11月20日に国交省八ッ場ダム工事事務所が「来年1月に本体工事着工」と発表したことを受けて、各紙がこれを報道しましたが、ネット上に掲載されなかった記事が日本経済新聞に載っていました。
八ッ場ダム事業を「地域振興策」という地元目線で捉えた場合、どういう意味をもつのか。
わが国のダム事業では、ダム予定地域の犠牲の見返りとして、地域振興策が実施されるのが一般的です。八ッ場ダム事業における地域振興策は、他に例を見ない大規模なものです。このことが、地元がダムを受け入れたきっかけであり、またダム中止に地元から大きな抵抗がある要因でもありますが、同時に、八ッ場ダムの事業費が他のダム事業よりはるかに高額である理由でもあります。
”地域振興”という美辞麗句とは裏腹に、地域は衰退の一途をたどっています。
◆2014年11月21日 日本経済新聞 北関東版
ー八ッ場ダム本体、1月着工 人口減対策、地域の課題 公共事業頼み、将来描けずー
八ッ場ダムは構想から60年以上が経過している
1952年 利根川改修改定計画の一環として調査に着手
92年7月 長野原町と群馬県、関東地方建設局が基本協定書を締結
94年3月 ダム周辺のインフラ整備工事を開始
2009年9月 前原誠司国交相(当時)が建設中止を表明
11年12月 前田武志国交相(当時)が建設継続を表明
12年12月 建設推進を掲げる自民党が政権に復帰
13年12月 政府が5年ぶりに本体工事費を予算案に計上
15年1月 本体着工
民主党政権時に凍結された八ッ場ダム(群馬県長野原町)の本体工事が2015年1月に始まる。当初は2009年度着工予定で5年遅れての開始となった。この間、周辺住民の「生活再建」の名の下、付随工事は続いていた。同町は他の地域同様、人口減に苦しんでおり、公共事業だけでは地域の再建は見通せない。巨額を投じた同地域の将来像をどう描くかが大きな課題になる。
現在、川の水がダム予定地に入らないようにする工事が進んでいる。今年中に周辺の樹木を伐採。来年1月、ダム本体の掘削工事に着手する。16年6月に堤体工事に入る。
同ダムの構想が出たのが1952年。その5年前、利根川が決壊して1000人以上の死者が出た台風がきっかけだった。当初は反対一色だったが「生活再建事業(地域振興策)をしっかりやる」という国の説明に、次第に容認派が増えていった。
八ッ場ダムは大きく3種類の事業に分けられる。
1つがダム建設事業(4600億円)で、ダム本体、用地取得のほか、付け替え道路・鉄道などがこれにあたる。2つ目が地域振興のための「水源地域対策特別措置法(水特法)」に基づく事業(997億円)だ。上下水道整備のほか、付け替え道路を従来より広くする場合などにも使われ、国や下流都県がお金を出す。3つ目が「利根川・荒川水源地域対策基金」を使った事業。「下流都県がお金を出し、水特法では賄えない振興策を実施する。
この結果、地域は一変。水没する国道の代わりに、ダム湖の両面に広い道路を2本建設。巨大な橋が3本架かった。小学校、中学校も新しくなり、10月には付け替え鉄道も開通した。ダム予定地の不動産を国に売却して億単位のお金を手にした人も少なくないという。
水没する5地区それぞれに地域振興施設を建設する予定で、すでに道の駅、宿泊施設付き市民農園「クラインガルテン」が開設。さらに水没する駅舎を復元した地域振興施設を作る構想もあり、生活再建事業はまだ続く。
ダム本体は19年度に完成する計画。建設を受注した清水建設などの共同企業体(JV)は建設期間を514日短縮できると提案している。
長野原町は「ダム湖の見える温泉地」として活性化を狙う。ただ、ダム周辺は広い町の一部にすぎない。同町の人口は6000人を下回り、この20年間で18%減少している。人口の32%が65歳以上だ。
増田寛也元総務相が座長を務める日本創生会議は同町を「消滅可能性自治体」に挙げている。田村守・元町長は「本体着工までに町全体の活性化策を決め、国から必要な施策を引き出すべきだった」と語る。
一方で、同ダムに伴い、新設・拡充した町道は37路線にのぼり、「維持管理の財政負担も大きい」(萩原睦男町長)。生活再建の名の下、何千億円も投じた同町が将来、消滅したのでは、まさに税金の無駄遣いとなる。(前橋支局長 鈴木禎央)
●八ッ場ダムの関連工事の中で最も巨額な税金を投じて建設された付け替え国道の工事(2010年3月5日撮影、川原畑地区)
—転載終わり—
《参考】 八ッ場ダムの事業費の内訳は、以下のページの表をクリックすると表示されます。
https://yamba-net.org/wp/problem/meisou/futan/