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長野原町の居家以岩陰遺跡で新たに縄文時代早期の埋葬人骨4体出土

 八ッ場ダム予定地上流側にある長野原町・貝瀬の居家以岩陰遺跡では、国学院大考古学研究室が2014年から進めている発掘調査で、国内最古級とされる約8300年前の埋葬人骨が6体出土していましたが、先月からの発掘調査で新たに4体の人骨が確認されたとのことです。

居家以岩陰遺跡 長野原町で最も多いのは縄文時代の遺跡とされます。
 八ッ場ダムの水没予定地にも数多くの縄文遺跡があり、大規模な発掘調査が行われています。江戸時代・天明3年の浅間山大噴火に伴う天明泥流に覆われた水没予定地の縄文遺跡は遺存状態が良好で、埋葬人骨なども出土している可能性がありますが、公表されていません。
 ダムサイトに最も近い川原畑地区、川原湯地区は水没予定地が立ち入り禁止となっており、説明会も開かれていません。八ッ場ダムの本体工事現場には、居家以岩陰遺跡よりさらに重要とされる石畑Ⅰ岩陰遺跡(川原畑地区)があります。

◆2017年9月15日 上毛新聞
http://www.raijin.com/ns/5815054037909374/news.html
ー縄文人の生活探る 居家以岩陰遺跡で国学院大発掘調査 ー

 国内最古級とされる約8300年前の埋葬人骨が出土した群馬県にある縄文時代の居家以いやい岩陰遺跡(長野原町)で、国学院大考古学研究室による本年度の発掘作業が18日まで行われている=写真。

 先月下旬に始まった発掘では、新たに4体の人骨が確認され、昨年発見した6体と合わせ、縄文時代の生活様式解明につながる貴重な手掛かりとして期待される。

 発掘は、昨年見つかった人骨の出土作業を中心に進む。複数の人骨が近い場所にあり、体の一部がない人骨もあることから、岩陰や洞窟に人を葬った跡ではないかとの見方がある。
 DNA鑑定から発掘された人骨の関係性や縄文人の起源についても調査し、発掘された植物や動物から食性も明らかにする。新たな4体も昨年確認された6体の周辺から見つかっている。調査団長の谷口康浩教授は「ここまで保存状態が良い埋葬人骨はほかにない。遺跡には当時の情報が詰まっており、生活様式の解明につなげることができるはず」と話す。

 同研究室は16日午前10時ごろから、発掘説明会を開き、発掘作業で見つかった出土品などを紹介する。見学希望者は同町貝瀬集会所で受け付ける。問い合わせは長野原町役場(0279・82・2244)へ。

 10月14日からは、同大博物館で、復元した人骨を展示し、パネルや映像で発掘の様子を紹介する。

◆2017年10月28日 産経新聞群馬版
 http://www.sankei.com/region/news/171028/rgn1710280044-n1.html
 ー縄文人骨、新たに4体 群馬・居家以岩陰遺跡 腰で切断され埋葬ー

 国内最古級とみられる約8300年前の埋葬人骨が見つかった長野原町の居家以(いやい)岩陰遺跡で、国学院大学(東京都渋谷区)の考古学研究室(谷口康浩教授)が新たに4体の人骨を発見するなど、「日本人のルーツ」とされる縄文人の実像に迫る発掘調査を進めている。死者の上半身と下半身を切り分けて埋葬していたこともわかった。謎に包まれた縄文人の生活様式などの解明に今後も期待がかかる。 

 同遺跡は、群馬、長野、新潟3県にまたがる三国山地の一帯で、信濃川、利根川水系の水源地に近い。

 国学院大学の調査は平成26年に始まり、昨年は約8300年前の縄文早期中頃に埋葬されたとみられる人骨を発見。骨は、地面に掘った土壙(墓穴)の中で膝を折り曲げて身体を丸める「屈葬」と呼ばれる方法で埋葬されていた。

 今年8~9月の調査には考古学専攻の学生や大学院生ら約30人が参加。乳児とみられるものも含む人骨4体が新たに見つかった。さらに、昨年発掘した約8300年前の人骨の調査から腰部分が切断され、上半身と下半身が不自然な方向に向いて埋葬されていたことも判明した。

 共同研究を行う東京大学の近藤修准教授(形質人類学)は「埋葬の文化は、縄文より前の時代では確認されていない。この遺跡からは、日本で一番古い埋葬の仕方がわかる可能性がある」と期待を寄せる。

 また、遺跡には、生活廃棄物を捨てていたとされる灰層があり、ニホンジカやイノシシなどの動物の骨やベリー類、クルミなどの植物の種子、狩猟の道具などが多数見つかった。当時の縄文人が食していたとみられる。

 国学院大学などは人骨のDNA分析を行うとともに、発掘された遺物からわかる情報を組み合わせて研究を進めている。谷口教授は「当時の人が何を食べ、どのような資源を使っていたのか、複合的に調査している。縄文時代早期の生活の復元を目指したい」と話している。

 9月16日の一般向け現地説明会には地元住民ら約80人が集まった。これまでの研究成果は国学院大学博物館(東京都渋谷区)の特集展示で11月19日まで紹介される。

 ◇縄文人 旧石器時代後の約1万6千年前から約2500年前に日本列島に生きた狩猟採集民。多彩な文様の縄文土器を作っていたほか定住的な集落、漁労活動があったとされ、日本人の最も古い祖先とみられ注目が集まっている。縄文時代は草創期、早期、前期など6期に分類され、今回見つかった約8300年前の人骨は早期に当たる。縄文時代の遺跡は代表的な青森の三内丸山遺跡をはじめ、県内でも7千~8千年前の寺西貝塚(板倉町)などがある。

◆2016年9月19日 朝日新聞群馬版
 http://www.asahi.com/articles/ASJ9H3WBWJ9HUHNB007.html
ー8300年前の埋葬人骨を発掘 縄文人の生活実態解明へー

 縄文時代の居家以岩陰(いやいいわかげ)遺跡(群馬県長野原町長野原)から出土した人骨が、約8300年前に埋葬されたものであることが分かった。発掘調査を進める国学院大学によると、埋葬人骨としては国内最古級だという。確認されただけで6体の人骨があり、多数の遺物と合わせて山間地における縄文人の生活実態の解明につながると期待されている。

 同大の谷口康浩教授(先史考古学)らのチームが2年前から調査し、約4メートル四方の区画でこれまでに成人や小児など6体分の全身骨や骨の一部を確認した。このうち深さ約80センチから出土した成人の骨の年代測定から、縄文時代早期中葉の約8300年前のものと推定した。

 この人骨は地面に掘った土壙(どこう、墓穴)の中でひざを折り曲げ、体を丸めた姿勢で見つかった。縄文早期以降に多く見られる「屈葬」という埋葬方法で、周辺からは遺体が身につけていたとみられる貝殻で作ったビーズ玉も見つかった。

 15~16日にこの一体を土壙から取り出して調べたところ、全身骨がほぼ完全な形で残っていた。骨の分析を担当する東大の近藤修准教授(形質人類学)は「保存状態は良く、多くの情報が得られると期待している」としている。DNA分析をするなどして、性別や年齢、遺伝的な特徴を調べる。

 現場は沢の斜面を登り切ったところにあり、崖の下部がくぼんで雨がしのげるようになっている。1万5千年ほど前から住居や埋葬地として繰り返し利用されたとみられ、煮炊きやたき火で出た灰が堆積(たいせき)。人骨はその下から見つかり、アルカリ性の灰が骨の腐食を防いだらしい。

 調査チームは、6体以外にも多数の人骨が埋葬されているとみて調査範囲を広げる考えで、より古い年代のものが見つかる可能性もある。

 同時期の埋葬人骨は長野や栃木、千葉などの各県でも出土しているが、これほど密集して見つかった例は珍しいという。現場からは土器や石器、ニホンジカやイノシシの骨、植物の種も大量に出ており、谷口教授は「初期縄文人の山間地での行動や生活実態を知る手がかりになる。人骨の分析と合わせ、縄文文化の確立過程の解明につなげたい」と話している。(土屋弘)

◆2016年12月6日 産経新聞
http://www.sankei.com/life/news/161206/lif1612060018-n1.html
ー8300年前・縄文早期の人骨発見 国学院大学 国内最古級、当時の暮らし解明へー

 国学院大学(渋谷区)の考古学研究室が群馬県長野原町の居家以岩陰(いやいいわかげ)遺跡で発掘した人骨が、約8300年前にあたる縄文早期中頃に埋葬されたものとみられることがわかった。埋葬人骨としては国内最古級とみられ、「日本人のルーツ」とされる縄文人について、体の特徴や生活様式などの解明につながると期待されている。(鈴木美帆)

 発掘は平成26年から実施され、今年は8、9月に考古学専攻の学生や大学院生らが参加して行われた。昨年の調査で埋葬人骨の背骨の一部が発見されており、年代測定の結果約8300年前の縄文早期中頃のものと判明。今回の調査で、全体が発掘された。

 人骨は、地面に掘った土壙(どこう)(墓穴)の中で、ひざを折り曲げて体を丸める「屈葬」と呼ばれる方法で埋葬されていた。縄文早期以降に多く見られ、埋葬人骨としては国内最古級。ほぼ完全体で発掘された人骨としても珍しい。人骨は、壮年の女性とみられる。

 同遺跡は、群馬、長野、新潟3県にまたがる三国山地の一帯で、信濃川、利根川水系の水源地に近い。縄文時代には山の資源を生かし、火をたいて生活していたため、堆積した灰に守られて保存状態がいいという。発掘チームの谷口康浩教授によると、「縄文時代の始まる頃の遺跡が多くある重要な場所」だという。

 発掘された人骨の周囲には、他の人骨の一部が発見されており、少なくとも6体は埋葬されているとみられる。複数の埋葬があることからも、死者を悼んでいたことが推測される。子供とみられる骨もあり、家族のようなコミュニティーがあったと考えられるという。

 発掘された骨の分析は東京大学(文京区)で行われている。DNA分析なども試みており、栄養状態や病歴、筋肉の発達や食事の傾向から、日本人の形成、ルーツの解明も期待される。

 縄文時代について、土器などの変遷については解明が進んでいるが、何を食べてどんな家族形態だったのかなど、生活文化の実態は未知の部分が多い。谷口教授は「遺跡には、幾度となくこの地を利用した形跡があり、発掘も約1メートルほどで堆積はまだ深い。さらに歴史をさかのぼり、日本人のルーツを探る手がかりが期待できる」と話している。

◆國學院大學博物館のサイトより
キャプチャhttp://museum.kokugakuin.ac.jp/event/detail/2017_iyai.html
【特集展示】國學院大學考古学研究室発掘調査 速報展示Ⅱ
「発掘された縄文時代早期の人骨
 -居家以岩陰遺跡の発掘調査-」

会 期=2017年10月14日(土)~11月19日(日)
会 場=國學院大學博物館内ホール
開館時間=10:00 ~ 18:00[入館は17:30 まで]
会期中休館日=10 月23 日(月)
主 催=國學院大學博物館・國學院大學考古学研究室
入館無料

 國學院大學考古学研究室では、平成26 (2014) 年から
群馬県吾妻郡長野原町・居家以岩陰遺跡の学術調査を実施し、
縄文時代初期の山地・資源利用と行動復原に関する調査研究
に取り組んできました。
 この展示では、きわめて良好な保存状態で発掘された
縄文時代早期の埋葬人骨を中心に研究成果を報告します。

—転載終わり—

◆「長野原町の居家以岩陰遺跡」(2015年の現地説明会のレポート)
 https://yamba-net.org/wp/?p=12111