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水害危険地帯からの移転促す 国交省が指針策定へ

 国交省が水害危険地帯からの移転を促す指針を策定するとのことです。
 そうすべきだと思いますが、実際に進めるのは容易ではありません。

 水害常襲地帯として知られた川の合流点などは、かつては宅地化されず、数年に一度の水害を想定した土地利用が行われていました。ところが、第二次大戦後、そのような土地も宅地化が許可され、今回打ち出された政策とは逆方向の開発が優先され、これらの土地を水害から守るため、ダムを造る必要があると言われてきました。しかし、ダムの治水効果はダムから遠く離れた平野部では減衰するため、近年の豪雨多発に伴い、こうした土地が大きな被害にあう事例が増えています。

 現時点で、浸水危険地域の立地規制、建物規制を本格的に行っているのは、滋賀県の流域治水推進条例だけではないでしょうか。しかも、2015年につくられた滋賀県の条例も、実際に規制を行う地区指定は現段階では2地区にとどまっています。開発に対する規制は、地権者や開発業者の反発を招きやすいものです。

 なお、この記事でいう「人口の3割が浸水想定区域に住む」は、国土交通省「安心・安全で持続可能な 国土の形成について(参考資料) 平成26年11月14日)に示されている 「対象災害 リスクエリア面積 (国土面積に対する割合) リスクエリア内人口(2010) (全人口に対する割合) 洪水 約20,000 km2 (5.3%) 3,671 万人(28.6%)」を根拠にしているようです。
 当時は、発生確率概ね1/30~1/100程度の浸水区域図だけが示されていましたが、2015年に水防法が改正され、現在は1/1,000の浸水区域図も示されています。1/1,000の浸水区域図ならば、居住する人口の割合は3割よりもっと大きくなると思います。

◆2020年8月19日 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62815480Z10C20A8EE8000/
ー水害危険地帯からの移転促す 国交省が指針策定へー

 国土交通省は河川氾濫や増水による被害を軽減するため、危険度の大きい地域で建物の移転や開発制限などを進める。全国の市町村に20年程度の計画を作ってもらい、水害リスクが大きい場所で人の活動を制限する。甚大な豪雨被害が相次ぐなか、被害を最小限に抑える街づくりを進める。

 日本では人口の3割が浸水想定区域に住む。国交省関係者は「危険地域からの移転に対する補助金の制度はあっても、なじみの土地を出たくないと考える人も多くなかなか進まない」と話す。

 国交省は2020年度中に水害対策と街づくりのあり方などを盛り込んだ指針をつくる。21年度以降、全国の市町村に指針を参考にして住居移転や開発制限などの対策を考えてもらう。都市計画に位置付けるように求め、一定の強制力を持たせたい考えだ。

 国交省は指針で水害リスクの分析手法を示す。「具体的な検証を自治体だけで行うことは難しい」(東京都のある自治体)との声が出ていることを受けて、共通の評価軸で水害リスクを算定できるようにする。まず、市町村は水害の規模や発生確率を踏まえ、損失を受ける可能性がある人口や経済の規模を見積もる。避難体制も勘案して、どれだけのリスクがひそんでいるかを分析する。

 次に街づくりの方向性を定める。例えば、崖の近くの地域は土砂崩れの危険が高いため住民の移転を促すといった対策が考えられる。他にも河川の付近など水害リスクの高い地域は開発制限を設けることや、駅近辺の地域は都市機能を維持するための対策を講じることが必要になりそうだ。被害を最小化するのが狙いで、国交省は市町村に実効性のある対策を作るように促す。

 国には災害の危険がある地域の住居の移転を促す補助制度がある。市町村が定める計画に対し、国が事業費の94%を負担する。1972年に始まり、これまで3万9000戸が移転した。このうち、3万7000戸は11年の東日本大震災がきっかけだ。防災の観点から事前に移転を促す制度はあっても住民の合意形成の難しさが壁となり、利用は少ない。

 これまでは移転先につくる住宅団地の規模が10戸以上である必要があったが、2020年4月からは5戸以上に緩和した。浸水や土砂災害の恐れのある小さい集落の移転を促す目的で、制度を使いやすくした。ただ、要件を緩和してから移転に至った実例はない。

 気候変動の影響もあって河川氾濫や増水による被害が目立つ。国交省によると1976~85年と2010~19年を比べると、1時間に50ミリ以上が降る大雨の発生回数は1.4倍になった。予算の制約からダムや堤防といったハード整備に多額の費用はかけづらくなっている。土地の利用規制などのソフト対策の重要性が増している。

◆2020年8月21日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASN8N61RDN81TLVB01J.html
ー浸水地区の住民、高台への集団移転を要望 熊本豪雨ー

  熊本県南部を中心とした7月の記録的豪雨は、地域の生活基盤に深刻な被害をもたらした。住民の暮らしを支えてきた商店や、絆の象徴だった神社が被災。浸水した地区では、安全な高台への集団移転計画が浮上するなど、過疎化に直面する地域社会を一層揺るがしている。

 7月27日夜、避難所に指定された熊本県人吉市の小学校。大半が浸水被害にあった大柿地区の約50世帯が集まった。松岡隼人市長と県議の姿もあった。

 町内会長の一橋国広さん(76)は、市長らに高台への集団移転計画を説明し、支援を求めた。出席者によると、市長は「安心して暮らせるよう前向きに検討する」と応じたという。

 一橋さんによると、被災後、再び浸水することを恐れた10世帯ほどが地区を出ると言い出した。一方で、住み慣れた土地で暮らしたいという人も多く、住民の間で意見は分かれた。

 集落が立ちゆかなくなることを懸念した一橋さんが住民に提案したのが、地域ごと高台に移転する計画だった。候補地は地区の南にある標高220メートルの山の中腹。一橋さんは、ほぼ全世帯から移転に同意する署名を得たという。

 移転か、残留か――。一橋さん自身も悩んだ。自宅は1965年の豪雨の経験から、浸水に備えて2階建てにした。だが今回、2階の天井にあと20センチの所まで水につかった。一橋さんは「家はもうダメ。でも、生まれ育ったこの土地に残りたい」と話す。

 同じ地区の大柿長幸さん(68)は東日本大震災で津波に襲われ、高台に移転した被災者に自らを重ねた。「自然の脅威を見誤ってはいけない。堤防をかさ上げしても水はいずれくる」

 希望は、今の土地と高台にそれぞれ拠点を構えること。安全な住まいを望む一方、先祖代々の土地を守る使命もある。4千平方メートルの田んぼでの米づくりは、今の土地に農機具を置いた方が続けやすい。「この土地に魅力に感じて若い人が戻ってくればもっといい」

 球磨(くま)川沿いの芦北町箙瀬(えびらせ)で食料品などを扱う「中村商店」は、今回の水害で2階床上まで浸水した。無事だった酒類を除いてほとんどの商品を廃棄。天井には黒いカビが点々とある。

 同店の中村絹代さん(69)は「水に流されるために商売をしているようだ。もう無理だと思う」。建物は解体するつもりだ。

 創業は約80年前。浸水被害を受けるたび、4度の移転を繰り返してきた。1997年に4・6メートルかさ上げした土地に建てたのが、今回被災した建物だった。

 地区唯一の商店。車を持たない高齢者のため、食料品を載せた軽ワゴンで山間部を回る移動販売もしてきた。住民のことを思うと続けたい気持ちがよぎるが、周辺では転居を決めた人も出ている。「お客さんがいないと……。自分たちも残るか分からない」

 山間部に約15戸が並ぶ芦北町上原地区。中村商店が移動販売で回ってきた集落の一つだ。地区の商店は40年ほど前に姿を消し、車を持たない高齢者らは中村商店を頼りにしてきた。3年前に脳梗塞(こうそく)を患って右足が不自由になった岩下力さん(58)は一人暮らし。車の運転免許も返納しており、「移動販売がないとどうしようもない。でも、うちだけのために来てとも言えない」

 球磨村の淋(そそぎ)集落にある柴立姫(しばたてひめ)神社も被災した。ご神体は集落の世話役を務める中園充郎さん(68)が避難させたが、木製の鳥居が壊れるなどの被害が出た。再建のめどは立っていない。

 9世帯約20人の住民は毎春、神社で祭りを開き、酒を酌み交わして親睦を深めてきた。集落出身の女性は「淋は柴神さまを信じているから地区のまとまりがある」と言う。だが、水害で集落の大半が浸水し、男性1人が犠牲に。住民らは避難所や親類宅に移り、離ればなれになった。

 住民が集落に戻って来なければ来年の祭りは開けない。中園さんは「住民たちは我が家を直すのが先。今はとても祭りができるような状態ではない」。集落が育んできた絆が弱まらないか、心配は尽きない。(棚橋咲月、渡辺七海、伊藤秀樹)