八ッ場あしたの会では、2012年9月22日に群馬県高崎市でシンポジウムを開きました。
シンポジウムに寄せて、ダム予定地を抱える長野原町の方々からメッセージをお送りいただき、会場で紹介させていただきました。
メッセージをお送りいただいた方々より許可をいただきましたので、ホームページに掲載します。
(メッセージの無断転載を禁じます。)
八ッ場ダムについて感じることは、怒りと哀しみだけです。
高山 彰
怒り
一.国交省のやり方、汚いです。公約はほとんど守らない。
一.補償基準を提示する時には、代替地を完成させると言っていたにもかかわらず、補償基準の提示から十年以上過ぎても、いまだに代替地は完成していません。その間、死んでいった人、川原畑から移転して行った人・・・その中に、私の老いた両親も・・・。
一.田村前町長は地区の会議の席で笑みを浮かべながら、「川原畑はダムができればとてもいい所になりますよ」と言いました。聞いていた私は、憤りを感じたことを昨日のことのように覚えていて、生涯忘れることはなく、許せない思いがします。
一.前原大臣には呆れかえるは、前田大臣も長野原町に突然やって来て、ダム中止を撤回し、現町長やダムで沈まない人たちとバンザイなどして、この怒りをどこにもっていけばいいのでしょうか。
一.川原畑の春や秋の祭りに、国交省の職員や建設会社の人間と一緒に酒盛り。地元の私としては、怒りを通り越して、寂しいです。
哀しみ
一.老いた両親が他の町へ移転し、母が亡くなって辛い思いをし、いまだに時には涙します。母親イコール古里なのです。
一.(ダムに反対だといったら)娘に「お父さんは非国民だ」と言われ、大泣きされた時も辛かったです。
一.住民どうしがダムの会議のたびに、掴み合い、怒鳴り合う姿、思い出すたびに切ないです。
はたして八ッ場ダムは必要かということです。どうしても必要なダムであるならば、何十年も前にできているはずだと思います。
自然災害であれば諦めもつくけれど、どうみても八ッ場ダムは人災としか考えられません。川は流れているのが自然であり、汚れた水をわざわざためる必要はないと思います。
今でも川原畑の代替地の裏山は動いている状態です。川原畑だけでなく、川原湯、林、横壁と、どこの地区でも地すべりの可能性大です。そこに水をためれば、結果はどうなるか、私のような愚かな人間でもわかります。
長野原町水没地区外在住 女性
2009年、八ッ場ダム建設中止をマニフェストに入れた民主党に政権交代した時、それまでの「八ッ場ダムはつくられるものだ」と信じていた自分の意識から、「つくらなくてもいいのだ!」と目が覚めたように感じとても嬉しくなりました。
私は自分の故郷であり、現在住んでいる長野原町の自然が大好きです。
雄大な山々に囲まれた景色の中に広がる高原の風景も素晴らしいですが、吾妻川沿いの渓谷と岩脈の景色は、夏は緑のシャワーのなかに浸っている気持ちに、冬は漆黒の墨絵のなかに入り込んだ気持ちになり、気持ちがささくれ立った時に癒してくれるこの素晴らしい自然があることを感謝せずにはいられません。そしてそこには、植物をはじめ数多くの動物達が生息しています。
これらのものは、人間がつくりたいと思っても、たとえどんなにお金を積んだどころで造り得るものではありません。
しかし、ゼネコンに多額のお金を払えばあっという間にこの自然は壊され、ダムになってしまうでしょう。
いったい国民の税金で私達がつくろうとしているダムは、誰の為に、そして何のためにつくるのか、本当のことに気付かなければいけない時に来ていると思うのです。
それまで「八ッ場ダムはつくられるものだ」と思っていた気持ちを切り替え、八ッ場ダムについて少しずつでも状況を知ろうと思うようになりました。その結果、現在は「八ッ場ダムは絶対につくってはいけない」と強く思うようになりました。
そして今は、長野原町の一人でも多くの方に、「八ッ場ダムはつくられるものだ」という呪縛から逃れて、一人ひとりが本当に必要かどうかを考えて欲しいと思います。
私も以前は、「水没地区の方達がダムを必要としているのならつくったほうがいいのではないか」と考えていました。しかし考えてみれば、八ッ場ダムは長野原町だけのものではありませんし、水没地区の方のものではありません。生活再建の事業等に関しては、下流域の方の税金も投入されますが、日本国民全体の税金が投入されてつくられるものなのです。ですから、「長野原町の人がダムが必要ならつくればいい」などと言わずに、是非、ご自分の払った税金の使われ方として八ッ場ダム事業が本当に必要なのか、そして正しい使い方なのか、国民一人ひとりの方に考えていただきたいのです。
昨年のことですが東京に住む友人に、「都会に暮らす人間は、長野原に住む人が“八ッ場ダムは都会の生活の為に必要だ”と思っていることは、ほんとんど誰も知らないよ」と言われました。子供のころから大人達に「都会の人の生活のためにダムは必要だからつくるんだ」と言われて、長野原町が涙を飲んで八ッ場ダムをつくる覚悟をしたことは都会の人達にとって周知の事実であると、今までずっと信じていました。しかし、実際にそのことを知る都会の方はほとんどいないこと、更には2009年の政権交代時の八ッ場ダムの報道で、八ッ場ダムは長野原町の住民全員が望んでいるのでつくるかのように多くの方が思っていることを知り、驚愕の思いでした。
結局のところダム建設も原発と全く同じで、都会のために田舎を犠牲にして、しかも一部の人だけがそれにより得をするだけで、その立地自治体と多くの一般住民には、何も得がないどころか将来的に多くの負担を背負うことになるのです。
この仕組みは原発事故によって明確になったことであり、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないと思います。
そもそも考えてみると、昔からあった山村の生活の場を水に埋め人々を代替地に移らせ、昔から川が氾濫するかもしれない危険な場所としてわかっているところに都会の人々が移り住むことが許されるのはおかしいのではないでしょうか。すべてが経済活動一辺倒になり、費用対効果のみが強調され、人間にとっても、そして生物にとっても必要な大自然の価値は全く評価されません。もうそろそろそんな行き過ぎた資本主義だけを追い求めることは止めなければならないと思います。
そして日本の大切な食糧を生産してゆく田舎が、都会と同様にきちんと評価される世界が来ることを願ってやみません。人間がこれからも存続するために、八ッ場ダムも原発と同じようにつくってはいけないものだと思います。
長野原町内で八ッ場ダム建設に反対する言動を取ることを公にすることは非常に難しいことです。それによってまわりの人達からバッシングを受けている人を、私は実際に見ています。しかし、これから大人になる子供や孫の世代から、「なんで長野原町に八ッ場ダムをつくることを止められなかったんだ。」と責められるようなことはしたくありません。絶対に八ッ場ダムに水を溜めたくありません。
人間にとって本当に大切なことに、都会と田舎の区別は無いと思うのです。是非、都会の人も田舎の人も力を合わせて、絶対に八ッ場ダム本体の建設が行われないようにしていきましょう。
By 八ッ場の母さん
私は、町内に住む3人の子供の母親です。
小さい頃から何の疑いもなく山や温泉、そして大沢などで無邪気にがむしゃらに遊んでいた昭和の小学生でした。学校が終わると山へ行き、子供達で秘密基地をつくったり、冬はそり遊びや雪ダルマをつくったり、雪合戦もできました。夕方は遅くまで出かけて、時間を忘れて遊んだものです。夏は大沢で皆でマスを捕まえ、夏なのにその水の冷たさは、子供心にかなり印象に残り、何度も素もぐりした記憶は、その水の透明度とともに、つい最近のことのように脳裏に焼きついています。
それが私のふる里の大切な想い出です。
年月が経つにつれて、ここがダムになるかもしれないと聞きました。
「私達が大切に思っていた自然が破壊されるのだろうか? 本当に?」
と、不安や心配を感じるようになりました。
「何故ここなの?本当に大きな代償を払ってまで、つくる意味はあるのだろうか?何故こんな素晴らしい自然を破壊するのだろうか?」
ここは私達のふる里です。できる事なら次の世代に、この素晴らしい八ッ場の自然を残してあげたい!
又、その役目を背負っているのは、私達世代だと思っています。
子供の頃から大人たちと建設省の姿を見て疑問に思ってきました。一部の人達だけが特別扱いされている姿や、補償金という魔物で競い合いが起こり、同じ地区に住むもの同士で民事裁判にもなりました。そして特に水没地区の状況は、一軒一軒皆引越しや取り壊しがはじまり、昔の面影もなくひどい状況にされてしまいました。
旧建設省、ゼネコン、自民党の議員、そして地元が安易に条件に従った結果、そのツケが全て私達世代にまわってきている現状です。
しかし、あきらめてはいけません。これからでも、この自然を守りながらこの町を活性化し、都会から訪れる人の癒しのふるさとになればよいと思っています。
ここを訪れてくれる人がいる限り、守らなければなりません。
現地以外の方が、一生懸命八ッ場の問題に真剣に取り組んでおられ、最初は不思議に思いました。
まだまだ現地の人間は、本当の意味での情報が入っておらず、またなかなか新しい情報についていけない感じもあります。
また国交省は、このダムの危険性、ヒ素問題などのほとんどを町民に説明はなく、又町からの公表もありません。おそらくほとんどの町民は、それらの事すら知りえません。何があっても、国や県が必ず守ってくれるという感覚でいるのです。
やはり小さな町やその中の部落だと、今までやってきた経験に重点がおかれ、新しい情報に対して警戒や違和感を感じるようです。そして、新しいものの考え方、情報を訴えるのは困難なことが多いのも事実です。
皆さまの八ッ場に対する気持ちはダム反対の現地の人間として、心強くありがたく、感謝の念に堪えません。
現地の人間として、これからも勉強させていただき、より良い方向に八ッ場が発展する事を心より願っております。
また現地の人間に私達と同じような意志があるにもかかわらず、なかなか気持ちを公表できないことも多く、声なき声がまだまだあるのも事実です。
どうかその為にも、ダム反対を今後もよろしくお願いします。
これからの時代、原発も含め、国策に織り込まれたダム建設などは、時代背景、これからの世代のライフスタイルに逆流していると思います。若い世代の人口減少、治水の必要性の疑問、水質の安全性、ダムの安全性、代替地の安全性、税金の使いみち、いろいろな問題点がありますが、美しい日本ならではの里山の自然や風景を次世代に託し、自然と調和しながら人間らしい生活を営み、八ッ場を発信源として、なんとしてもこの自然遺産を遺していきたいと思います。
渡 陽平
ぼくは今後どんなことがあろうと八ッ場ダムを含む全てのダム建設や、自然の摂理を無視した人間の営み、行き過ぎた文明社会の進展には慎重で反対な立場です。原発の問題や諫早湾の問題、アンチエイジングや遺伝子操作、異常気象、温暖化、世界のグローバル化、資本主義経済の拡大、紛争、宇宙開発等、人間として、一生物として、また自然の摂理の中であるべき道を進もうと考えています。
ぼくが八ッ場ダムに関心を持ったのは、おそらく小学生か中学生の時だったと思います。記憶が曖昧ですが、最初の頃はダム建設に賛成であったと思います。現在の八ッ場館の建っているすぐそばにあった木造校舎の旧長野原町立第一小学校、その後は旧長野原町立東中学校に通いました。その9年間、学校でダムについて触れる授業やイベントなどいろいろとありました。小学校の横を流れる久森沢を簡易に堰き止めて、そこで養殖したマスの掴み取り大会が行われたり、利根川の下流域にあたる千葉の小学校と交流をしたり、子供にしてみれば楽しかった良い想い出です。
しかしその裏では、ダムを作れば治水や水の安定供給ができるようになり、下流域の生活を支えることができるのだから、ダムは良いものだと子供に植え付けていたとも言えます。既にその頃からダムは建設される方向でどんどん工事や用地買収などが進んでおり、地元でもダム建設に反対する人はほとんどいませんでした。そんな周囲の環境や、ダムの良い面しか見せない教育もあり、さほどダムに対して反発はありませんでした。
ぼくは人間に最も大切なことは教育であると思っています。教育あっての人間であり、教育一つで智恵を持って文明を切り開く人間や、はたまた自らの命を持って人を殺す自爆テロを起こす人間にもなりうるからです。
ぼくの持っている本でとても興味深いものがあります。河川環境管理財団が発行した「ダムができた!」という子供向けの絵本です。それは、ダムができることによって人間の生活は便利で安全・快適になるという内容で、かわいらしいイラストと、飛び出す絵本方式をふんだんに盛り込んだ手の込んだ作りになっています。それだけでかなりの大金が使われていそうですが、なんと言ってもダムの利点しか伝えていないことに恐怖を感じずにはいられません。しかも子供に分かりやすく書いてあるために、なおさら恐ろしいです。
この本は、数年前に長野原町の文化祭にて、長野原町公民館の古くなった蔵書の販売コーナーで50円で購入しました。発行されてから長い年月の間に大勢の人の下で読まれた様で、カバーはボロボロになっていました。それだけ多くの、しかも物事の判断のつかない子供が目にしたと思うと、悲しい限りです。50円で販売されていたところを見ると、現在ではダムについての洗脳教育はすでに完了したと、皮肉にも思えてしまいました。
ダムについての教育は現在行われているのか分かりませんが、ぼくの同年代やその前後の人と接してみて、ダム建設について大部分は興味や関心が薄い、もしくは無い人がほとんどだと感じます。賛成・反対の人もおりますが、賛成派の人は小さい頃から植え付けられてきたダムの効能(道路などの整備・拡張)に期待を示し、早く作って欲しいと言わんばかりです。逆に反対派の人も稀にいますが、周囲の反応を気にしてか堂々と反対を主張する人はまずいません。
ダム建設について興味・関心を持っていない人達の背景として、祖父母や親の半世紀以上に渡ってダムに苦しめられてきた結果として、早くダムを完成させて決着をつけたい、もう苦しむのはこりごりだ、もっと便利で近代的な生活を子孫にさせてあげ、苦労をかけたくないという本音があるために、ダムについての話をしてこなかったことが要因だと思います。私の家でもそうですが、ダムについて真剣に話し合う機会はほとんど無かったように思います。ダムについて何か質問しても的確な返答をもらえなかったり、早く建設して欲しいと言うばかりでした。
父はぼくが小さい頃から、週に2~3日、多い時では毎晩のように仕事から帰宅した後に公民館へ出かけ、夜遅くまでいろいろな会議に出席していました。現在でも月に数回はダムに関係した会議に出席しており、過去の出席時間を累計したら恐らく膨大なものになることでしょう。
自分達の代でダムに決着をつけたいという気持ちも分からなくはありませんが、ダムは一度建設されてしまえば、何十年、何百年といろいろな問題や弊害を発生させます。子や孫の代どころか、子孫数世代先につけを回します。本当に子孫の幸せを考えているとは、残念ながらぼくには感じ取ることができません。言いかえれば、そんな余裕や気力が無くなってしまうくらい、ダムに人生を翻弄されてしまったのでしょう。
同じ中学校を卒業した同級生はわずか54人ですが、現在町内で生活をしている人は数人です。将来は帰って来たいという人も何人かいますが、そもそも川原湯、川原畑、横壁、林、長野原地区では、水没や道路の新設などで実家ごと立退きを余儀なくされた人達が多くいます。中でも川原湯、川原畑地区はその割合が高く、両地区にいた7人の同級生の家のうち5軒は町外へ引っ越してしまい、残る2軒は代替地に移転して生活を続けています。家庭の事情などいろいろとあるでしょうが、この先の未来を背負って立つぼくら世代に、良い面も悪い面も正直に話をして、もっと関心を持った人間を増やして欲しかったと残念に思います。
「NHK 地球データマップ」という本に、こんなことが書いてありました。“アメリカ先住民は、重要な決定は7世代先のことまで考えて行った”と。7世代先とはおよそ200年後のことです。例えるなら、江戸時代が始まった頃に明治時代の幕開けを想像していたということです。現代はグローバル化や機械化などで時代が進むスピードが日々加速しており、7世代先のことまでは正直無理な話かもしれませんが、3、4世代先のことを真剣に皆で考え、将来につけを回さないようにしなければなりません。現在の便利で快適、楽しければ良い時代は間違っています。
ダムに関係する地区の人達の多くはダム建設に賛成です。ぼくはよくそういう人とよく話をする機会があり、その際に自分はあくまでもダムは反対と言うのですが、「そんなことを言っちゃだめだ、ダムは作るものなんだから、そんなバカな話はあるものか」と怒鳴られたことがあります。ダムに対する思いが強い人やダムは作るものだと刷り込まれてきた人は、特にそういう反応を示します。ぼくはただ賛成の人の意見を聞きたいと思ってやさしく温和に話をしてもそうなってしまいます。田舎は決して話の分かる良い人ばかりではありません。
ですが、田舎は皆優しくて気の良い、おおらかな人ばかりだと勘違いしている都会の人がいます。確かに田舎の人は、やさしいおおらかな人が都会に比べれば多いでしょう。都会よりもおいしい空気と緑と近所付き合いと伝統と厳しい自然条件の中での生活がそうさせているのでしょうが、それを日本のメディアは勘違いさせています。中でも最も良くないのは「田舎に泊まろう」という、有名人がふらーっと田舎に来て見ず知らずの家に無理やり泊めてもらう番組だと思います。田舎なら泊めてもらえるという下心が伝わってきて、非常に苛立ちます。田舎をバカにするなと。なら一度「都会に泊まろう」という番組を作ってやりたいほどです。いきなり高層マンションの見ず知らずの他人の玄関に来てインターホンを鳴らし、今晩泊めて下さいという感じです。警察を呼ばれて、警察署で一夜を明かすのがおちでしょうが。最近でこそ「来る者拒まず、去る者止めず」という考えですが、それにも限度はあります。メディアの力とは壮大なものです。
同じことが八ッ場あしたの会についても言えるのではないかと思います。ぼく自身、あしたの会の名前は知っているものの、具体的な活動内容やこの会のできるきっかけなどは存じておりません。ただ、様々な理由でダム建設反対をされ、ダム反対であることに変わりはないので、ダム反対のぼくにとってはありがたい限りです。ですが地元の人で、あしたの会の活動内容などについてよく知らない人は少なくありませんし、中には会の存在自体を知らない人もいます。永年苦しめられ、現在も生活再建を必死で考えて日々生活をしている住民の心も知らず、よその直接関係ない人達が反対反対とうたっている程度にしか感じていない人が多くいます。
あしたの会のホームページを拝見して、地元は現在でも反対であると捉えられるような発信の仕方をしているように感じました。あしたの会は八ッ場ダム建設反対を発信する大きな団体ですから、その存在や影響力は大きいでしょう。ダム反対という地元の動向や歴史を無視した一方的な考えが、あたかも地元の考えであるかのように広く世論として捉えられてしまうのではないかと心配です。地元住民にしてみればそれは不本意なことで、田舎の間違ったイメージを植え付けているメディアや、安全で住みよい日本を創るといいながら、世論に反して今後も原発を使用していこうという政府と似ていると思います。水没予定地域の再生を目的としたNGO とうたっているのに、それが形として現れていないような気がします。もっと地元と深く関わりお互いを知ることが、あしたの会の存在意義をより本質的なものにするのではないでしょうか。
以前ぼくは、メディアの恐ろしさを実感したことがあります。
前原国土交通大臣が長野原町に視察に来た時のことです。午前中にダム本体の建設予定現場を視察した後に、長野原町の山村開発センターで町民と意見交換をする場が設けられると聞いて、午後は会社に休暇をもらい会場へ向かいました。ぼくは意見交換会と聞いて、賛成派も反対派も含め、町民のいろいろな意見を聞いてくれるのだと、ただ純粋に今か今かと待っていました。今でこそ、一大臣がわざわざ直接そんなことをするはずがないと思えるのですが。
ところが、時間になってもいっこうに始まる気配がありません。むしろ、警察官や国交省の職員が建物に一般人を入れないように駐車場を覆い始めました。多くのマスコミが集まり、ダムに関心のある住民や近くを通りかかったやじうまで道路がいっぱいになりました。元々そんなに広くはない道路でしたし、マスコミや一般人の路上駐車で、車一台分の道幅しかありませんでした。
そこに一台の大きな牛乳を運搬するローリー車がやって来ました。もう一方からは別のトラックが来て、道は通れなくなってしまいました。しかし警察官達はその場を動こうとせず、トラックの運転手は怒り始めてしまいました。このままではどうしようもないと考え、一方のトラックの運転手に頭を下げて少し待っていてもらい、居合わせた一般の方の協力も得て一時的に交通整理のまねごとをしました。あのまま何もしなければしばらく車は通れなかったと思います。車が通れるようになってからようやく警察官が交通整理を始めましたが、何のための警察なのかと感じました。
その騒動が済んだ後で、口コミで実は意見交換会は地元の各地区の代表としか行われず、内容も予め決められていたと聞きました。それでも大臣が出てきたら名刺だけでも渡そうと、必死に待っていました。2、3時間は待ったと思います。夕方になり、待機していたバスが急に動き出して、建物の玄関に横付けしました。なんとも卑怯で醜いものです。これは大臣が出てくるなということで、一緒に待っていた一般の方にぼくの名刺を手渡し、無理やりにでも近寄って直接名刺を渡そうと依頼しました。それによりメディアの注目を引いて、大きく取り上げられたらよいなと思いました。
15~20分位たったでしょうか。ようやく大臣が姿を現しました。周りには何人もの護衛がついて、なかなか手ごわそうでしたが、「前原さーん」と大声で何度も叫びながら皆で警備の人を押し込んでいき、大臣に近づきました。そしてようやく名刺を渡すことができたのですが、ものすごいもみ合いになったので、公務執行妨害で逮捕されるかされないかぎりぎりでした。その間、思った通り各マスコミもたくさんのフラッシュを焚いて、その一部始終を記録していました。
そして大臣も帰り、多くの記者に囲まれていろいろと質問をされました。こっちはもうヘトヘトで、喉も乾いていてなんとか話をしたのですが、聞く内容はどれも一緒で、みなバラバラに聞いてきてうんざりしました。
メディアというものの恐ろしさを感じたのはその後です。各社テレビや新聞で当日のことが話題に挙がっていましたが、道路が通れなくなったり警備ともみ合いになって一時騒然としたことについては、どのメディアもほとんど触れていませんでした。それを知ってぼくは、真実がありのままに伝えられていない、一部のおいしい情報だけを一方的に市民に植え付けていると感じました。それは洗脳教育となんら変わりません。権力やお金の流れる方に放送が操作されている、これが現状なのでしょう。この一件はぼくにとってとても良い勉強になりました。
少し政治的な話ですが、日本は本当に情けない国になってしまったと思います。国会議員や役人にしても世界に通用するような優秀で尊敬されるような素晴らしい人材は皆無で、誇りとか心意気は全く感じられません。見ていて惨めです。間違ったことをしても謝らず反省もしない、そのくせ謝らなくてもいいようなことを指摘されただけですぐに頭をさげる。更にはこれに過去の政治の先送りをしてきたつけが今に回ってきていて、何かを考えて実行するまでが遅すぎます。福島第一原発やら今後の原子力政策の考え方がいい例です。北欧の様に軽いフットワークで、やってみてだめだったら変更するというようなPDCA サイクルがこの国には欠けている気がします。ダムも同じで、このご時世にありながらそれでも作るという、お金の価値でしか物事を考えられないことが大きく影を落としています。
八ッ場ダムには、これまでに物すごい額の税金が投じられてきました。その中には、役人や大手ゼネコンの天下りの給与や退職金がどれだけふくまれているかと思うと、うんざりします。現在でも何億という額の予算が毎年計上され、それがきれいに使われきっています。
また、ぼくが感じる問題点として、地元のわがままと何でも行政にまかせがちな悪い体質があります。ぼくの住んでいる林地区でも、本来は地区や個人で解決しなくてはいけないちょっとした問題も、権力のある人やわがままな人は「そんなん国交省にやらせりゃいいや」と言って、間違った税金の使われ方をしています。おんぶにだっこ状態です。何かにつけて他人任せで、権力や人の金を使って利益を得ている人が少なからずいます。何でもかんでも東京電力のせいにして補償請求をするのと一緒です。
次に自然環境について話します。ぼくはこの吾妻の自然環境が大好きです。最近ではFACEBOOK などのツールを利用して、魅力や素晴らしさを世間に発信していけたらと思い活動しています。吾妻渓谷以外にも、川原湯温泉や、王城山(おうじょうさん)、丸岩(まるいわ)など、見事な景観のスポットも多数存在し、また豊かな生き物たちが暮らす空間が存在します。しかし、ダムに関連した工事などで多くの自然環境が破壊され、あらゆる面で在来の生き物にとって棲みづらい環境に変化してしまいました。工事の資材などに紛れて多くの外来種も生育しています。その一方で、昔はこの一帯でも行われていた炭焼きや枝打ち、稲作などの里山の管理も高齢化と比例して衰退し、耕作放棄地や休耕田が目立ちます。
ぼくの家では、現在でもよくテレビに出る2号橋のたもと、八ッ場館の近くの久森(くもり)と呼ばれる田んぼでお米を作っています。うちの米は、生活雑排水が入らない日当たりの良い土地で、親戚から購入する牛フンをふんだんに使用し、父が休日や出勤前の早朝を利用して愛情を込めて作っています。田植え稲刈りは家族総出で行い、はんで(はぜかけ)にかけて天日干ししているため、ヒトメボレという品種ですが、コシヒカリに負けず劣らない良い味のお米を作っています。そのほとんどは自宅で1年間食べるもので、残りは親戚や友人に販売する程度ですが、都会から来られた人に父がうちのご飯を食べさせると、ほんとに美味しいと言ってくれます。
でもそれは、この自然環境の中だからこそ可能な部分があるとぼくは思っています。田んぼは段々田んぼで一枚は小さく、はっきり言って効率は良くありません。1枚の大きな田んぼで作りたいと親が言う時もありますが、先祖代々受け継いで来たこの土地を利用し、大変ながらも人数でカバーし、一致団結して愛情を込めて作業を行うことにどれほど意味があるのか、はかりしれません。ダムが完成してしまえばそれもかなわなくなってしまうかもしれません。代替地に新しい田んぼを造成することになっていますが、同じ土壌にするだけでも数年を要するでしょう。
また、上流に草津温泉を代表するヒ素や酸性度の強い河川や、嬬恋・北軽井沢の農薬が沢山流れ込んだ川が注ぎ、それが堰き止められるという点で、水質的に安全とは言えません。更に、地盤のゆるい土地にダムを建設しようとしている点や、浅間山という活火山を背負っていることからも、いつ何が起こっても不思議ではありません。
そもそもダムによって、川の存在意義が根底から揺らいでしまいます。川は水の流れる力をもって物を運搬する力があります。上流の大きな石も、長い年月を経て下流域に運ばれ、いずれは砂となり海へ流れ込んで砂浜を形成します。その自然のサイクルを止めてしまえば、いたるところで問題が発生するのは周知のとおりと思います。
ダムは永遠に使用できるものではありません。全ての形あるものと同じく長い年月と共に劣化して、後に巨大なゴミとなります。ダムのそこに沈んだ汚泥も、ダムのメンテナンスのために時折放出されることもあるでしょう。すると、黒部ダムに代表されるように、汚泥が河口まで流れて、生物や河川環境に大きな影響をもたらすことでしょう。
このダムが治水目的であったとしても、根本的な解決にはなりえず、あくまで一時的な対処にすぎません。山の木が伐採され、里山は荒れ果て、突然の豪雨や干ばつといった異常気象で予想不可能な天候に見舞われることは目に見えています。それよりももっと山に木を植え、それを流通、利用するシステムや市場を構築し、林業と里山を復活させて、なおかつ食料自給率を高めるために小規模農家を支援するなどといったことに、どんどんお金を使うべきだと思います。そうすることで雇用も創出できるはずです。
現在では多くの建設業がダム建設に参入し、元請け・下請け・孫請けと言った具合に大きな体系をなして雇用を創出しています。ですがダムが完成してしまえばそれもなくなり、一気に町内の雇用は落ち込むことでしょう。それをいかに別の形に変換していくかも問われるべき課題です。しかし残念ながら、そういったことに対して町としての今後の展望や計画がほとんど見えてきません。
最後に少し将来の話をします。現在ダムに関係する各地区では、ダムが完成した後の具体的なビジョンについて話し合いが設けられています。もし仮にダムができなかったとしても、このままでは将来行き詰ってしまうので、いろいろな方向性を模索しています。
中でもぼくの住んでいる林地区では、割と永い目で物事をとらえ、実行していこうと奮闘しています。具体的には、新しい国道沿いに道の駅を建設しており、そこを拠点に林地区のシンボルで、群馬百名山の一つでもある王城山や地元で採れた新鮮な野菜や花や加工品などをピーアールしていこうと考えています。また自然ガイドをつけたエコツアーや登山、ホタルの観賞会、下草刈りや伐採などの手入れを体験してもらい、里山を蘇らせようという計画があります。それに付随して林温泉カタクリの湯という温泉を利用しようともしています。
この温泉は、十数年前に林地区がダムの補償の一環として国に掘らせたもので、1030メートルも掘ってやっと湧き出しました。1メートル掘るのに数万円もかかっており、最初の頃は税金の無駄遣いとしか思いませんでした。ですが、半世紀以上に渡って苦しめられてきた地元の強い要望であり、既に温泉が出てしまったのですから、有効活用していかない手はありません。また、各地区の道路もこれと同じことが言えます。昔からの山を切り抜いた狭い道が多く、現在でも車一台しか通行できない道路もあります。それを、せめてすれ違いができる道路にしたいと地元は訴えてきましたが、ダムができるので、それまでは勝手に進めることはできないとして、なかなか要望を受け入れてはもらえませんでした。近頃になってようやく工事用道路という名目で多くの道が整備され、対向車ともすれ違える道が増えました。それだけ山を開き川を埋めたのも事実です。車一台しか通れずお互いが譲り合う機会があったほうがより地域のコミニケーションが高まるのではとも考えますが、現実に地元の人は喜んでいます。もしそれが間違いだと言う都会の方がいるとしたら、こちらで生活をされてみたら良いと思います。夏だけでなく、春も秋も、更には冬もです。
先ほどの計画は既にいくつか実行され、今後も試行錯誤してより良いものにして継続して行こうとしています。行政の力も借りて、また多額の補助金や支援を受けて行われている部分も大いにあります。ですが行政主体ではなく、ダムができてもできなくても、自分達の力でなんとかしていこうという気風が、少しずつ出てきています。
地区ごとに将来のビジョンや方向性、現在の状況は全く異なります。一概に進む方向性があるとは言えません。バックヤードで支えるべき町のやり方も下手過ぎて、このような状況になっているのだと感じます。自分達の町なのだから、行政主導であったとしてももっとお互いに協力し合って打開策を今からでも見出して行かねばなりません。
最後にぼくの考える今後の長野原町のビジョンを少し話します。
まず、ダムの本体は作らなくてもいいと思います。ここまで費用を投じ、本体工事の1歩手前まで来ていますので、今更本体だけ作らないなんて虫が良すぎると思われるかもしれませんが、今ここでダムを作ってしまったら何百年先にかけてもっと多額の費用と問題が発生します。それに、ダムなんか作るべきではなかったと、きっと後悔する時が来るでしょう。ダムとは人間が作り出した負の遺産だとぼくは思います。
そこで、現在できあがっている橋脚や橋や道や建物はそのままに、取り壊さずに維持し、長年苦しめられてきた地元の人達への還元として利用していくべきだと考えます。ただでさえ自然環境に負荷をかけて来たのですから、ダム本体を作ってしまってからでは取り返しのつかないことになります。そして、人類の犯してきた過ちを反省すべく、広島の原爆ドームのように負の遺産を発信していくことがこの先大切になって来るのではないかと思います。それをしなければ人間は過ちを繰り返すばかりです。
江戸時代まで戻れとは言いませんが、一生物としてこの地球上で生かされていることを念頭に、えばらず、謹んで、生きていることに感謝の気持ちを持って他の生物と共存していかなければならないと感じます。再生可能で、持続可能な社会を構築していくことを強く望みます。ですが決して他人任せではありません。自然の摂理と自らの考えにのっとり、もっといろいろな人とネットワークを組んで、進んで活動に取り組んでいかねばなりません。そのためのパソコンや情報化社会なのだと思います。何事も人のせいにせず、自由と責任を持って行動することが、八ッ場を含む多くの活動で必要になってくると思います。