東京新聞特報部の記事を転載します。
◆2011年7月24日 東京新聞「こちら特報部」
ー高台なのに洪水? 1947年カスリーン台風 「八ッ場」基本高水検証 浸水図の謎 国交省資料に矛盾、学者ら批判ー
「国土交通省が出した資料は、事実と違うのではないか」。八ッ場ダム(群馬県長野原町)の建設根拠となってきた利根川の基本高水を検証する日本学術会議分科会。ここに国交省が提出した一九四七年洪水時の「浸水図」に、専門家が疑問を投げかけた。現場を歩いてみるとー。(篠ケ瀬祐司)
国交省の資料が、浸水地域として色分けした場所は、とても浸水しそうにない高台だった。
国交省は六月八日の同分科会に、四七年のカスリーン台風時に利根川水系でどれだけ氾濫したかを推定する資料を提出。四九年に群馬県が作成した「群馬県水害被害図」を、今回の資料提出に合わせて国交省が補正した。
その「浸水図」によると、利根川支流の烏川左岸の同県高崎市市街地も、広く浸水したことになっている。
ところがその一帯は「高崎台地」と呼ばれる場所だ。高崎市役所近くの「聖石橋」から下流の城南野球場までを歩いてみると、川沿いの国道17号から百~二百㍍ほどは低地でも、それ以上川から離れると高さ五~六㍍の高台になっていた。
住民に尋ねてみた。カスリーン台風当時、中学生だった男性(七七)は「烏川右岸が氾濫したが、こちら側(左岸)は大丈夫。聖石橋のすぐ脇で床下浸水した家があったかなという程度だった」と振り返る。
国交省の「浸水図」が不正確と指摘したのは、大熊孝・新潟大学名誉教授(河川工学)だ。大熊氏は博士論文を書く際に利根川流域を歩き、カスリーン台風時の洪水状況を詳しく調査した。
大熊氏は今月七日、市民や学者らでつくる「治水のあり方シフト研究会」のセミナーで問題提起。元資料の「水害被害図」や、国交省利根川ダム統合管理事務所の解析図(七〇年作成)と比べると、今回の「浸水図」は「水があふれていない所をあふれたことにしている」と批判した。
「浸水図」は、同分科会が基本高水を計算する際の参考材料の一つ。これが不正確ならば、同分科会の「回答骨子」に盛り込まれた「基本高水は毎秒二万千百立方㍍」との数字も揺らぎかねない。
本紙の取材に対し、国交省は「『浸水図』は群馬県作成の「水害被害図」から忠実に作業をした結果だ」(河川計画課)と説明する。
同分科会は、この「浸水図」などをもとに、氾濫量は三千九百万~七千九百万立方㍍と試算している。これについても、大熊氏は「国交省が主張するカスリーン台風時洪水のピーク流量と、治水基準点へ到達した水量から計算すれば一億立方㍍以上になるはずだ」と首をかしげる。
これとは別に、利根川流域住民は二十一日、「回答骨子」についての質問状を同分科会へ送った。
国交省はカスリーン台風時、利根川の治水基準点である八斗島(群馬県伊勢崎市)に、毎秒一万七千立方㍍の水が流れたとしている。住民らは、こうした国交省の主張を、分科会として検証したかどうかなどを質問。
さらに「回答骨子」には分かりにくい一文がある。「推定値を現実の河川計画、管理の上で、どのように用いるか慎重な検討を要請する」としており、同分科会が試算した二万千百立方㍍との基本高水の「推定値」に、自信がないのではないかとただしている。