八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

縄文のヒスイ盗まれる 八ッ場代替地工事で出土

 国土交通省関東地方整備局が八ッ場ダムの本体工事を開始した22日、群馬県埋蔵文化財調査事業団は八ッ場ダム予定地の発掘調査で出土した縄文時代のペンダントが昨年12月26日に盗まれたことを発表しました。
 八ッ場ダム予定地は歴史文化の豊かな土地で、多くの遺跡があります。中でも縄文時代の遺跡が多く、「縄文王国」と呼ばれる八ヶ岳山麓にすぐるとも劣らないと、縄文遺跡の専門家、勅使河原彰氏は評価しています。

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 ダム予定地における発掘調査はダム事業の予算で行われ、たとえ考古学上、貴重な遺跡がみつかっても、遺跡が保存されることはなく、記録保存の道が残されているだけです。発掘調査の成果も、ダム反対の世論を刺激することを恐れてか、あまり発表されることがありません。
(右写真=群馬県公式ホームページより 八ッ場ダム事業用地の横壁中村遺跡から出土した翡翠製大珠:長さ70.5ミリメートル、中:長さ81.1ミリメートル、右:長さ101.7ミリメートル)

 12月に盗難事件が起きていながら、本体着工まで盗難の事実が伏せられていたことは、いかにも不自然です。今回、不幸な盗難事件によって、縄文時代の装身具がダム予定地から出土していたことがクローズアップされたことは、なんとも皮肉のことです。 
(写真下=横壁中村遺跡の発掘調査 2005年12月1日撮影 背後の山は横壁地区と川原湯地区を遮る堂岩山)
横壁中村遺跡発掘調査2005年12月1日shuku

 以下の群馬県による発表では、盗まれた出土品が八ッ場ダム事業の発掘調査による成果であることすら触れられていません。被害額は一点につき約100万円とされていますが、群馬県教育委員会によれば、これは展示の際の保険金額を示しているということで、実際の評価額とは関係ありません。

 横壁地区は八ッ場ダム湖によって一部が沈む予定の集落です。背後には八ッ場のシンボルといわれる丸岩があり、吾妻川下流の川原湯地区とは堂岩山で遮られています。南側と東側に高い山が聳える横壁地区は日照時間に恵まれず、江戸時代には10軒足らずの集落しかない時期もあったということです。
 縄文時代を専門とする考古学者の勅使河原彰氏によれば、丸岩の麓の横壁地区は縄文人にとって優れた狩り場であり、対岸の日当たりのよい斜面では土地が足りなくなった縄文中期~後期、集落が横壁地区にまで作られるようになったと考えられるということです。
 盗まれた装身具が出土した横壁中村遺跡には、現在、水没予定地住民の移転代替地が造成されています。

●群馬県公式ホームページより
 http://www.pref.gunma.jp/houdou/x4600106.html
ー【1月22日】群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館における展示品の盗難について(文化財保護課)ー

1 発覚日時 平成26年12月26日(金)午前10時

2 発生場所 群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館2階資料展示室
 (住所:渋川市北橘町下箱田784-2 電話:0279-52-2513)

3 盗難品 翡翠(ひすい)製大珠 3点
 (出土遺跡:横壁中村遺跡 遺跡所在地:吾妻郡長野原町)

4 被害金額 約300万円(1点につき約100万円)

   以下略

 以下の動画は、2012年11月14日、八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会の現地視察の際、群馬県埋蔵文化財調査事業団が横壁中村遺跡について解説した時の録画です。(前半の約13分が横壁中村遺跡についての解説です。17分以降、同行した考古学者らによる解説があります。)
     

 関連記事を転載します。

◆2015年1月22日 毎日新聞 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150123ddm041040134000c.html
ー縄文のヒスイ:盗まれる 八ッ場代替地工事で出土 群馬・県発掘情報館ー

 群馬県教委は22日、同県渋川市の県埋蔵文化財調査センター発掘情報館で展示していた縄文時代中期のヒスイ製「大珠(たいしゅ)」3点(長さ7〜10センチ、幅3〜4センチ)が盗まれたと発表した。

 県文化財保護課などによると、大珠は1999年、長野原町での八ッ場(やんば)ダム建設に伴い、移転代替地で発掘調査した際に見つかった。いずれも穴が開いており、ひも状のものを通してペンダントとして利用されていたらしい。

 大珠は同館で展示板(縦15センチ、横25センチ)に固定して展示されていたが、昨年12月26日午前10時ごろ、職員が展示板ごとなくなっていることに気付いた。県警渋川署が窃盗事件として調べている。【吉田勝】

◆2015年1月23日 朝日新聞群馬版
 http://www.asahi.com/articles/CMTW1501231000001.html
ー縄文の翡翠装身具盗難 渋川の発掘情報館ー

 県埋蔵文化財調査事業団は22日、県埋蔵文化財調査センター発掘情報館(渋川市北橘町下箱田)2階の資料展示室から、横壁中村遺跡(長野原町)出土の縄文時代中期の装身具「翡翠(ひ・すい)製大珠」3点が盗まれたと発表した。

 事業団によると、昨年12月26日午前10時ごろ、職員が気づいて渋川署に通報した。3点とも縦約15センチ、横約25センチの展示板に釣り糸で固定されていたが、板ごとなくなっていた。板と台座は固定されず、展示物を覆うアクリルケースも背面が空き、手を入れて取り出すこともできたという。

 最後に現物を確認したのは同21日午後1時ごろで、県教委文化財保護課の職員が見ていた。監視カメラには同日午後3時ごろに年配の男女、午後4時ごろに若い男性が展示をのぞき込む様子が映っていたという。

 3点は八ツ場ダムの移転代替地にある横壁中村遺跡から1999年に出土した。このうち最大のもので長さ101・7ミリ、幅40・6ミリ、厚さ27・0ミリ、重さ209・0グラム。国や県の文化財指定はないが、考古学的価値は高いという。

 事業団の郡和良専務理事は「展示物を身近に見られるのが特徴の施設。貴重な文化財が盗難に遭い、本当に申し訳ない」と陳謝。展示物の全面をアクリルケースで覆うなどの対策をとったという。(馬場由美子)

◆2015年1月23日 東京新聞群馬版
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150123/CK2015012302000175.html
ー首飾り3点が盗難 渋川・県発掘情報館 縄文中期の翡翠製ー

 県は22日、渋川市北橘町の県埋蔵文化財調査センター発掘情報館の資料展示室で、縄文時代中期(約5000年前)の翡翠(ひすい)製首飾り「大珠(たいしゅ)」が昨年末に3点(総額約300万円相当)盗まれたと発表した。 (菅原洋)

 県によると、大珠は一九九九年度、長野原町の八ッ場(やんば)ダム建設に伴い、横壁中村遺跡を発掘調査した際に出土した。
 三点は長さ約七~十センチ、重さ約九十~二百グラム。中に小さい穴が開き、ひもなどを通して首から提げたとみられる。
 三点は横約二十五センチ、縦約十五センチの展示板に糸で固定し、約四十五センチ四方の台に置いて展示。台の上に三点を覆うようにアクリルケースをかぶせていたが、ケース上部の半分から背面にかけてが開いていた。このため県は何者かが手を伸ばし、展示板ごと盗んだとみている。台と展示板は固定していなかった。

 昨年十二月二十一日、職員が展示されているのを確認していたが、同二十六日に紛失に気付き、渋川署に通報。署は窃盗の疑いで捜査している。
 県によると、展示室には防犯カメラが数台あり、同二十一日に三点の近くで不審な動きをする若い男一人と年配の男女二人が別々の時間帯に映っていた。しかし、解像度が悪く、人物の特定は難しいという。
 三点は文化財に指定されていないが、大珠は三点を含めて県内でこれまで二十一点しか出土していない。展示室は入館無料で、この時期は一日平均約二十人の来館者がいる。
 県は「来館者に間近で見学してもらえるように、盗難前のような方法で展示していたが、県民から預かった物を盗まれ、申し訳ない」と謝罪し、展示板を台に固定するなどの再発防止策を進めている。

◆2015年1月23日 読売新聞群馬版
 http://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20150122-OYTNT50473.html
ー県発掘情報館のヒスイ盗難ー

 県埋蔵文化財調査事業団と県教委は22日、渋川市の県埋蔵文化財調査センター発掘情報館で、約5000年前のヒスイ製の大珠たいしゅ3点(計約300万円相当)が盗まれたと発表した。同事業団は渋川署に被害届を提出し、同署は窃盗事件として捜査している。

 発表によると、盗まれた大珠3点は、長さ約7~10センチ、幅約3~4センチ、厚さ約2~3センチ、重さ約90~210グラム。中央に穴が開いており、縄文時代中期にペンダントとして使われていた。八ッ場ダム建設に伴う横壁中村遺跡(長野原町)の発掘調査で出土した。

 2階の資料展示室に展示されていたが、昨年12月26日午前、巡視中の職員が大珠3点がなくなっているのに気づいた。展示されているのを最後に確認した同月21日以降の犯行とみられる。

 大珠は1枚の展示板に釣り糸で固定し、前面と側面をアクリル板で囲って展示していたが、背面にはアクリル板がなく、手を入れて取り出すことが可能だった。監視カメラには21日午後、行動が不審な男女2人組と男1人の来館者が映っていたという。

 同情報館では、遺物の固定方法を変更し、カメラの位置を調整するなど対策を取った。

—転載終わり—

(写真下=丸岩山と横壁地区の代替地。代替地を支える白い擁壁が建設されている。2011年8月26日撮影)
横壁代替地と丸岩shuku