2012年2月2日
改革派河川官僚だった宮本博司さん(元国土交通省河川局防災課長)が1月に京都新聞へ投稿した記事、「官僚たちの八ッ場」が反響を呼んでいます。
以下に転載します。
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昨年末、八ッ場ダム(以下、八ッ場と呼ぶ)の建設再開が、前田国土交通大臣から発表された。八ッ場は福田、中曽根、小渕と歴代首相がひしめき合っていた群馬の極めて政治的に重要なダムであった。従って国土交通省は、現地で直接住民交渉を行ったり、工事を指揮する現場事務所長に、河川官僚のエースを投入してきた。投入されたエースが数年たちボロボロに疲れ果てると、次のエースと交代した。
八ッ場は国土交通省にとって、極めて思い入れの強いダムである。高度成長期が終わり、水需要が減少してきて首都圏の水がめとしての緊要性は薄れた。利根川の洪水対策効果に比べて、温泉町の移転、JR線の架け替え等に要するコストがあまりに大きい八ッ場は、私が在任していた昭和60年ごろの国土交通省内では、「今の時点で、これから新たに八ッ場を造るかといったら、絶対造らない」というのが大方の共通した認識であった。同時に、昭和27年から継続してきた事業は、何年かかろうが、どんなことをしてでも継続しなければならないということであった。そんな八ッ場の中止を民主党がマニフェストに掲げようが、国土交通大臣が中止宣言しようが、官僚たちが「はい、そうですか」と従うわけがない。大臣の中止宣言はとりあえず神棚に上げておいて、粛々と準備工事を進め、着々と外堀内堀を埋めていくのが優秀な官僚たちのやり方である。
まず、極めて酷いやり方ではあるが、長年苦しみ苦渋の決断をしてきた水没住民に対して、ダム建設が中止になれば生活再建ができなくなると発信する。「今更、なんだ」という悲痛な声が当然巻き起こる。自治体の首長に、中止反対の筵旗を掲げさせることは、お手の物である。そして、大臣の中止宣言を神棚から下ろす仕掛けを構築する。その仕掛けこそが、2009年12月に国土交通省が発足させた「治水のあり方に関する有識者会議」であった。
大半を御用学者で固めた有識者会議は頑なに公開を拒否した上で、住民の命を守るためにダムは優先的に建設されるべきかという根幹的な議論はまったくしないで、2010年9月、従前のダム建設計画を再度確認することになるだけの検証手順を示した。この時点で、八ッ場の中止宣言を神棚から下ろす仕掛けができあがったのである。
この仕掛けによって八ッ場ダムだけでなく、説明責任を果たせない理不尽なダムが、今全国各地で次々と建設されだしている。その結果、住民の命を守るために優先的に実施されなければならない対策が後回しにされ、無残に川の命が奪われていっている。
八ッ場の結末は、八ッ場を超えた極めて深刻な問題であることを重く受け止めなければならない。皮肉にもダム建設に批判的であった民主党の政権時代に、官僚の思うがままに、ダム建設に強力なお墨付きを与える仕掛けをつくってしまった私たち世代は、子供や孫に顔向けできない大きく、取り返しのつかない罪を犯した。慙愧に耐えない。(樽徳商店代表取締役)