国の川辺川ダム計画で村の元の中心部が沈むことになる熊本県五木村では、本日住民集会が開かれ、木下村長が正式にダム計画受け入れを表明したとのことです。住民の反応や背景などが報道されています。
以下の毎日新聞の記事では、村長の表明に対して反発はあったものの、「目立った混乱はなかった」としながら、村の「同意」がカッコ付きであることを示唆しています。ダム事業者は半世紀を超える巨大事業で人口が激減した村に100億円もの財政支援を行うと約束しました。五木村はダム受入れ以外には選択肢がない所まで追い詰められ、まさに苦渋の決断を強いられたと言えます。NHKの報道では、反発の声を具体的に取り上げています。
◆2024年4月21日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20240421/k00/00m/040/150000c
ー川辺川ダム計画 水没予定地・五木村も受け入れ正式表明ー
熊本県の球磨川支流の川辺川に国が建設予定の国内最大規模の流水型ダムを巡り、水没予定地がある五木村の木下丈二村長が21日、村民集会を開き、ダム建設の受け入れを正式に表明した。住民の一部からは反発の声も出たが、目立った混乱はなかった。構想から半世紀以上。賛成派と反対派による地域の分断、その後の計画の方針転換など、翻弄(ほんろう)され続けた村の「同意」を受け、計画が本格化する。
集会は村中心部の小学校体育館で開催され、村民約140人が集まった。木下村長はダムを巡る経緯を振り返ったうえで「水没地の利活用策などを具体的に考えていくためにも、本日をもって流水型ダムを前提とした村づくりにかじを切っていきたい」と説明。判断理由として、国や県からの100億円規模の財政支援など、村の振興策で「最大限の回答」があった点や、環境影響評価(アセスメント)で、環境に配慮した手続きが進んできたことなどを挙げた。
質疑応答で村民からは「今日初めて村長の思いを聞いた。住民同士で議論する時間を持つべきではないか」という意見が出る一方で「早く決断を示してほしかった。振興策を進めてほしい」といった声も上がった。木下村長は「ダムを前提としなければ、具体策も進んでいかない。協力してほしい」と理解を求めた。
終了後、木下村長は記者団の取材に、長年にわたって公共事業に振り回されてきた地元の首長として「大きな公共事業は、住民の貴重な財産を提供してもらい進んでいく。国は責任を持って小さな村や国民を路頭に迷わせないようにお願いしたい」と語った。
熊本県の木村敬知事は「新たな流水型ダムを含む『緑の流域治水』の推進について、流域の皆さまの理解が深まるよう国と連携して取り組むとともに、五木村の振興をスピード感を持って進める」とコメントした。【山口桂子、西貴晴】
◆2024年4月21日 NHK熊本放送局
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20240421/5000021858.html
ーダム建設表明に住民は“ダムではなく清流いかした村づくりを”ー
五木村の黒木晴代さん(67)は、木下丈二村長がダムの建設を受け入れる考えを表明したことについて、「村民の民意はすくい上げられておらず、悔しかったし、悲しかった。ダムではなく、清流をいかした村づくりの方が若者が多く訪れる村になると思う」と話しました。
黒木さんは、五木村を流れる川辺川沿いでペンションを営むとともに観光ガイドも務めていて、訪れる人たちに村内の自然の魅力や歴史を伝えたり、日本を代表する子守唄のひとつ「五木の子守唄」を披露したりしています。
結婚を機に村に移り住んだのは40年あまり前で、当時からダムへの賛否、補償をめぐって住民の間で意見が分かれるなど、わだかまりが生じ、巨大な公共事業の弊害を感じたといいます。
黒木さんは「住民同士で打ち解けて話をしたいのに、ダムが頭にあるから喋ることもままならなかった。水没する場所は、もともと家が多くあり、にぎわっていたのに今は何もない。その前の姿を知っているから悲しい」と振り返りました。
平成20年に、蒲島前知事が計画を白紙撤回したものの、令和2年7月の豪雨を受けて方針を翻し、流水型ダムの建設を国に求めたことに戸惑いを感じながらも、国の環境への影響調査に対して意見書を提出したほか、県が開く公述会に参加しました。
黒木さんは「川とともに生態系が壊れ、魚が消える可能性は残っていると思う。日本一大きなダムを作るという実験材料に使われてる気がして、怒りしか感じない」と語りました。
21日の集会に参加した黒木さんは、村長がダムの建設を受け入れる考えを表明した際に、目元を拭い、その後も目を閉じて話を聞きました。
黒木さんは「住民が意見を述べられる集会がもっとたくさん開かれればよかったのに、いきなり、きょう村長が考えを表明した。民意がすくい上げられず、悔しかったし、悲しかった。小さいけれども、振興策で頑張ってきた村になぜダムをもってくるのだろうと思います。水につかるという場所には多くの平地があって、住む場所も企業を誘致できる場所もある。想像ができないダムを建てるよりも、清流をいかした村づくりのほうが若者も多く訪れる村になると思う」と話していました。
◆2024年4月21日 NHK熊本放送局
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20240421/5000021855.html
ーダム建設をめぐる五木村の歴史ー
五木村は、川辺川ダムの建設計画により、村の中心部の移転を余儀なくされた歴史があります。
川辺川ダムの建設計画は、球磨川の流域で昭和38年から3年連続で起きた水害を受けて治水対策として持ち上がりました。
昭和41年に国が計画を発表し、ダムで中心部が沈むことになった五木村では、村民の反対運動が起こり、裁判にまで発展しましたが、平成8年、村はダムの建設に合意し、ほとんどの住民が高台に移転しました。
一方、その後も流域で反対運動が広がったことなどを受け、平成20年に当選した蒲島知事は「ダムによらない治水対策を追求すべきだ」として、川辺川ダムの建設計画の白紙撤回を表明しました。
その後、ダムによらない治水対策の本格的な検討が始まり、川幅の拡大や川底の掘削、それに洪水の際、一時的に水をためる遊水池の整備など複数の対策を組み合わせる方法が検討されました。
しかし、工期や費用の面から実現可能性が疑問視され、抜本的な対策が講じられないまま、令和2年7月の記録的な豪雨により、球磨川は再び氾濫。
流域に大きな被害が出たことを受け、蒲島知事が方針を転換し、環境に配慮した流水型ダムを川辺川に建設することを国に求める考えを表明しました。
流水型ダムでも、五木村は貯水時に一部が水没すると想定されており、村は、建設の賛否について判断を示してこなかった一方、国や県に対し、振興に向けた要望書を提出し、「持続的な発展に必要な地域振興の取り組みを県、村と連携して行う」などとする回答を国から得ていました。
五木村の木下丈二村長は、今月12日の県庁での報道陣の取材に対し、「新たなスタートラインに立つときが来たと判断している」と述べ、21日の村民集会でダムを受け入れるか、表明する考えを示していました。