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「川辺川ダム中止の民意」(熊本日日新聞)

 7月4日の豪雨による球磨川水害を機に、球磨川上流の川辺川に巨大ダムを建設する川辺川ダム計画を復活させるべきだとの声があがっています。
 2009年の民主党政権下で川辺川ダム計画が実質中止となったことから、ネット上では「川辺川ダム」をつくるべきとの意見が民主党叩きのネタにもなっているのですが、外野がダムの是非を言う前に、球磨川流域の住民が川辺川ダムの問題とどう向き合ってきたのか、まずはこれまでの経緯を確認する必要があります。

 地元の熊本日日新聞がそのことを発信していましたので、紹介します。
 

◆2020年7月11日 熊本日日新聞
ー射程 川辺川ダム中止の民意ー

 球磨川の氾濫を受け県が今後進める治水対策の検証対象に、当時の民主党政権によって建設中止となった川辺川ダムの治水効果を含めるという。建設の有無による影響の検証は必要かもしれないが、確認しておきたいことがある。建設中止は、民主主義のプロセスを経て導き出された結論だったという点だ。

 2008年9月11日は忘れられない日になった。蒲島郁夫知事が県議会で川辺川ダム建設の白紙撤回を表明。翌年、当時の前原誠司国土交通相による中止表明につながった。知事の決断はそれほど重かったわけだが、それに匹敵する重要な動きがある。13日前の8月29日に徳田正臣相良村長が行った反対表明、さらに9月2日の田中信孝人吉市長=いずれも当時=の白紙撤回表明である。

 相良村はダム本体の建設予定地、人吉市はダム建設の目的である治水の最大受益地である。建設地と流域住民の負託を受けたトップの判断が、知事決断への大きな流れをつくった。知事は白紙撤回表明で「民意」という言葉を使い、過去、現在、そして未来の視点に立った重要性を説いたが、その民意は上流から下流へとつながっていた。知事の決断を県民の85%が支持した。

 蒲島知事が初当選した08年3月の知事選の立候補者は5人、熊日が開いた候補者討論会で蒲島氏を除く4人は建設に反対、蒲島氏のみが「半年後に決断」と保留した。仮に蒲島氏以外が当選し、反対を貫けたかは不明だが、方向性は「中止」だった。
 
 忘れてならないのは、潮谷義子県政による住民討論集会などの取り組みだ。それまでのダム推進から転じ、立ち止まって論点を整理。県民と考える時間を共有した。いわば熟慮期間で、この2期8年がなければ、中止には至らなかったと思う。

 川辺川ダム計画は法律上は今も継続しているが、プロセスを軽んじる拙速は避けてほしい。(荒木正博)