2006年12月10日 朝日新聞社説より転載
河川計画に住民の意見を反映させるため、国土交通省の地方整備局に設けられている流域委員会。その存続が、関西を流れる淀川で危うくなっている。
同省河川局から10月に着任した近畿地方整備局長が、委員の任期が切れる来年1月で休止させると表明した。
住民の参画を徹底させる手法で、これからの河川政策のモデルといえる委員会だ。それが、まだ河川整備計画もできていないのに、仕事半ばで活動を止めるのは納得できない。
実は似たような出来事が、関東の利根川や四国の吉野川でも起きている。「淀川のような流域委員会をつくってほしい」という住民の要望が退けられた。代わって、住民の意見は国交省が聴取するという方針に変わった。まるで淀川の波及を恐れるような対応である。
97年に河川法が改正され、「住民の意見の反映」が盛り込まれた。それをきっかけに、河川計画を立てる審議に住民を加える流域委員会方式が広まった。
とりわけ淀川の流域委は、これまでの役所の常識を百八十度変える運営方法だった。河川工学者ら第三者でつくる準備会議が委員を選んだ。一般公募の委員枠も設けた。事務局は民間機関に委託し、会議は公開、傍聴も自由にした。傍聴者の意見も募った。6年間で500回を越える審議を重ねてきた。
近畿地方整備局は「時間とコストがかかり過ぎる」「流域委の意見を重視しすぎる、と首長から批判がある」と、休止の理由を説明する。
しかし、それだけではあるまい。流域委は03年に「ダムは原則として建設しない」とする提言を出した。これに対し、河川局は05年、五つのダム計画のうち二つは中止するが、三つのダムは継続するとの方針を打ち出した。
ダム建設を推進してきた河川局の意向に沿わない提言を出したことが、休止の本当の理由だろう。流域委を存続させれば、ダム建設に抵抗するのは目に見えている。それなら流域委の活動を止めてしまおうというわけだ。
利根川では、反対運動が続く八ッ場ダム(群馬県)の計画がある。吉野川では、白紙になったとはいえ可動堰問題がくすぶる。淀川を含め3河川に共通するのは、いずれもダムや堰を疑問に思う住民の声が根強いことだ。こうした地域では、住民の声を反映する場をつくりたくないというのが国交省の本音だろう。
しかし、意見の対立があるからこそ、流域委のような議論の場が必要なのだ。
改正河川法に基づく1級河川の整備計画づくりは今、全国でヤマ場を迎えている。淀川では、流域委に住民が参加することで、住民の間で川への関心が高まった。それは住民が洪水時の危険性を知ることにつながり、地域の防災力を高めることにもなる。
治水を担う国交省が、その地域の住民の声に耳をふさぐ。それは時代に逆行するとしかいいようがない。