から八ッ場ダム本体工事の発破作業が始まりました。国交省は発破作業の開始をもって八ッ場ダムの本体工事を開始したとしました。(写真右:発破作業が行われている吾妻渓谷上流端の作業ヤード)
作業現場から100数十メートルの付替え国道では、縁石が変形しているのが見えます。付替え国道の変形については、昨年より群馬県が調査中です。国道変形の原因について、地質学者はこの地域に広く分布する酸性熱水変質帯によるものと指摘しています。脆い地盤は代替地の安全性に関わる重要な問題です。
見学会の最後に、吾妻渓谷の下流側に向かい、渓谷パーキングの脇の橋より吾妻川を間近に見下ろしました。八ッ場ダムが完成すると、ダムによって吾妻川の流れが変化することから、水没しない渓谷下流部の生態系も影響を受けることが懸念されています。
3時間という限られた時間の中で、ダム事業の影響が最も深刻な吾妻渓谷に隣接する地域を駆け足で回って見学会は終了となりました。晴天に恵まれだけに、まぶしい新緑と工事現場の破壊のコントラストが一層際立って見えました。
廃線になった吾妻線の線路
水没予定地の水路
ALL PHOTOS BY生熊友博
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