*以下でお伝えした現地見学会の徒歩コースのうち、吾妻渓谷の八ッ場~上湯原橋の区間を11月18日正午より通行止めにするとの群馬県の告知文が10月28,29日に川原湯地区・川原畑地区の住民に配布されました。
今年も恒例の現地見学会を開催しました。
当会では、前身の八ッ場ダムを考える会の頃から現地見学会を10年以上続けてきました。個別のグループの案内も含めると、この間に開催した見学会は百回以上、参加者は千人を超えます。(右写真=水没予定地の千歳新橋から吾妻川上流を望む)
今回は、水没予定地の国道散策を中心とした企画でした。国土交通省は八ッ場ダムの本体工事を間もなく着工するとしており、国交省も群馬県も、吾妻川沿いの国道を本体工事専用にするため廃道化する方針だからです。
今回の現地見学会は、二週間足らずの呼びかけでしたが、30名以上の方が参加されました。
現地を初めて訪れた方でも歩いていただけるよう、当日のルートをご紹介します。
(現地見学会では、川原湯温泉駅と吾妻渓谷の往復にマイクロバスを利用しました。以下の全行程を歩き通すのは大変ですので、一部区間の散策をオススメします。)
◆集合場所:JR吾妻線 「川原湯温泉」新駅前
水没予定地の川原湯温泉街を下って、吾妻渓谷へ
*「川原湯温泉」新駅から吾妻渓谷までの区間、見学会ではマイクロバスを利用しました。徒歩ですと30分以上見込む必要があります。
(「川原湯温泉」新駅」から吾妻渓谷への道)
駅出口左側の豊田乳業の脇の小道を進む→ 墓地の脇を通る→ トンネル脇の薬師堂に突き当ったら、左側にある下り坂を辿る→ 川原湯温泉街→ 国道に突き当ったら、右に曲がって直進すると、吾妻渓谷入口
(薬師堂脇のトンネルを入っていくと、出口に新しい川原湯温泉街の代替地があります。)
◆国道散策コース:吾妻渓谷(長野原町と東吾妻町の町境より)― 本体準備工事現場ー 水没予定地の八ッ場大橋ー 水没予定地の川原湯温泉駅― 千歳新橋― 東宮遺跡― 久森隧道― 栄橋― 上湯原橋
スタート地点の吾妻渓谷の町境(長野原町と東吾妻町の町境)には、大蓬莱が聳えています。(写真右)
国道沿いに吾妻川を上流にさかのぼります。歩道が整備されていますので、老若男女だれでも渓谷の自然を間近に見ながら散策できます。
左手に流れる吾妻川の林の下をよく見ると、八ッ場ダム事業によって造られた仮排水トンネルの吐き口が勢いよく水を吐き出しているのが見えます。
このあたりから389メートル上流まで、八ッ場ダムの本体工事のために吾妻川の流れは遮られ、トンネルの中を川の水が流れています。
この先、八ッ場ダム事業によって渓谷左岸は樹木が伐採され、丸裸の状態です。工事現場の入り口に八ッ場ダムの本体準備工事の一つ、仮締切工事の看板が立っています。工期は10月末です。
後ろを振り返ると、岩峰の頂(いただき)に形のよい松の木が生えている小蓬莱が眺められます。八ッ場ダムの本体の壁は、この小蓬莱より約30メートル高くなるそうです。(写真右)
本体工事予定地には、八ッ場ダムの看板が立っています(写真右)。看板には八ッ場ダムの堤高131メートルと書かれていますが、実際は116メートルです。
2008年、八ッ場ダム事業の計画変更により、堤高が15メートル減少しましたが、堤の標高は変わりません。
もともと八ッ場ダムの本体工事では岩盤を18メートル掘削して丈夫な基礎を造る予定でしたが、ボーリング調査の結果、岩盤が想定より頑丈であったとの理由から、深さを15メートル減らすことになりました。
この先、歩道際に緑色の網が貼られている所が仮締切工事の上部工の工事現場です。ここには、吾妻川の流れを遮る高さ29メートルの小ダムが建設されることになっていますが、岩盤に引かれたラインをみると、すでに30メートルを超えている、巨大な小ダム(?)です。(写真右)
観光客に親しまれてきた滝見橋も、小蓬莱から上流側の渓谷遊歩道も、ダム事業によって3月末から閉鎖されました。東京から吾妻渓谷を何度も訪ねて来た参加者の方たちが、「これ以上自然を壊さないでほしい」という願いを込めて、横断幕をひろげました。
10月1日に湖面1号橋が八ッ場大橋という名称で開通しましたが、「八ッ場」という地名はこの湖面橋が架かっている場所より下流の、吾妻渓谷入口付近の川原畑地区の地名です。
吾妻渓谷の入り口には、本物の八ッ場大橋があります。大橋というのは大袈裟なような小ぶりの橋ですが、初めてこの橋が架けられた当時は、酸性河川の吾妻川に立派な橋ができたと、近隣住民に祝福され、こんな名前がつけられたのでしょう。
八ッ場大橋のたもとには、与謝野晶子の歌が掲げられていますが、夏草に覆われていましたので、クズの蔓を取り払って、ようやく見えるようになりました。
「吾妻の 八ッ場の橋に見るときは 水も音ある雲とこそ思え 晶子」
湖面橋となる八ッ場大橋からでは、晶子のうたった景観を味わうことはできません
八ッ場大橋から吾妻川の下流側を望むと、橋げたを外された滝見橋がよく見えます。滝見橋の直下で吾妻川の流れが遮られているため、上流側の水も淀んでいますが、渓谷に流れ込む滝や色づいてきた渓畔林を眺めることができます。
八ッ場大橋から国道沿いに千歳新橋まで、20分ほど歩きます。この二つの橋の区間、国道も鉄道も吾妻川右岸(川原湯地区)にあるのは、対岸の川原畑地区の地質が大変脆いためです。二つの橋の中ほどに旧・川原湯温泉駅があります。
千歳新橋は二本あります。もともとあった下流側の千歳新橋は道幅が狭いため、工事車両が通行しやすいように上流側の千歳新橋が造られました。上流の千歳新橋からは、下流の千歳新橋のオレンジ色のアーチがよく見えます。このあたりでは、紅葉がだいぶ進んでいます。
水が澄んでいる時は、川底の緑色の岩がよく見えます。この岩はグリーンタフと呼ばれ、「数百万年~数千万年前のもので、日本列島の土台をつくった地層」です。(参考図書:「やんば散策マップ」、国交省八ッ場ダム工事事務所)
下流側の千歳新橋を渡ると、対岸の橋のたもとに吾妻線の小さな鉄橋が見えます。その下のトンネルをくぐると、川原湯地区とともに全水没予定地とされる川原畑地区です。
礎石が草むらに埋もれ、かつては多くの人々の生活の場であったことがうかがえます。水田跡にはガマの穂が生えています。森の中は猿やイノシシ、熊などの野生動物の領域ですから、一人で入ると危険です。
細い小道(町道)をしばらく上流側に辿って行くと、東宮遺跡があります。現在、天明浅間災害遺跡の発掘調査が行われており、当時の石垣が見られます。
東宮遺跡の先に西宮遺跡がありますが、現在は発掘調査が終了し、遺跡は埋め戻されています。
梅林を抜けて、国道に戻ります。途中、JR吾妻線の西宮踏切(現在は使われていない)があります。国道沿いに、昭和61年にこの周辺が「河川予定地」、つまりダム水没地に指定されたことを示す看板が立っています。
(「河川予定地」では、家を新改築するにも、土地の形状を変えるにも河川管理者(国土交通省)の許可が必要となり、住民の権利が著しく規制されます。)
吾妻川沿いの国道をさらに上流に進むと、久森隧道(くもり・ずいどう)、久森の洞門などと呼ばれるトンネルがあります。久森峠嶺と呼ばれる、岩峰の先端の大岩をくり抜いたトンネルで、この岩峰が川原畑地区と林地区の境になります。
トンネルをくぐって進むと、「昇龍岩」、「臥龍岩」(写真右上)と呼ばれる国の天然記念物・川原湯岩脈があります。
八ッ場ダム問題が浮上した昭和40年代、川原湯岩脈は吾妻渓谷と並ぶシンボル的存在で、「渓谷と岩脈を残せ」のスローガンに誘われて訪れる観光客が少なくなかったといいます(参考:「吾妻渓谷見て歩き」、浦野安孫著)。
このあたりでは、歩道から吾妻川の流れが手に取るようによく見えます。吾妻川と周囲の山々の景観は季節ごとに変化に富み、見応えがあります。
川原湯岩脈の先に小さな栄橋があります。林地区と川原湯地区の上湯原と呼ばれる農村地帯を結ぶ橋です。現在、上湯原でも発掘調査が行われています。
昭和30年代まで吊り橋だったというこの橋は、川原湯温泉の繁栄を願って「栄橋」と名付けられたそうです。 栄橋から上流側を眺めると、この地域のシンボルとされる丸岩がよく見えます。丸岩にはかつて、戦国の雄、真田氏の砦があったといいます。
国道をさらに進むと、右手に国交省のPR館だった「やんば館」の建物があり、左手に久森水田があります。「やんば館」入口前に、吾妻川沿いの久森田んぼに下りて行く小道があります。
久森の田んぼでは、今年は大型台風に備えて台風前に稲刈りが終わり、はざ掛けも終わりました。長い歳月、久森沢の水を引いて行われてきた耕作も、ここでは今年でおしまいです。
田んぼの向こうに巨大な不動大橋が聳えた立ち、その下に小さな上湯原橋が見えます。国交省は国道と共に上湯原橋も本体工事専用ルートとして一般車両を締め出す方針です。
今回の現地見学会では、この後マイクロバスに乗って、八ッ場大橋(湖面1号橋)へ行き、橋の上から歩いてきた国道や橋を眺め、川原湯・川原畑地区の代替地などを見学しました。
八ッ場大橋(湖面橋)から上流側の眺め
二本の千歳新橋と吾妻線の橋梁、吾妻川と並行して走っている国道、右手に広がる川原畑地区の集落、左手の山ふところに川原湯温泉街
八ッ場大橋から下流側の眺め
正面のV字谷に八ッ場ダムのコンクリートの壁が造られると、この風景の大半はダム湖の濁り水に変わります。