1970年代の新聞記事に、
ー「八ッ場ダム」。それは、もつれた糸を次々に繰り出す、黒い糸車のように見えるー
という文章があります。それから30年あまり経っていますが、黒い糸車は今もまわり続け、ダム問題解決の糸口は見えてきません。国と地元、関係都県知事とのねじれに焦点が当たり、八ッ場ダム問題の解決は新政権の試金石といわれています。関係都県知事と民意とのねじれを考慮すれば、民主主義の試金石とさえいえる様相です。
毎日新聞群馬版の連載記事を転載します。
◆2009年11月11日
八ッ場ダム・流転の行方:/1 「生活再建を」願いは一つ /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20091111ddlk10010099000c.html
鳩山内閣の八ッ場ダム建設中止方針で、地元・長野原町を中心に大きな波紋が広がっている。1952年の計画浮上から57年。新たな生活再建策など山積する問題への答えはまだ見えぬまま、苦渋の決断で建設を受け入れた住民らは、政治の流れに再び翻弄(ほんろう)されている。ダム計画の行方はどうなるのか。動きを追った。
◇推進・反対派、溝深いが…
「国と住民の約束を反故(ほご)にするのか」。10日、長野原町で開かれた、自民党国会議員と地元住民との意見交換会。水没地区の住民や地元町議は、ダム建設の推進を重ねて求めた。
かつて、住民の多くはダム建設に反対していた。水没する川原湯・川原畑両地区の住民を中心に建設反対運動を繰り広げたが、用地買収が進み、補償制度が整備されるに従い、建設を受け入れた。水没地区には79年の時点で340世帯が暮らしていたが、次々と転出し、現在は約80世帯にまで減った。
そこへ一転、建設中止がトップダウンで降りかかり、生活再建は宙に浮いた。「このまま、うやむやな時間が過ぎると生活が立ち行かなくなってしまう」。ダム湖畔への旅館移転を待ちわびていた川原湯温泉旅館組合の豊田明美会長(44)は訴える。
どうせ再建するのだからと、老朽化した旅館への設備投資も抑えてきたが、本体着工のないまま、01、08年の2度にわたって工期が変更され、当初は00年度の完成予定が15年度にまで延びた。その揚げ句の中止方針。「もう待てない」。地元旅館の声は切実だ。
鳩山政権の発足を目前にした9月10日、ダム推進派の地元県議の呼びかけで、八ッ場ダム推進吾妻住民協議会が発足。同23日、建設中止を表明した前原誠司国土交通相は現地を訪れ、住民との意見交換会を開こうとしたが、同会の萩原昭朗会長(78)は「ダム中止の御旗(みはた)を降ろして来てください」として出席を拒否した。
同会は発足と同時に、吾妻郡の全町村でダム推進を求める署名活動を始めた。長野原町ダム対策課は、今月10日時点で、同町10地区のうち7地区の分の署名を回収。すでに9286人分が集まった。同課は「水没する川原湯を訪れた観光客なども加わっているのでは」と推察するが、町人口6402人(10月末)を超える数字だ。
一方、中止を歓迎する声もある。同町川原畑の高山彰さん(55)は国交相の発言を「ありがてえ、天の声だ」ととらえた。自宅は吾妻峡から百メートルほどの水没地。「いつ立ち退くんだろう」と小学生のころから思い続けてきた。推進派が多数に転じ、隣近所、年老いた父母までが集落を去る中で「国の事業だから仕方ない」とあきらめる気持ちはあったが、土地は譲らなかった。「故郷が水に沈められるなんて、賛成できるわけないだろう」
同町川原湯で乳業を営む豊田武夫さん(58)は「もうダムで煩わされない」と胸をなで下ろす。ダムの安全性に疑問を持ち、建設に反対してきた。所有地は水没しないが、付帯工事の一環として敷地の一部にJRの線路が建設される計画となっている。「道路も鉄道も早く完成させて、生活再建のメドを付けてほしい」と、鳩山政権発足後、今まで売らなかった土地を売った。
推進派と中止派。半世紀以上にわたるダム計画の中で、住民間の隔たりが再び顕在化した。それでも「生活再建を早く」の声は共通しており、再建案の一日も早い提示が待たれている。
◆2009年11月12日
八ッ場ダム・流転の行方:/2 住民との会談、めど立たず /群馬
http://124.83.171.139/area/gunma/news/20091112ddlk10010237000c.html
◇国交相「歩み寄り」強調も
民主党県連所属の国会議員7人が11日、国土交通省に前原誠司国交相を訪れた。7人は八ッ場ダム建設中止に伴う「新しい生活再建案」の速やかな提示を求め、意見書を提出。出席議員によると、国交相は「中止の方向は変わらないが、地元の意見を聴きたい。年内にもう一度、地元に行きたい」と話した。
前原国交相はこれまで、再三にわたって地元住民との会談を呼び掛けてきたが、思いと裏腹に実現のめどがたっていない。
状況の打開を目指し、前原国交相は10月27日、前橋市であった関東地方知事会議を訪問、関係1都5県の知事と会談した。席上、国交相は「単なる中止ではなく、治水利水について再検証したい」と発言、公の場で初めて「歩み寄り」の姿勢を見せ、ダム中止方針の「白紙撤回」を求める地元への配慮を、大きくアピール。大澤正明群馬県知事も「大きな方向転換だ」と評価した。
知事らとの会談に先立つ10月21日、前原国交相は三日月大造政務官を大澤知事の下にひそかに派遣。地元住民との意見交換会開催に向けた仲介を打診した。県は同23日、副知事と県土整備部長が、長野原町の高山欣也、東吾妻町の茂木伸一両町長を訪ね、国交相からの文書を届けた。
文書は「中止」という表現を避け「全国のダム事業と同様に、改めて検証する」と、知事らとの会談を先取りする形で譲歩の姿勢を示したうえで、同25日に「意見交換会を開かせていただきたい」と要請していた。知事らの理解を得るためにも、何とか地元住民との意見交換会にこぎつけたいという国交相の思いがにじむ。
しかし、高山町長は「27日の関東地方知事会議を拝見する」と返答、茂木町長もこれに同調した。知事会議での「再検証」発言に対しても、高山町長は「若干の歩み寄りはあった」と評価しつつ「意見交換したいなら、事前に内容を出してもらいたい。『白紙だ』と言えば無条件に会う」と、高いハードルを掲げたままだ。
前原国交相は知事会議直後の10月30日、両町長に再度、県を通じて11月8日の意見交換会開催を申し入れる文書を届けた。高山町長の反応を受けてか「ご迷惑をおかけしている地元住民の皆様へのおわび」「打開策を検討するために皆様の声をお聞きする」と会の目的を明記した。それでも、高山町長は「白紙でないと応じられない」とつれない。
長野原町で10日に開かれた自民党国交部会長らと地元との意見交換会。茂木町長も「パフォーマンスに乗るつもりはない」と、前原国交相の動きを厳しい言葉でけん制した。国交相は9月21日、「地元の理解を得るまでは(建設中止の)法的手続きを始めない」とのコメントを発表しており、茂木町長は「会えば『住民の意見を聞いた』というアリバイ作りに使われるかも知れない」と警戒する。
両者の歩み寄りは見通しがたたないが、住民の生活再建は時間との競争でもある。「ずるずるといつになっても話し合う状況に進まないのは、我々としても地元の方にとっても不幸」。大澤知事は11日の会見でこう語った。
◆2009年11月13日
八ッ場ダム・流転の行方:/3 国と地方、ねじれ深刻 /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20091113ddlk10010077000c.html
◇1都5県の知事連携
「1都5県の知事で連携して、要請している」。大澤正明知事は11日の記者会見で、八ッ場ダムの中止方針撤回を求めていく考えを、改めて強調した。
特定多目的ダムの八ッ場ダムは、国と流域1都5県(東京、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬)が総事業費を共同負担している。政権交代で国は中止方針を打ち出したが、1都5県の知事は10月19日、合同で現地を視察に訪れ「一致団結し、八ッ場ダム建設事業の中止撤回を国に対し強く求める」との共同声明を発表した。国と地方に深刻なねじれが生じている。
1都5県は総事業費約4600億円のうち、08年度末までに、利水面で栃木を除く5都県が約1460億円を、治水面で6都県が約525億円を、それぞれ負担した。特定多目的ダム法と施行令で「利水者の撤退以外の事情で中止した場合は、利水分の負担金を全額返還する」と定められており、すでに石原慎太郎都知事らは「中止の場合は返還を」と主張している。
また、同法には「国土交通相は、計画を廃止しようとするときは、あらかじめ、関係都道府県知事の意見を聞かなければならない」との条文もある。共同声明には「国から何一つ具体的な説明がないというのは極めて異常な事態と言わざるを得ない」という文言が盛り込まれ、知事からは「中止は法令違反」と意見が出された。
栃木を除く5都県はすでに、ダムの完成を前提に「暫定水利権」を取得し、利根川から取水している。建設が中止されれば暫定水利権は失効する。前原誠司国交相は暫定水利権をそのまま「安定水利権」として認めると表明したが、具体的な手続きはこれからだ。
ねじれの解消を求め、前原国交相は10月27日、前橋市であった関東地方知事会議を訪れ1都5県知事と会談した。国交相は「マニフェストの方針は堅持しつつ、治水・利水についてしっかり再検証したい」と発言し、歩み寄りの姿勢を示したが、石原都知事の「(ダム)中止を中止することはあり得るか」との問いには「ダムによらない治水・利水という流れの中で、代替案を示させていただく」と答えるにとどめた。
知事らの理解を得るまで、前原国交相は建設中止の法的手続きを始めないことを明言している。しかし、国が予算をつけなければ、地方も身動きがとれず、両すくみの状況だ。
11月11日の記者会見で、大澤知事は「国家プロジェクトの中止を言うのであれば、しっかりしたその後の方針も準備できていなければおかしい。マニフェストに書かれた時に、代替案がしっかりとできていないのは、国のあり方が問われる」と発言、地方のいらだちがにじんだ。
◆2009年11月14日
八ッ場ダム・流転の行方:/4止 データ自体見直しへ /群馬
http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2009/11/14/20091114ddlk10010110000c.html
◇現場の戸惑い深く
「本ホームページは現在見直し中です。当面の間、一部の記載内容が、現在の考え方と異なる可能性がありますのでご注意下さい」。鳩山内閣が建設中止を表明した熊本県の川辺川ダムの砂防事務所ホームページ(HP)には今、こんな注意書きが書かれている。
実は八ッ場ダム工事事務所のHPにも10月22日、句点の打ち方以外、まったく同じ文章が掲載され、数時間後に削除された。川辺川の事務所は「所内の判断で掲載している」と語る一方、八ッ場事務所は「操作ミスで誤って掲載してしまった」と説明する。
22日は地元長野原町にある八ッ場ダムの広報センター「やんば館」の展示替えも行われた。前日に視察した衆院国土交通委員会の川内博史委員長(民主)らが「展示物がダムの完成を目指しているのは不整合」と指摘したことを受け、ダム完成予想図を撤去するなどした。ところが、23日には国交省の三日月大造政務官(同)が「地元の心情を考えた場合、現時点で変更する必要はない」と指示、元に戻した。
いずれも、政権交代に伴う現場の混乱ぶりを示すエピソードだ。
「大臣が変わると事実も変わるのか」。10月14日の県議会産経土木常任委員会。参考人招致した国交省関東地方整備局の山田邦博・河川部長と渋谷慎一・八ッ場ダム工事事務所長に、県議らが厳しい言葉を浴びせかけた。
建設予定地の吾妻郡区選出の萩原渉氏(自民党・ポラリスの会)は、同事務所が住民に配布した資料を突きつけた。8月21日付で、利根川の水害や首都圏の洪水リスク、治水・利水面でのダムの必要性を示す内容。「ここに書いてあることは事実か」との問いに、山田部長は「大臣からこの説明について、直接変えろという指示は受けておりません」と苦しい答弁に終始した。
データの信ぴょう性を疑う声も出た。石川貴夫氏(民主党改革クラブ)は、08年5月に石関貴史衆院議員(民主)が提出した質問主意書に対する政府答弁書に言及。答弁書が「『八斗島(伊勢崎市)地点以外で利根川における八ッ場ダムの治水効果を、最近30年間の洪水について計算したもの』については、国交省が現時点で詳細を把握しているものは存在しない」としているのに対し、10月7日の県議会で県特定ダム対策課が「前橋での水位低減効果は60センチ」と、国交省資料を基に回答した矛盾をついた。
渋谷事務所長は「(99年に)速報値として60センチという数字を出したことは事実。精度などに限りがあるので、答弁書では『ない』とした」と釈明した。
前原誠司国交相は10月27日、関係1都5県知事と会談した際、「国交省河川局の作った数字を見直したい」と発言、専門家による委員会を設置してダムの必要性を再検証するとした。これまで建設推進の根拠となってきたデータ自体が見直しの対象となり、現場の戸惑いは深い。=おわり(この連載は奥山はるなが担当しました)