八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「法に理に情にかなう事業か」(朝日新聞)

2009年8月27日朝刊 朝日新聞オピニオン面より転載

「記者の視点 八ッ場ダム 法に理に情にかなう事業か」 ー菅野 雄介 前橋総局ー

 国が15年度完成を目指す八ッ場ダム(群馬県長野原町)は4600億円の事業費を投じる日本一高額なダムだ。その建設中止をマニフェストに掲げた民主党を、受益者となる東京、埼玉、千葉、群馬の各都県知事が批判している。
 いわく、「極めて無責任」「地元の声を聞いたのか」。ダム計画に半世紀以上にわかって振り回された水没地域の住民を取材した実感としては、政府・自民党に向けるべき言葉ではないかと思った。
 八ッ場ダムは1952年に治水を主眼とした構想が表面化。上流の水が強酸性だったため、国はいったん断念したが、上流の中和事業で計画が復活した。当時、高度成長期の人口急増などで首都圏は深刻な水不足に陥っていた。東京都の水需要は85年に日量931万㌧になると予測され、国は水の確保を強調した。
 だがいま、都は13年度の水需要を日量600万㌧と言い、他県にも切迫感はない。200年に一度の大雨による洪水被害を抑えるという治水目的も、既設の6ダムに八ッ場ダムを加えても目標の3割しか達成できない。知事たちの言葉と裏腹に「ないよりはあった方がいい」といった行政の「本音」も透けて見える。
 厳しい反対運動を繰り広げていた水没地域の住民は80年代、地域振興策と引き換えに条件付き賛成へ舵を切った。いっこうに耳を貸さない国を相手に、孤立無援の反対運動に疲れ切っていたからだ。
 2度の工期延長で完成が15年も延びてもなお「早く造ってくれ」と住民が悲鳴を上げる構図を、法政大の五十嵐敬喜教授(公共事業論)は「日本の悲劇だ」と表現した。
 民主党はダム中止後の地域への支援法案も検討しているが、住民はこの半世紀で国や政治にすっかり懐疑的になった。「その法律の施行までに何年かかるのか」と、うんざりした声を何度も聞いた。
 同様に民主党が中止を掲げた川辺川ダム(熊本県)は、福岡高裁判決で事業の正当性が揺らいだうえ、県知事の一声で事業が休止している。一方、八ッ場ダムは、受益者の6都県を相手取った住民訴訟で6月末までに東京、前橋、水戸の3地裁がいずれも「行政の合理的な裁量の範囲内」などと建設を容認し、6知事も推進姿勢を崩していない。
 仮に民主党政権となっても、水没地域の住民や受益都県が複雑に絡んだ糸をほどくのは容易ではない。いきなり中止ではなく、休止にして不必要さを検証し、粘り強く関係者に理解を求める姿勢が必要だろう。
 60年代、熊本・大分県境の下筌(しもうけ)ダム建設に抵抗した「蜂の巣城紛争」が、地元に報いる70年代以降のダム建設手法に結実したとされる。抵抗運動を率いた故・室原知幸さんはこんな言葉をのこr費s他。
 「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならない」
 果たして、八ッ場ダムには当てはまるだろうか。