2013年1月21日
今年も例年通り、大寒の昨日、川原湯温泉街では湯かけ祭りが行われました。
約800年の歴史を誇る川原湯温泉の泉源(共同湯「王湯」に隣接)は、八ッ場ダム計画によって水没することになっています。ダム事業では、もともとの泉源の近くにボーリングによって新たな泉源を掘りあて、新源泉と呼ばれるこの温泉を水没線より高い山の中腹に造成した打越代替地に引湯するための仮の施設が出来上がっています。完成した引湯管は水没地を通り、川原湯温泉街の坂下にある大沢地点でポンプアップされる仕組みとなっており、新しい町道に埋設する本格的な引湯設備はまだつくられていません。
代替地につくられる予定の新しい川原湯温泉のメインロードとなるこの町道や、移転予定の川原湯神社の建設がいつ着工されるかもまだ明らかにされていません。今朝の上毛新聞の記事によれば、湯かけ祭りの代替地への移転は、代替地での周辺整備の状況を踏まえて検討するということです。周辺整備事業は大幅に遅れており、湯かけ祭りの移転の見通しも不透明です。
◆2013年1月21日 上毛新聞(ネット記事は前半のみ)
http://www.raijin.com/ns/2313586940732584/news.html
-最後にさせない 長野原・川原湯 湯かけ祭りー
氷点下3度の午前5時、源泉がある共同浴場「王湯」前で祭り開始。通りは選手と観光客、多くのカメラマンでごった返し、勢いよく湯をかけ合うと、もうもうと白い湯煙が立ち込めた。
八ツ場ダム水没予定地にあり、現在地での祭りは最後になる可能性も。「会場がどこになっても祭りを続けていく」。地元住民から伝統を受け継ごうとする力強い言葉が相次いだ。
氷点下3度の午前5時、川原湯温泉の源泉がある共同浴場「王湯」前で祭りが始まった。通りは選手と観光客、多くのカメラマンでごった返し、勢いよく湯をかけ合うと、もうもうと白い湯煙が立ち込めた。
高台の代替地には新年度、新たな祭り会場となる「王湯会館」が着工され、年内にも完成する見通し。ただ、会館が完成しても、周辺の温泉街整備や川原湯神社の移転の見通しが立っていないため、祭り会場の変更時期は周辺の整備状況を踏まえて検討する。
初めて総大将を務めた富沢和久(44)は「慣れ親しんだ所なので(場所が変わるのは)寂しい。伝統ある祭り。絶やさないようにしていきたい」と話した。
◆2013年1月20日 朝日新聞群馬版
http://digital.asahi.com/area/gunma/articles/TKY201301200248.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201301200248
ー奇祭継承、誓い新たに 群馬・川原湯「湯かけまつり」ー
八ツ場ダムができれば水没する長野原町の川原湯温泉で大寒の20日早朝、400年以上続く奇祭「湯かけまつり」があった。ダム問題に揺れ続けて60年余。現在地での開催は今回が最後の可能性があるが、住民たちは「湯かけの伝統は守る」と誓いを新たにした。
会場の共同浴場「王湯」の気温はマイナス3度。午前5時前、湯かけ太鼓が始まりを告げ、厳かな神事の後、白と赤に分かれたふんどし姿の60人の男たちが震えながら集まった。
「お祝いだ」。後継者不足の中、3年ぶりに復活した総大将冨沢和久さん(44)の合図に、白は篠原健さん(36)、赤は竹渕剛史さん(32)の地元育ちの大将が応じた。全員が湯をぶちまけて合戦が始まった。
「お祝いだ」と叫んでは湯をぶつけ合い、凍った階段を下りて源泉でくむ。1時間近く繰り返し、最後に、くす玉に全員で湯をかけ、落ちてきたニワトリを奪い合った。赤3羽、白1羽。拍手に包まれた。
源頼朝が見つけたと伝わる川原湯温泉。止まった温泉が再び湧いて住民が喜び合ったという江戸時代の故事にちなむまつりは、1952年のダム計画浮上後も代々受け継がれてきた。
町によると、高台の代替地で6月にも新しい王湯の工事が始まり、来年の今頃には完成予定。今回が現在地で最後かもしれない。
観光協会長で実行委員長の「やまきぼし旅館」経営樋田省三さん(48)は、まつりを地区の大切な神事と考え、政治と関連づけられるのを嫌う。「後継者も育ってきた。どこでやろうと大丈夫」と話した。
総大将の役目を果たした冨沢さんは「移転には寂しさと不安があるが、まつりは継続が第一。みんなと相談しながら毎年できるようにする」と決意を語った。(小林誠一、仲程雄平)
◆2013年1月21日 毎日新聞東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20130121ddm041040060000c.html
-湯かけ祭り:今年も盛大に 群馬・八ッ場水没予定地、「最後」の祭りー
八ッ場ダム(群馬県長野原町)水没予定地の川原湯温泉街で20日、恒例の「湯かけ祭り」があった。ダム本体工事の時期は未定だが住民の高台移転が進んでおり、現在地での祭りは今年で最後の可能性もあるという。
氷点下3度の寒さの中、下帯姿の住民ら60人が早朝からおけを手に温泉の湯をかけ合い、白い湯気が立ちこめた。
祭りの実行委員長、樋田省三さん(48)は「今年は日曜日で、高校生や20代の若手が多く参加してくれた。ダム問題にとらわれず、住民の手で地域を盛り上げ、祭りを未来に伝えていきたい」と話した。
祭りは、温泉の湧出(ゆうしゅつ)が止まった約400年前、神前に鶏を供えたところ再び湧き出し、住民が「お祝いだ」と湯をかけて喜び合ったのが始まり。同温泉は源頼朝が狩りをしている最中に発見されたとされる。【奥山はるな】