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必要論再燃、熊本・川辺川ダム、水没予定地の村、未来は(毎日新聞)

 7月の球磨川水害を機に、復活しようとしている川辺川ダム計画は、国の公共事業です。
 川辺川ダム問題は球磨川流域でダム反対運動が盛んだった2000年前後には、テレビやグラビア雑誌でもたびたび取り上げられたテーマで、美しい清流が全国の多くの人々の心を捉えました。
 毎日新聞が全国版で、新たに起こっている川辺川ダム問題を取り上げています。首都圏の人々に、岐路に立つダム問題の深刻さが伝わるでしょうか。

◆2020年10月7日 毎日新聞東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20201007/dde/001/040/040000c
ー九州豪雨で必要論再燃、熊本・川辺川ダム 水没予定の村、未来はー

 2009年に建設が中止になり、7月の九州豪雨を機に必要論が再燃している熊本県の川辺川ダム。計画通り建設されていれば、村の中心部の大半がダムの底に沈むはずだった五木村の水没予定地を、前村長の和田拓也さん(73)に案内してもらった。

にぎわう「暫定」施設
 「5、4、3、2、1、キャー!」。若者たちが絶叫しながらバンジージャンプを楽しむ橋の下には、エメラルドグリーンの川辺川が静かに流れていた。「あそこは役場。あそこには傘屋。郵便局に駐在所に神社。私の家はあの辺りにありました」。橋の近くから水没予定地を見下ろしながら和田さんが指をさす。「子どもたちも多く、にぎやかでした」

 山々に囲まれた五木村で人々は古くから木炭作りや焼き畑農業などを営んで暮らしてきた。今回の豪雨でも氾濫した下流の球磨川の治水対策として1966年に巨大ダム計画が浮上すると、存亡の危機に立たされた村民は猛反発した。だが、再三球磨川の水害に苦しめられてきた下流域の強い要望の下、82年、苦渋の思いで受け入れに転じる。当時の村民の半数近い約490世帯が移転を余儀なくされた。

 村はダムの完成を見据え、「湖畔」を売りにした親水公園や民家村などの計画を立てた。ところが、09年の計画中止で前提が崩れた。はしごを外された村が新たに模索した振興策が水没予定地の「暫定利活用」だった。九州唯一という橋からのバンジージャンプもその一つで、国が設置を許可した。

 19年4月には、村が建設した宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI(いつき)」がオープン。川辺川沿いに広いウッドデッキ付きの宿泊棟が6棟並び、家族連れらに人気だ。新型コロナウイルスが感染拡大する中でも「密」にならず川遊びが楽しめるとあって、今夏は予約でいっぱいだった。

 ただし、ダム計画はあくまでも「中止」で、計画がなくなったわけではない。水没予定地も国有だ。和田さんによると、特別な手続きで村が利用しているが、ダム計画が再び動き出せば水没地となるため、移転可能な建物としなければならないなど制約も多い。一方、正式にダム計画が廃止されれば水没予定地は財務省の管理となり、これまでのように村が利用できるかどうかは不透明という。「いずれにしても、今は中ぶらりんになっているので、どちらかに決着せないかんのは確かなんです」

 ヴィラの先に生い茂る草木の間から廃屋がのぞいていた。「かつての集落の集会所です。ダムの反対集会や住民説明会が盛んに開かれました」。メインストリートだった集会所前の旧国道はそのままやぶに突き当たり、行き止まりになっていた。無縁墓、庚申(こうしん)塔、イチョウの木、小中学校のプール……。かつて集落があった跡があちこちに残る。

移転住民、思い複雑
 多くの村民が移転した高台の「頭地(とうじ)代替地」を訪ねた。和田さんもここの住民だ。整然と並んだ住宅街には水路が張り巡らされ、涼しげな音を立てているが、和田さんは先祖から受け継いだ元の土地を懐かしむ。「昔は庭先同士で『こんにちは』って焼酎を持って隣に飲みに行ったり、魚が捕れりゃあ魚を持っていったり。今はなかなか……」

 ダム論議の再燃をどう思っているのか。「やむを得ないからいいよという人もいれば、今さらとんでもないという人もいるだろう。本当にいるのかいらないのか県や下流域も含めて十分議論してもらいたい。決めたけれども情勢が変わった、政権が変わったからまた変えた、ではたまったもんじゃない。決めたら約束を守ってほしい」【平川昌範】

建設是非、二転三転
 川辺川ダム計画が中止されたのはなぜなのか。元々は下流の球磨川の治水対策として計画が持ち上がり、1966年に旧建設省が建設を発表。最終的に治水に農業利水と発電を目的に加えた巨大な多目的ダム計画になり、76年当時に350億円だった建設費は98年には2650億円まで膨らんでいた。

 一方、減反政策で水田が減る中、農家は「水は足りているのに水代が増える」と反発した。農家側が国を相手に起こした訴訟で2003年に敗訴した農林水産省は利水事業から撤退。発電事業者も追随し、多目的ダム計画は頓挫した。国は治水専用ダムへの変更を模索したが、ダムなどの大型公共工事への風当たりは計画時よりも格段に強くなっていた。流域住民や自治体の反対を背景に蒲島郁夫知事が08年に「白紙撤回」を表明。「脱ダム」を掲げた旧民主党政権が翌年、中止を決めた。