熊本豪雨から1年の区切りに、被災地、球磨川流域の現状を伝える報道が続いています。
毎年のように全国各地で大きな水害が発生し、被災者以外は過去の災害を忘れがちですが、当事者にとってこの一年も、これからも過酷な状況が続きます。
球磨川流域では、犠牲者50人に上る大水害を機に、国と熊本県が川辺川ダム計画を復活させましたが、治水効果が不確かで、いつ完了するかわからないダム計画が復活しても、地域の持続的な発展は見通せません。復旧工事は一部で進んでいるものの、西日本新聞の「写真で見る被災直後と今」を見ると、厳しい現実が伝わってきます。
◆2021年7月4日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASP717TNQP6CTLVB00T.html?iref=pc_ss_date_
ー昨夏の豪雨被災地 治水対策に不安 熊本県の球磨川流域ー
昨夏の記録的豪雨で氾濫(はんらん)した熊本県南部の球磨(くま)川の治水をめぐり、国や県が緊急的な対策を進めている。豪雨災害で川に積もった土砂の撤去や決壊した堤防の復旧は今夏に完了したが、遊水地整備など未着工の対策も少なくない。梅雨の大雨が懸念されるなか、住民は安全な環境が早く整備されるよう求めている。
球磨川支流の一つ、芦北町の吉尾(よしお)川。豪雨の際にたまった土砂が両岸を埋め、川幅が狭くなっていたが、県が5月に土砂の撤去を完了。元の川面が姿を見せた。
土砂がたまると洪水が起きやすくなる。県は今年の梅雨前までをめざして撤去を急ぎ、5月までに球磨川流域の県管理河川で約86万立方メートルを撤去し終えた。国も球磨川などで90万立方メートルを撤去した。
国土交通省九州地方整備局や県は3月、球磨川の最大支流・川辺川への新たな流水型ダム整備などを柱とした治水策を「球磨川水系流域治水プロジェクト」としてまとめた。
このうち堆積(たいせき)土砂の撤去や堤防の復旧などは、5~10年程度で取り組む緊急治水対策プロジェクトと位置づけている。人吉市内の2カ所で決壊した球磨川の堤防は5月末までに本復旧した。
一方、緊急対策のうち、堤防を市街地に寄せて川幅を広げる「引(ひき)堤」や、川からあふれた水を一時的にためる「遊水地」整備などは、4月に測量を始めたばかりだ。
国は2月以降、引堤や遊水地などの候補地を含む5市町村で住民説明会を開いたが、補償などの具体的な説明には至っていない。
記録的な早さで梅雨入りした今年、球磨川流域では大雨への不安が尽きない。
豪雨で25人が亡くなり、約3割の世帯で半壊以上の住宅被害が出た球磨村。九州北部の今季の梅雨入りが発表された5月15日、村に洪水警報が出された。
支流の増水で県道の路肩が崩れ、2地区の16戸31人が一時、孤立状態となった。20日夜から21日未明には、村内の観測所で氾濫危険水位を一時超える雨が降った。
熊本地方気象台などは豪雨で傷んだ河川設備を考慮し、球磨川の洪水予報にあたっては暫定的に基準水位を引き下げて判断している。
村の中渡徹・防災管理官は「少しの雨でも土砂崩れが起こり、氾濫危険水位を超える。気は抜けない」と話す。
自宅が屋根まで浸水して全壊した関根喜美子さん(74)=人吉市=は、国や県の取り組みが「遅い」と感じるという。昨夏並みの雨が降れば再び被災すると恐れる。「トラウマがある。梅雨の本番に入り、また水が来るんじゃないか」
被災後は人吉市と県境で接する宮崎県えびの市が提供した公営住宅に一時身を寄せ、昨年8月からは人吉市内で行政が借り上げた「みなし仮設」のアパートで暮らす。
アパートは高台にあるが、被災後に自宅に戻った知人から球磨川の増水への不安を聞く。
豪雨後、川辺川へのダム計画が再始動したが、関根さんは「河床の掘削などダムがなくてもできることはいくつもある。計画的に進めてほしい」と話す。
6月上旬にあった国と県などが治水対策を話し合う球磨川流域治水協議会の会合では、流域市町村の首長から、緊急対策の具体像を早期に示すよう国に求める意見が相次いだ。
球磨村の松谷浩一村長は「範囲や箇所、スケジュールなどが示されなければ今後の生活再建の検討ができない」との住民の声を伝えた。(伊藤秀樹)
【緊急治水対策プロジェクトの主な内容】川底を掘って水が流れる面積を広げる河道掘削(~2024年度)/地域を堤防で囲む輪中(わじゅう)堤整備と宅地かさ上げ(~24年度)/あふれた水を一時的にためる「遊水地」整備(25~29年度の間)/堤防を市街地に寄せて川幅を広げる「引(ひき)堤」(~29年度)/住まいの高台への移転促進/避難などの流れを定めた市町村のタイムラインの改善/個人版の「マイタイムライン」の普及促進
ー真新しい家は遊水地の候補に 九州豪雨1年、揺れる再建ー
https://digital.asahi.com/articles/ASP73725SP72TIPE00L.html?iref=pc_ss_date_
熊本県を中心に大きな被害が出た記録的豪雨災害から、4日で1年を迎えた。一連の九州豪雨では、九州5県で災害関連死を含む79人が死亡。熊本県では、氾濫(はんらん)した球磨(くま)川流域を中心に、今も約3700人が仮設住宅などでの仮住まいを余儀なくされている。
球磨川沿いの特別養護老人ホーム「千寿園」(球磨村)の入所者14人が亡くなるなど、熊本県内では災害関連死2人を含む計67人が犠牲になり、2人が行方不明となった。県によると、住宅約4600棟が全半壊。自治体が民間住宅を借り上げて被災者に貸す「みなし仮設住宅」を含め、6月末時点で1611世帯3675人が仮住まいを続ける。
人吉市が1825人と最も多く、球磨村938人、芦北町377人など球磨川流域の住民が大半を占める。このほか、被災した自宅に住んでいて行政の支援が必要な「在宅避難」世帯も約1600ある。
鉄道など交通インフラにも深刻な被害が出た。JR肥薩線は鉄橋が二つ流されるなどして八代(熊本県八代市)―吉松(鹿児島県湧水町)間で不通が続く。第三セクターのくま川鉄道は全線運休となっている。
治水策をめぐっては、国や熊本県などが、球磨川最大の支流である川辺川への流水型ダム整備を含む計画を3月に公表。流域全体で対策を進めている。
球磨川沿いの水没した集落では、壊れた家の公費解体が相次ぐ。修理して生活を再建する住民もいるが、国や県が示す治水策に大きな影響を受けている。(伊藤秀樹)
九州豪雨では、球磨川で大きな被害が出ました。国や県は治水策を進めますが、水没した地域の住民たちは生活再建で苦しい判断を強いられています。
進む「公費解体」、戻らぬ集落
「公費解体」
そう書かれた看板が、青々と生い茂った草むらのあちこちに立っている。
熊本県球磨(くま)村の今村地区。昨年7月4日朝、豪雨で氾濫(はんらん)した球磨川の濁流に襲われた。民家も、手入れが行き届いた田畑も、住民が花見を楽しんだ公民館も、すべて沈んだ。60代の男性1人が亡くなった。
豪雨の後、住民は崩れた自宅を残して、集落を離れた。今年6月までに戻ってきたのは20世帯のうち2世帯。8軒が取り壊された。
あれから1年となる3日午後、今村利彦さん(78)は、雨にぬれる畑を眺めていた。収入源だったコメ作りは、田んぼが土砂に埋まり断念。トマトの出荷で得られる月2万円程度の収入と、年金で生活する。
今年4月、2階まで泥が流れ込んだ自宅を修理し、妻のチエ子さん(71)と暮らしを再開した。県外にいる息子と娘からは、「球磨川に近くて危ないから安全な場所に移って」と言われた。だが、父から譲り受けた畑も、自ら切り出した木で建ててもらった家も、手放せなかった。「やっぱりここはよかね。住み慣れているから」
ただ、ほかの住民が戻ってくる兆しはない。
今村喜八さん(74)は、村の高台にある仮設住宅で暮らしている。集落が丸ごと浸水した光景が頭から離れない。公民館が取り壊され、昨年末に自宅も公費解体した。川沿いの集落へ戻る意欲は、もうない。
球磨村によると、人口は6月末現在、3295人。1年前より215人減った。71人が暮らしていた今村地区は24人が村を去った。
「再建するつもりがないのか…」
豪雨後、国や県は球磨川流域の様々な治水策を講じている。だが皮肉にも、こうした施策が人々の生活再建を揺さぶっている。
国や県は3月、今村地区を含む流域の住民を対象に説明会を開催。洪水時に川からあふれた水を一時的にためる「遊水地」の候補地として検討していると告げた。「うわさ話じゃなかったのか……」。自宅の再建を進めていた今村利彦さんは、その場で固まった。
配られた資料には、遊水地の具体的な形状案も書かれていた。遊水地に決まれば、移転せざるを得ない。「ここまできて移転はないよな」。真新しい家で、ため息をついた。
堤防が決壊し、ほぼ全域が水没した上流の人吉市大柿地区。豪雨直後、住民は高台への集団移転を計画したが、実現しなかった。
「涼水戸(すずみど)温泉」を経営する大柿章治さん(75)は、計画が立ち消えになったことを見届け、昨年12月に自宅を再建。常連客の声に押され、6千万円を投じて開業した施設の再開に向け、土砂で湧き出なくなった温泉も再び掘り始めた。
だが国は3月、大柿地区も遊水地にする案を提示。消えたはずの集団移転の可能性が再び浮上した。「年内に再開できるめどが立っていたのに。国はここに住んでいる俺らのことをなんだと思っているんだ」
球磨川流域の治水対策を担う国土交通省が遊水地の候補とするのは、人吉、球磨、相良の3市村内で計4カ所。どこにも生活再建の動きがある。八代河川国道事務所の担当者は「遊水地で移転の必要が生じた場合は、土地や建物についてはしっかりと補償させていただく」と話した。
温泉客らでにぎわってきた人吉市中心部。球磨川沿いに並んでいた民家や商店の公費解体が続き、「空洞化」が進む。
「みなさん再建するつもりがないのか……」。西九日町商店街で、水没した民芸品店を3月末に再開させた上村美穂さん(65)の気分は晴れない。商店街の周りの店が次々と解体され、20軒のうち、すでに7軒が更地になった。今後、両隣の建物も解体されると聞いた。
商店街の仲間と、また一緒に街をもり立てていきたい。でも、それぞれ事情があることは分かっている。たまに会っても「戻ってくるの?」とは聞けない。
なじみの客は来てくれる。だが、水につかった商品には半額以下の値段を付け、もうけは出ない。「私もいつまでここでお店を続けられるか」。空き地が目立つ商店街で、不安を抱えたまま店を開き続ける。(長妻昭明、村上伸一、藤原慎一)
◆2021年7月4日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/763939/
ー人影消えた集落、荒れ果てた田…球磨川流域に日常が戻る日はー
通行規制続く国道219号を行く──
犠牲者65人、災害関連死2人、行方不明者2人。甚大な被害をもたらした熊本豪雨から4日で1年を迎えた。球磨川流域の治水対策は、これから具体化される。球磨村から八代市坂本町にかけて球磨川と並行する国道219号は仮復旧を終えたが、ほとんどの区間で住民や工事関係者以外の通行は規制されている。取材用の通行許可証を車に乗せて約40キロを走った。(人吉支局・中村太郎)
「誰も住んどらんから、こんな平地にまでシカが出るようになってねえ」
人吉市に近い球磨村渡の山口集落で、向松(むこうまつ)良博さん(72)が畑を手入れしていた。山地が9割を占める村で最大の田園地帯。氾濫した球磨川から泥が流れ込み、ほとんどの田んぼは荒れ果てたままだ。
向松さんは先祖代々の田畑が雑草に埋もれるのは忍びないと、畑を耕し直してサツマイモやトウモロコシを育てている。「泥の栄養分のせいか、ようできとる」。ただ用水路も田んぼも復旧の見通しは立たない。「役場からはなーんも説明がない。このまま3年、5年もたてば、みんなまたコメを作ろうという思いもうせるんじゃないか」
復旧工事中の観光鍾乳洞「球泉洞」を通り過ぎ、神瀬(こうのせ)地区に着いた。あちこちで重機が家屋を取り壊している。大岩清子さん(76)はこの日、40キロ近く離れた村外の仮設住宅から改修工事中の自宅に戻っていた。
水に漬かったことのなかった築約70年の平屋は、豪雨で2メートル以上浸水。「全壊」と判定され、一度は住むのを諦めた。延べ100人以上のボランティアが泥をかき出し、きれいになっていく姿を見ているうちに「子どもや孫が帰る家を残したい」と思い直した。
結婚して神瀬に暮らして半世紀以上。「空気はおいしいし、地元のつながりも濃い。何もないんだけれど、ほっとできる場所」
この夏には再び暮らせるようになる予定だ。
さらに下流へ。豪雨後にゲートが全開になったままの瀬戸石ダムの管理用道路を渡る。JR肥薩線沿いの県道を進むと、瀬戸石駅(八代市坂本町)に着いた。
ホームのコンクリートは粉々。線路はねじ曲がり、ガードレールや鉄柵ともつれ合っている。元の姿が思い出せないほどに。豪雨1週間前に初めてSL人吉に乗り、通った場所なのに。
明治期の鉄道遺産を伝え、観光の目玉だった肥薩線は、球磨川第一橋梁(きょうりょう)が流失するなど450カ所が被災。JR九州は復旧費用の概算を年度内には示す考えとしている。
最後に訪れた「道の駅坂本」は豪雨で3メートル浸水し、5月に再開。販売スペースには弁当や地元産の野菜、まんじゅうなどが並ぶ。
駅長の道野真人さん(46)は東京生まれの東京育ち。豊かな自然に引かれて、両親の出身地である坂本に19年前に移住した。「球磨川に肥薩線、温泉、天文台まである。こんなに魅力的なところはない」
「坂本の人が元気になり、一人でも多く戻りたいと思える手伝いをしたい」と語る道野さん。ただ、今は観光客の姿はなく、経営は厳しい。国道219号の本復旧を待ち望むが、その時期は示されていない。
復興、一日も早く ~被災地は今 (被災直後と現在の写真)
人吉市街地
青井阿蘇神社前
球磨村茶屋地区
球磨村の国道219号
八代市の坂本橋
八代市坂元町荒瀬地区