八ッ場ダム予定地の川原湯地区では、代替地に新しい川原湯神社が完成し、例年通り、4月8日に春祭りが執り行われました。
神様を遷す遷座式は、3月に行われる予定だったそうですが、神社の建設が遅れたため、3月は仮の遷座式を行い、春祭りの日に本遷座式となりました。
神社の前を通っているのは付替え県道です。ダム予定地の川原湯温泉街を通っていた群馬県道238号 川原湯川原湯停車場線(かわらゆかわらゆていしゃじょうせん)は八ッ場ダムができると水没するため、補償事業として建設されました。背後の山には土砂災害危険渓流が幾筋もあるため、砂防工事が続いています。
(写真右=JR吾妻線「川原湯温泉」駅の裏手にある新しい神社。)
川原湯の春祭りでは、地区の男衆が太々神楽を奉納します。
この太々神楽は、大正末年~昭和初期、吾妻渓谷の下流にある松谷神社(東吾妻町松谷地区)に伝わる神楽に感動した住民らが松谷地区から伝授を受けたことに始まるといいます。
川原湯地区では、第二次大戦中は人員や物資不足で神楽を奉納できなかったものの、昭和21年4月8日の春祭りに復活し、それ以降、毎年住民が古式ゆかしい装束に身を包み、古事記に由来するお神楽を奉納してきました。(「長野原町の民俗 ~八ッ場ダム水没地域民俗文化財調査報告書」、1987年、長野原町)
昨日は、奉納された十一座について、松谷神社の壁から書き写したという解説と、舞い方の住民の名前を印刷した説明書きが川原湯神社のパンフレットとともに社務所で配布されました。パンフレットに掲載されている拝殿は、これから解体される旧神社の写真です。
冬が厳しい川原湯地区でも、春祭りの頃になると梅が咲き出します。昨日はあいにく、霧雨がなかなかあがりませんでしたが、春の訪れを実感しながらお神楽を楽しむ人々は、大人も子供も自然と顔をほころばせていました。
太々神楽のフィナーレは、キツネとヒョットコとやぶ医者による「余興」です。「天下泰平、依って目出度し、目出度し」とお祝いの舞いを舞い、舞台のまわりに集まる聴衆に菓子やミカンを投げて終わります。午前中から始まったお神楽が終わる頃、雨はやんでいました。
写真=舞台上の白キツネが聴衆にミカンを投げているところ。参道のぼんぼりに「八ッ場ダム建設工事」の文字。
写真=鳥居の脇に幟がたった。
写真=神社の参道。右手に社務所。
写真=間もなく解体される旧神社の神楽殿。昨年までは、手前の椅子に川原湯のおばあさんたちが座って、午前午後と続く神楽を見物していた。
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「川原湯神社の遷座」