八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

川原湯温泉のやまた旅館、代替地で再出発

2013年5月16日

 川原湯温泉のやまた旅館が来月、代替地で再出発するとの記事が群馬版の紙面に載りました。
 やまた旅館の先代のご当主は、八ッ場ダムの反対期成同盟の中心で活動した故・豊田嘉雄さんです。小さなやまた旅館は、代替わりした後も川原湯温泉らしい素朴さと繊細さをあわせ持つ宿として、多くの川原湯ファンに愛されてきました。
 国のダム事業によって、最も大きな犠牲を払ってきた旅館の一つであるやまた旅館が、代替地での再建第一号となることは、地元の犠牲の大きさを示唆するものでもあります。

◆2013年5月16日 読売新聞群馬版
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20130515-OYT8T01661.htm?from=localtop

 -八ッ場の宿 再出発ー

 八ッ場ダム(長野原町)が完成すれば水没する川原湯温泉で約60年の歴史を持つ「やまた旅館」が6月、現在5軒残る旅館で初めて、高台に整備された代替地に移転して営業を再開する。他の老舗旅館や土産物店も代替地で年内の再開を目指しており、民主党政権で建設中止騒動に揺れた山あいの小さな温泉街が生活再建に向けて動き始めた。

 鎌倉時代に源頼朝が発見したと伝わる川原湯温泉は、1970~80年代には22軒の旅館があったが、ダム関連工事が進むにつれて民家の移転や旅館の廃業が続いた。2009年に民主党政権がダム建設中止を表明すると、ダム湖畔の代替地で再出発を目指していた旅館2軒も先行きが不透明との理由で休業し、営業するのは5軒に減った。

 やまた旅館は、経営者の豊田拓司さん(61)が趣味で焼いた器に料理を盛るなど主に1人で切り盛りしてきた。昨年、源泉から代替地に湯を引き上げる施設が完成したことで移転を決断した。移転準備のため年末から一時休業している。

 新しい旅館はダムサイト(予定地)に近い場所で、木造2階建て約300平方メートル。宿泊用は5部屋で、収容人員は十数人を予定している。浴室の壁に豊田さんの器を埋め込むなど工夫されている。旅館の隣には陶芸工房を設けており、豊田さんは「宿泊客にも窯やろくろで焼き物を楽しんでほしい」と意気込む。

 現在、顧客に出す案内状を用意するなど準備に追われており、18日には知人ら約20人の団体客をもてなす予定。その後、本格的に引っ越し作業を進め、6月2日から本格的に営業を再開する計画という。

 このほか、約350年前の江戸時代に創業した「山木館」も5月末で一時休業し、代替地に建設中の新旅館を9月下旬に再開する。温泉街唯一の土産物店「お福」も代替地に新たな店舗を建てており、今夏の開業を目指す。

 ただ、肝心のダム本体の着工時期は自民党政権でも不透明なままで、豊田さんは「政治に期待しても仕方ない。自分たちで生活を立て直すしかない」と語る。