八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

淀川水系・川上ダム、建設目的空洞化のまま本体着工

 淀川水系・木津川の川上ダム本体工事の起工式が9月2日にありました。(ページ末尾に関連記事転載)

◆独立行政法人 水資源機構 川上ダム公式サイト
 http://www.water.go.jp/kansai/kawakami/

 川上ダムは国交省OBの天下り先である水資源機構が三重県伊賀市に建設する多目的ダムです。
 川上ダムの本来の目的は利水でしたが、当初、ダム事業に参画していた奈良県と兵庫県西宮市が水需要の低迷を理由に撤退し、人口10万人弱の伊賀市の水道事業だけが残っています。
 川上ダム建設の目的は治水と利水ですが、水資源機構は水資源開発を目的とした組織ですので、利水目的が失われると事業を継続することができません。全国で人口減少、水需要の減少傾向が顕著となっており、水資源機構の水源開発事業は往時より激減しています。川上ダム事業は伊賀市水道の参画によって、かろうじて成り立っています。
 
 伊賀市は、川上ダムによって開発されることになっている表流水を使うために自己水源(表流水より水質がよく安価な大量の地下水)の切り捨てを進めようとしていますが、人口は全国の他の都市と同様、減少傾向にあります。伊賀市では自己水源を守るための市民運動が続いています。

右画像、あるいは以下の文字列ををクリックすると、市民運動による川上ダム問題についてのスライドをご覧いただけます。伊賀市水道の問題だけでなく、治水対策としての川上ダムのかかえる問題についても解説しています。
「利水」からの撤退が私たちの未来を守る ―伊賀市と川上ダム問題- 水源開発問題全国連絡会 嶋津暉之

 伊賀市水道も川上ダムの水源は必要ないのですが、水利権許可権者である国交省近畿地方整備局は、伊賀市に対して川上ダムを前提とした豊水暫定水利権しか許可せず、川上ダム事業への参画を強制しているのが実態です。
*豊水暫定水利権・・・ダム完成を前提として完成前に河川管理者から水道事業に付与される水利権。暫定水利権はダム完成後、安定水利権となることになっている。

 河川の水利権許可権は、1964年の河川法改正によって建設省が一手に握ることになりました。
(一級水系は建設省、二級水系の許可権は都道府県であるが、二級水系も建設省の同意が必要となった。)
 河川からの新たな取水は、渇水時の流量が正常流量に不足しているという理由で、ダム等の水源開発事業に参画しなければ許可されません。ダム等が完成するまでの暫定豊水水利権のみを許可する水利権許可行政がダム建設を推進する手段になってきました。

 川上ダムはもともとは水源開発が主目的でしたが、現在では右の事業費の負担金の表(下記スライド57ページ)を見るとわかるように、ダム事業費の多くは治水目的でダム事業に参画する自治体が負担しています。

◆2018年9月3日 朝日新聞伊賀版
https://digital.asahi.com/articles/ASL925SQ6L92ONFB00K.html?iref=pc_ss_date
ー三重)着手から51年 川上ダム本体工事の起工式 伊賀ー

 三重県伊賀市で独立行政法人水資源機構が建設する川上ダムで2日、ダム本体の起工式が開かれた。民主党政権時代に本体着工が一時凍結されたが、自公政権になって国土交通省が事業継続を決めた。2022年度の完成を目指す。

 川上ダムは、木津川支流の川上川と前深瀬川の合流地点に建設する重力式コンクリートダムで、流域の治水と伊賀市の利水が目的。1967年に予備調査が始まり、当初は堤高91メートル、総貯水量3300万立方メートルの計画だったが、利水と発電に参加予定だった三重県や奈良県、兵庫県西宮市が撤退。新たな目的に周辺4ダムの堆積(たいせき)土砂除去時の代替機能を加え、堤高84メートル、総貯水量3100万立方メートルに縮小した。一方で総工費は850億円から1180億円に膨らんだ。

 すでに今年度分を含め約709億円が費やされている。

 国交省の諮問機関「淀川水系流域委員会」が2003年に「中止を含む抜本的な見直しが必要」なダムの一つに挙げ、再検討の対象に。水没予定地区から40戸が移転したが、09年に民主党の前原誠司国交相(当時)が設楽ダム(愛知県)などとともに凍結対象とするなど、曲折を経た。

 起工式は地元の青山ホールであり、予定地の元地権者や行政、工事関係者らが出席した。

 水資源機構の金尾健司理事長は「完成後は流域の各ダムと連携し、流域住民に安全で快適な生活を届けたい」とあいさつ。伊賀市を地盤にする自民党の川崎二郎衆院議員=比例東海=は「本体の起工にやっとこぎつけた。政権交代時の『ダム不要論』も収まり、自公政権では防災・減災が何より大事だと訴えてきた。100%の防災は不可能でも、減災に力を注ぎたい」と述べた。

 岡本栄市長は「最近の気象はどこでどんな災害が起こるかわからない。伊賀市は川上ダムと河道掘削、遊水地で本当に安心して暮らせる地域になる」と完成に期待した。

 この後、ダム左岸予定地に会場を移し、関係者や移転住民の子どもたちが工事の無事を祈ってくわ入れ式をし、くす玉を割った。

 苦渋の決断で土地を提供した移転住民の一人で、川上ダム対策委員会協議会代表の古川喜道さん(90)は、時の政権などに「言いたいことはいっぱいある。完成を待っていた先輩や同級生はみんな亡くなり、今は2人しか残っていない」としながらも、「今日は万々歳や」と喜んだ。(中田和宏)

川上ダムをめぐる動き■

1967年 建設省(当時)が予備調査着手

 81 建設省が実施計画調査開始

 93 建設大臣(当時)が実施計画認可

 98 地権者の移転開始

2001年 国交省の諮問機関「淀川水系流域委員会」設立

 03 流域委が川上など5ダムに「中止を含む抜本的な

   見直し必要」と最終意見

 04 奈良県が利水事業から撤退を表明

   地権者が離村式と移転先で開村式

 05 兵庫県西宮市が利水事業から撤退を表明

   国交省が規模縮小と事業継続の方針

 07 県が県営水道事業を伊賀市へ譲渡方針

   ダムの目的に周辺4ダムの「長寿命化」追加

 08 流域委が川上などを「適切でない」と意見書

   4府県知事が建設に同意する共同意見

 09 民主党政権発足

   前原誠司国交相が本体未着工のダムを凍結

 10 県営水道事業が伊賀市へ移管

 13 岡本栄・伊賀市長が建設の要望を表明

 14 国交省が建設継続を決める

 15 国交相が規模縮小を認可

 18 本体工事が起工