ジャーナリストのまさのあつこさんが10月に開催した現地見学会をYahoo!ニュースの記事で取り上げています。
◆2017年12月20日 Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20171220-00079513/
ー八ッ場ダムを必要としているのは誰か?ー
この現地見学会のテーマは「吾妻川の中和事業」でした。
八ッ場ダムを建設している吾妻川は酸性河川です。
(写真右=八ッ場ダム水没予定地を流れる吾妻川)
吾妻川の水質に大きな影響を及ぼしているのが、ダム予定地上流にある草津白根山です。草津温泉をかかえる白根山は、火口湖、湯釜がpH1以下と、わが国屈指の酸性度です。
昭和初期、硫黄鉱山の大規模開発により、鉱山から流れ出す廃液が吾妻川の酸性度をさらに高めました。第二次大戦末期、草津町に隣接する六合(くに)村(現・中之条町六合地区)で群馬鉄山が開発され、1952年から精錬が始められると、吾妻川の水は赤茶けた色に変色し、見た目にも特異な”死の川”となりました。
ところが、1965年、吾妻川の中和事業が軌道に乗り、八ッ場ダム計画は再び日の目を見ることになりました。建設省技官だった落合林吉(写真右下)が群馬県に移ってから主導した中和事業は、1968年に群馬県から建設省へ移管され、今に至ります。
~~~~~~~~~~
《参考》1965年11月26日 朝日新聞群馬版より
【落合群馬県企業局長(元・建設省計画局総合計画課長)の話】
県の事業はこれで目的を達し、終止符を打つわけだが、これから国の事業に引き渡したい。まず吾妻川本流に「八ッ場ダム」を建設してもらうよう働きかけているところだ。これが出来ないと死の川をよみがえらせた意味が出てこない。
~~~~~~~~~~
現在、国土交通省は、「中和事業が始まる前は、吾妻川だけでなく、利根川の前橋付近でもコンクリートの橋を作れないほど酸害があり、田畑も酸害に苦しんだ。」と、中和事業の意義を説明するものの、八ッ場ダムとの関係には触れようとしません。
しかし、中和事業なしに八ッ場ダムは成り立たず、両者が切っても切れない関係にあるのは事実です。
2008年以降、土砂の流入を減らすため、湯川、大沢川、谷沢川が品木ダムに注ぐ地点には貯砂ダムを建設してきました。
浚渫物には環境基準を超えるヒ素が含まれているという厄介な問題があります。
国土交通省は浚渫物をセメントで固化して、品木ダムの集水域の谷間に埋め立ててきました。ヒ素を含む浚渫物は、本来は産業廃棄物として遮水シートを敷いて管理しなければならないのですが、国土交通省は地下に浸み込むヒ素は品木ダムに戻るから問題ないとして、群馬県の許可を得て遮水シートを敷かないで浚渫物を埋め立てています。
A土捨て場
八ッ場ダムがある限り、吾妻川の中和事業をやめるわけにはいきませんが、品木ダムの浚渫物を捨てられる集水域は有限です。
中和事業の開始から半世紀を経て、いよいよ八ッ場ダムの建設が始まりましたが、中和事業の問題は未解決のままです。
なお、中和事業に年間約10億円の費用がかかっています。
(石灰の運搬費用…約2億円、品木ダム浚渫費用…約3億円、他に電気系統の管理(外注)、中和設備のメンテナンス費、貯砂ダム建設等)
C土捨て場
酸性河川の湯川、大沢川、谷沢川は品木ダムで合流し、品木ダムの下流では白砂川に合流して吾妻川に注ぎます。白砂川は中和事業が行われる前は、酢のように酸っぱいことから、須川と呼ばれていました。
白砂川が吾妻川に注ぐ地点のすぐ手前に、今年、八ッ場ダム事業による長野原諏訪大橋が完成しました。橋の上からは、白砂川に架かる二つの線路が見えます。手前の線路は今も使われているJR吾妻線、後方の線路は、群馬鉄山から鉄を運ぶためにつくられた太子線(1963年の群馬鉄山閉山後、1971年廃線)の須川橋梁です。
~~~
国土交通省および水資源機構の既設のダム等施設については、5年ごとに調査結果がフォローアップ委員会に報告され、評価が行われます。
12月6日に関東地方ダム等管理フォローアップ委員会が開かれました。今年度の対象は渡良瀬遊水池総合開発、品木ダム、利根川河口堰でした。
品木ダムについては「八ッ場ダムにとって大切な施設である。いつまで暫定的な浚渫土の処分でよいのか。永久に続けられるのか。再利用を考えるべきである。」などの発言がありました。