*このページに掲載している写真は、最後の一枚をのぞいて9月23日の撮影です。
水没予定地を走る吾妻線が9月24日で運行終了になりました。同時に、水没予定地の川原湯温泉駅も営業を終了しました。(写真右:単線の吾妻線は、川原湯温泉駅で上りと下りの列車が行き違います)
このまま八ッ場ダム事業が順調に進んだとしても、予定地が水底に沈むのはまだ何年も先のことですが、線路が吾妻渓谷の本体工事予定地を走っているので、本体着工を前に、10月1日までに水没線より標高の高い位置につくられた新線への切り替えが行われます。
JR東日本が首都圏の駅や吊り広告で宣伝したこともあって、このところ、川原湯温泉駅や吾妻渓谷の線路周辺には、鉄道ファンや名残を惜しむ観光客が大勢詰めかけて賑やかでした。(写真右:川原湯温泉駅の待合室)
それにもまして、マスコミの報道が多く、23日には駅上空を何台も報道関係のヘリコプターが飛んでいました。ちょうど4年前の9月23日、民主党政権の前原誠司国交大臣がここを訪れました。八ッ場ダムの推進を訴える町の有力者らが「お彼岸に来るなんて非常識だ」と現地訪問を非難し、大臣との話し合いを拒否したことが大きく報道されました。この時は、今回以上に人が集まり、うるさいほどにヘリコプターが上空を飛んでいました。
駅の待合室の棚の上には、ダム予定地の自然と遺跡に関する本が並んでおり、「ご自由にお持ちください」と貼り紙がありました。いずれも八ッ場ダム事業による調査報告書で、ダム予定地の自然と文化遺産を知る上で貴重な資料です(写真右)。古本屋であれば高額な価格がつけられるこうした資料が捨てられたように置かれているささまは、かけがえのないものが水底に沈められることを受け入れたダム予定地の現実を突きつけているようでした。
八ッ場ダムの本体工事着手の最大の障害となってきたのは、鉄道付け替えの遅れです。新しい吾妻線は、ダム予定地区間の大部分を山の中腹のトンネルを通ることになりますが、川原湯温泉の新駅(写真右)は地上駅のため、新駅周辺の用地買収、整備が必要となり、これが進まないことがネックとなりました。
新駅周辺では、10月1日の開業に間に合うよう、道路の整備などが急ピッチで進められていますが、用地買収の難航から、新駅と付け替え県道を結ぶ町道は桜沢の流路工の脇に造らざるをえなくなりました(写真右)。
川原湯温泉の代替地と新駅をつなぐ付け替え県道も工事中で、背後の山の大規模な砂防工事も終了のメドが立っていません。
周辺整備が終了しない中、旧温泉街の共同湯を閉ざして代替地の共同湯を7月に開館した川原湯温泉と同様、条件が整わない中での無理な駅移転であることがわかります。
新駅予定地は地質がもろいことで知られており、さらに環境基準を超える有害な鉄鋼スラグが周辺に埋め立てられたことが問題となっていますが、これらの深刻な問題はすべて伏せられたまま、10月1日には国交省関東地方整備局現地事務所とJR東日本高崎支社により、「JR吾妻線付け替え新線開通式典」が行われることになっています。↓
http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000110267.pdf
道の駅「八ッ場ふるさと館」近くの湖面橋(不動大橋)の上にも、水没予定地を走る吾妻線を撮ろうと、カメラを構えた観光客が鈴なりでした。眼下に広がるのは、稲刈り真っ最中の久森(くもり)の田んぼです。
国土交通省は八ッ場ダムの本体工事をスムーズに進めるため、吾妻線と平行して走っている国道を廃道化して、ナンバープレートをつけない大型車を走らせる工事用専用ルートとしたい考えで、道路を管理する群馬県も国交省の意向に沿う姿勢ですが、国道が使えなくなると、田んぼの耕作はできなくなってしまいます。
刈り取るばかりの稲は、ぬけるように青い空を背景に黄金色に輝き、稲穂の上を無数の赤とんぼが飛んでいました。田んぼから見上げると、不動大橋の上にいる人々が豆粒のようです。遠くに八ッ場の風景のシンボルである丸岩も見えます。
水没予定地の住民有志らは、本体工事が始まっても国道からしめださないでほしいと、8月8日に群馬県に要請書を提出しましたが、群馬県は何も答えていません。このまま国交省の意向通り、群馬県が国道廃道化の手続きを行えば、来年から耕作ができなくなります。
田んぼを潤しているのは、林地区から吾妻川に流れ込む久森沢(くもりざわ)です。はさがけの向こうに、沢の上の鉄橋を走る吾妻線の普通列車が見えました。
久しぶりに、吾妻線が走るのがよく見渡せる川原畑地区の三ッ堂石仏群跡に行ってみました。水没予定地にある石仏群は代替地に移され、石仏が並んでいた巨岩の周りは竹やぶが生い茂って、三ッ堂への参道もふさがれていました。三ッ堂の脇にあった墓地も草に覆われて見る影もありません(写真右)。
八ッ場ダムによって地区全体が沈む予定の川原畑地区は、対岸の川原湯温泉街とは対照的な静かな山里です。ここから徒歩10分ほどで川原湯温泉駅に辿り着きますが、駅周辺のにぎわいはここまでは及んでいませんでした。
川原湯温泉駅は1946(昭和21)年に開業しました。初めてこの地を列車が走るのを見た住民は、どれほど新鮮な喜びを感じたことでしょう。
ふと見ると、草原に何やら白い顔が見えました。ニホンカモシカの子のようです。
ニホンカモシカは国の特別天然記念物です。八ッ場ダムの水没予定地でニホンカモシカに出会うのは珍しいことではありませんが、母子に出会うのは初めてです。
ニホンカモシカは人を見ても、すぐには逃げず、じーっとこちらを見る性質があります。この時も、親子はじっとこちらを見たまま動こうとしませんでした。
しばらくすると、ゆっくりと母親が子供の方に歩み寄り、
そして自分の体を盾にして子供を隠すような体勢になって、こちらを振り返りました。
それから二頭は、ゆっくりゆっくりと沢の方に歩いていきました。
母親は子を守るように子の脇を歩き、子も母に寄り添うように歩を進めます。
そして最後に、二頭はこちらを振り返り、谷間に下りて行きました。後を追って谷間を覗いた時には、親子の姿は見えなくなっていました。
水没予定地の住人だった何人もの方から、「もしダムができなければ、またここに住みたい」という声を聞きました。それでも、立ち去らなければならなかった人々が沢山おり、残っている住民はとても少なくなりました。
人間のように地域の外に移住することもできない動物たちは、ここがダムに沈む時、どうなるのでしょう。
水田の跡にガマの穂がはえ、その向こうを吾妻線の普通列車が走って行きました。
水没予定地を走る特急草津。対岸の山の中腹に、新しい川原湯温泉駅が開業することになっています。駅予定地は、背後の山の幾筋もの沢が集まり、過去の大雨による土石流で土砂がたまった場所です。
吾妻渓谷では、八ッ場ダムの仮締切工事(本体準備工事)が急ピッチで進められています。河床にコンクリートを敷き、高さ29メートルの小ダムを建設することになっています。7月末に完成するはずだった小ダムはいまだに建設中ですが、岩壁に描かれたラインから、16メートル以上の高さに達していることがわかります。
9月24日、ダム予定地を吾妻線が走る最終日。この日は午後から雨となり、ダム予定地の山々は霧にけぶっていました。
地元がダムを受け入れた日も、雨が降っていたそうです。
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