2005年3月11日 朝日新聞群馬版より
「新川原湯60歳の出発」
ー八ッ場ダム 山木館・女将 樋田文子さん(57)ー
「ようこそダムに沈む川原湯温泉」
温泉街の入り口に大きな看板が立つ。「もう少しいい表現があるといいけど」。約400年前に創業した旅館「山木館」の13代目女将、樋田文子さん(57)は寂しそうにほほえむ。
昨年は計画変更をめぐって八ッ場ダムが報道され、「沈む前に」と客が集まったが、今年に入ってブームは落ち着いた。「なかなかダムができないからかな」と観光協会長を務める夫の洋二さん(58)。建設に反対する市民団体に「30、40年と苦しんできたことをもう一回ひっくり返されるのは大きな迷惑」と言う。
旅館の2日夜のメニューは、ちらしずし、キノコのすいとん鍋、ヤマメの塩焼き、みそおでん……。「山にへばりついた土地だけど、精いっぱいもてなしたい。今日は一日早いひな祭り」と文子さん。
■間近に渦中の父
文子さん夫妻は、文子さんの父で前長野原町長の富治郎さん(81)と母・ふみゑさん(82)と暮らす。富治郎さんは建設反対派の代表として町長になり、90年まで4期務めて引退。任期中に「絶対反対」から「条件闘争」に方針を変えた。ダム問題でもめるうちに吾妻郡の中で開発が遅れ、住民の考えが変わってきたからだという。
「親はダム、ダムばかり。早くできちゃえばいいのにと思ったこともあった」。5歳の時から建設反対のデモ行進で旗を振った文子さんは、国が地質調査で穴を掘ると、皆で穴に入って工事を止める富治郎さんに代わって旅館業を手伝った。大学卒業後は旅館を継いだ。
富治郎さんは、「国の地元補償が約束と違う」と、今も新聞や図面を手放さない。「一生ダムに取りつかれている。かわいそう」。文子さんはつぶやく。
夜9時25分。一筋の白い光が川原湯を突っ切り、闇に吸い込まれた。「これからがいいところ」。息をひそめる文子さんと30秒ほど闇をみつめると、星空と街明かりの間に、白く輝く電車が浮かび上がった。JR吾妻線の特急が、トンネルを抜けると、夜空に浮いたように見える。1年ほど前、偶然見つけた「銀河鉄道」だ。ダム建設で線路が移転するため、3年後には見られなくなる。文子さんは生まれ育った景色を、かみしめるように客に説明する。
■422戸中、186戸去る
進行の遅いダム建設にしびれを切らし、町外へ流出する人の増加が新たな問題となっている。国交省によると、計画当初、移転対象だった422戸のうち6割以上が地元に残ることを希望していたが、昨年末までに186戸が町外などへ移転した。文子さん一家は代替地の「新川原湯温泉」で、収容人員30人ほどの小さな旅館を経営するつもりだ。60歳での再出発が始まる。
水源県・群馬。ダム建設には長い時間と費用がかかる。水需要の減少や財政難を背景に「選択と集中」が進み始めた今、「ダム」と歩んできた人たちを追った。(藤森かもめが担当します)
■キーワード 八ッ場ダム■
利根川上流に2010年度完成予定のダム。04年9月に事業費の倍増が決まり、総事業費約4600億円と日本一高額なダムとなった。うち用地費と補償費が約5割を占める。利根川流域6都県の水確保や洪水調節が目的で、1952年に計画ができた。建設に反対する6都県の住民が公金支出差し止めの提訴をしている。約340戸が水没するため、ダムの建設予定地の上部に代替地を建設中。