八ッ場ダムの水没地域では、1990年代、ダム事業に対応するために、全水没の二地区(川原湯、川原畑)と一部水没の三地区(林、横壁、長野原)の合わせて五地区がそれぞれ対策委員会を組織しました。3月のダム完成に伴い、五地区連合対策委員会が解散したことを地元紙が伝えています。
長野原町がダム事業を正式に受け入れた1992年以降、対策委員会は補償交渉、代替地分譲交渉などのために頻繁に会議を開催してきました。これらの会議には国土交通省や群馬県の現地職員も出席し、参加者には日当が支払われたということです。
地域で進められるダムの関連工事の内容やダム起業者(国土交通省)への地元の要望は、すべてこの会議で諮られましたが、世帯数の多い地区では対策委員会の役員のみが出席を認められ、ダム事業に批判的な住民は役員に選ばれませんでした。五地区連合対策委員長を長年つとめた萩原昭朗氏は、2015年に亡くなりましたが、この時は遺族と長野原町による合同葬が執り行われました。萩原氏も最後の委員長も一部水没地区の方ですが、水没住民ではありませんでした。(⇒「地元のダム対策委員長の訃報」)
ダムの関連工事は今もダム湖周辺で続いており、川原湯、横壁、長野原の三地区の対策委員会は存続するとのことです。
◆2020年5月15日 上毛新聞
ー八ッ場連合対策委解散を正式決定 長野原町で会合ー
長野原町の八ッ場ダム水没5地区の各ダム対策委員会の代表で構成する「八ッ場ダム水没関係5地区連合対策委員会」(桜井芳樹委員長)は14日、町内で会合を開き、解散することを正式決定した。ダム本体が3月末に完成したことから、一定の役割を終えたと判断した。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため総会を行わず、町役場で委員長会議を開いた。連合対策委は2006年、代替地分譲基準連合交渉委員会を引き継ぎ発足。09年の政権交代で建設中止となった際は、地元住民の考えとして国に建設再開を求めた。
ダム建設に伴う生活再建事業の工事が残っているため川原湯、横壁、長野原の3地区のダム対策委は存続する。林、川原畑の2地区の対策委は解散するが、各区がダム対策の役割を担っていく。
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写真=JR川原湯温泉駅の脇で建設中の地域振興施設「川原湯温泉あそびの基地NOA」
写真=林地区・勝沼の地すべり地で公園整備。「道の駅八ッ場ふるさと館」と「やんば天明泥流ミュージアム」から徒歩圏。
写真=モーターボートで流木等を除去。昨年10月の台風19号豪雨で湖岸に打ち上げられた流木やゴミが水位上昇に伴い水面に浮かぶ。