総選挙を前に、マニフェスト叩きとしてマスメディアが八ッ場ダムを取り上げる機会が増えています。
政局を追う紙面を見ていると、2009年の総選挙で有名になった八ッ場ダムは、民主党政権の終焉と共に国民の視界から消えてゆくようです。
八ッ場ダム計画には60年の歴史がありますが、民主党が政権をとるまで、ずっと国民の関心の外にありました。
ある地元住民は、「国交省(建設省)は八ッ場ダムという国策の失敗を国民に知られないことを望んでいた。八ッ場ダムを全国に知らしめただけでも、民主党のお手柄だ」と言います。
ダムの名前は知られるようになりましたが、民主党政権下のダム検証は、御用学者が大半の非公開の有識者会議が河川官僚にあやつられるだけで終わり、国民はダム問題の中身を知る機会を奪われました。
このままでは、国交省の望み通り、八ッ場ダムへの関心は再び薄れてしまうでしょう。けれども、マスメディアが取り上げると否とに関わらず、八ッ場ダム問題が消えてなくなることはありません。ダム事業がこのまま続けば、問題はさらに深刻になり、社会に広範に影響を及ぼすことになるでしょう。
地方新聞の社説に、政局に左右される世論の動きに警鐘を鳴らす正論が載っていましたので、転載します。
◆2012年11月19日 愛媛新聞社説
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201211194519.html
-民主マニフェスト 検証し日本再生に生かしたい
民主党政権に審判が下る師走の総選挙に向け、各党の論戦が始まった。政権をかけ与野党とも批判合戦に余念がないが、その前にこの3年間を総括し、国民に明示するよう望みたい。
有権者の政治不信が極まっている今、政治の停滞という事態を二度と招いてはならない。失敗を繰り返さないため、まずは3年前に民主党が掲げたマニフェスト(政権公約)の検証が必要だ。
多くが未達成に終わったマニフェスト自体が間違いだったのか。実現の手法に問題があったのか。公約の内容自体が国民に見捨てられたのか。徹底的にチェックした上で、投票日を迎えたい。
民主党はさきごろ、総括と反省を盛り込んだ「マニフェスト重要政策説明用資料」の原案をまとめた。そこでは、達成項目を強調しつつ、未達成の内容については謝罪を明記している。
無駄の削減による17兆円の新財源確保が頓挫した点や、増税が先行した社会保障との一体改革については「見通しが甘かった」。子ども手当の月額2万6千円の未達成も反省し「財源捻出策に無理があった」と謝罪を述べた。
自覚も実行力もないまま政権党へと祭り上げられた現実への、戸惑いが見て取れる。有権者に、マニフェストへの不信感を植え付けたという意味で民主党の罪は重い。
しかしなお、政権交代時の高揚感を覚えている有権者は多いはずだ。例えば「コンクリートから人へ」との理念の輝きは失われていない。巨大公共事業の在り方について一石を投じたのも事実だ。
現実には、群馬県の八ツ場ダムが、中止から一転継続となり「政策変更の際の意思決定方法の未確立や関係省庁、地元関係者などとの調整不十分」と総括。一丁目一番地と位置づけていた地域主権についても、足踏みが続く。
だからこそ、いずれの政策についても改革の手をゆるめてはならない。国民の不信は公約自体にあるのではないからだ。民主党の政権運営の失敗と実現能力の欠如に愛想を尽かしたに過ぎない。
ならば次期政権はその失政に学び、政策の実現が可能となる政治体制構築から始めねばならない。旧態依然たる政治への逆戻りを防ぎ、総選挙を経ても必要な政策は残し、理念を継承すべきだ。
地域主権、行財政改革の続行、原発に依存しない社会の実現、低迷する経済再生、行き詰まった外交の立て直し。政治空白が一刻も許されない状況は続いているのだ。
反省と総括の上、日本再生のための設計図を示せるか。国民の審判に値する政策と実行力があるか。それが、この国を託せる党と人を選ぶ基準であると心得たい。